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頑張れ!石岡君
石岡君、腰痛を克服する 4 「石岡君、腰痛を克服する」4 優木麥 石岡君、腰痛を克服する 4

   
…
 この整体治療院は呪われているのか。私はただ腰痛を治したいだけなのに、とてつもなく場違いな場所に迷い込んでしまった気がする。タオルを外して目を開けるのが怖い。さっきの女性の悲鳴は何だったのだろう。どれぐらい時間が経ったのか。
「安西先生…」
 呼びかけても応答はない。いつまでもこんな格好ではいられない。仕方なく私はタオルをどけた。室内には誰もいない。
「先生…」
 安西が消えた奥の部屋へ行こうとドアの前に立つと、人の話し声が聞こえた。私は耳を澄ます。よく聞き取れないが「あいつは犬なんだ」と言っているようだ。妙な胸騒ぎが私を襲った。もうこの場所にいたくない。腰痛よりも恐ろしいものはこの世にたくさんあるようだ。足音を忍ばせて、私は診療室の反対側のドアを開け、さきほどまでいた待合室に出る。そこには、若い男が立っていた。
「ひっ……」
「安心してください。石岡先生」
 男は笑顔で私に話しかける。
「僕は安西の息子の洋太郎です」
「安西先生の?」
「ええ、石岡先生を助けに来ました」
 洋太郎は意味不明の言葉を口走っている。
「どういうことですか」
「今は詳しく説明しているヒマはありません。とにかく、ここを出ましょう」
「あの……でも、まだ診療代を払ってませんし…」
「結構です。さあ、早く」
 洋太郎は私の手を掴んで玄関の引き戸を開ける。
「一体、これは……」
「父はホラーマニアが過ぎて、ツボへのマッサージで、禁断の研究をしているみたいです」
「禁断の研究と言いますと…?」
 話が生臭い方向に進みつつある。洋太郎は私の手を引いて、自分の4WDにたどり着く。
「すぐに乗ってください。父は特殊なツボ刺激で、人の意識を獣のそれに変えようとしています。本人は〃獣化意識覚醒〃と呼んでいます」
「何ですって…?」
 とてもにわかには信じられる話ではない。
「石岡先生は、僕のカノジョの美恵子に会いましたよね」
「美恵子さん…?」
「先生がいらしたときに、待合室にいた女性です」
「ああ、はい…」
 長い黒髪に覆われていて顔は見ていないが、「ニャア」と鳴いていた女性だ。
「美恵子は父の実験にされました」
「ええっ……」
 私は運転席の洋太郎の顔を見る。彼の顔は真剣だった。
「御察しの通り、ネコの獣化意識を覚醒させられたのです」

                            ●

 まるであばら屋のような整体治療院。ネコの鳴き声を真似する女性。ホラーマニアの整体師。そして、ツボを刺激することで獣化意識を覚醒させるという恐怖の研究。どれひとつとっても私の肝を冷やすにふさわしい現象だった。
 洋太郎は車で横浜の近くまで送ってくれた。腰の痛みを半ば忘れていた私は、本音をいえば、布団を被って寝たい。しかし、ここで寝てしまうと、一生このときの怪奇現象を引きずって悪夢にうなされなければならない。そこで、明かりをつけたままの部屋でまんじりともせずに、私は考えることにした。あの一連の出来事に何か合理的なからくりを見出せば、心の傷は癒されるはずである。
 翌朝、私はひとつの結論に達した。朝一番で神奈川県警の知り合いの刑事に連絡をとると、彼に事情を話し、その足で再び「ハウ整体治療院」へと向かった。
「どうされたんです」
 治療院の前で車を洗っていた洋太郎は、姿を見せた私に対して驚くと、すぐに駆け寄ってきた。
「もうここにはいらっしゃらないようにと申し上げたでしょう。石岡先生のイヌへの獣化意識を覚醒させて……」
「中でお話をさせてください」
 私は引き戸を開けると待合室に入った。

                            ●

「怪奇現象をそのままにしておくと、ぼくの寝覚めが悪いので、どうしてもハッキリさせておきたくて、またお伺いしました」
 待合室には、安西と洋太郎、そして神奈川県警の佐々木刑事がいる。 「最初におかしいと思ったのは、化け猫のビデオテープです」
 私は安西を見た。ビデオラックには「呪いの銀猫」「秘録怪猫伝」「亡霊怪猫屋敷 怪猫お玉が池」「怪猫からくり天井」「怪猫五十三次」「怪猫佐賀の夜桜」「怪猫呪いの壁」「本朝怪猫伝」が並んでいる。
「このことを、安西さんは『自慢のライブラリー』と表現しました。これが何となく引っかかっていたんですね」
「どういうことですか」
「だって、このビデオテープは、たぶんTV放映版を録画したものでしょう」
 私はビデオラックを指す。
「なぜならまだビデオ化されていない作品も含まれているからです。まだ製品版は出ていないけど、とりあえずTV放映版を録画しておいたはずです」
「それのどこがおかしいんです」
「つまり、貴重なライブラリーなんですよ。もしかしたらビデオ版は発売されないかもしれない。コレクターはコレクションの保存状態に非常にこだわります。マニアでもない患者に簡単に見せて、磨耗させるとは考えにくかったんですね」
「サービス精神旺盛なんじゃよ。ワシは」
「百歩譲ってそうかもしれません。でも、フレディの件はいけませんでしたね」
「フレディ…?」
「安西さんは、フレディといえば、フレディ・マーキュリーとおっしゃった。野良猫の名前をロックバンドのクイーンのボーカルから名づけたと」
「それはいけないことかね」
「はい。安西さんが真のホラーマニアであれば、かなりいけないことでしょう。フレディといえば、ホラーマニア百人いれば百人が連想する名前があります。『エルム街の悪夢』シリーズのフレディ・クルーガーですよ」
「決め付けられてもなあ」
「ぼくは、安西さんはニセモノなのだと結論に至りました」
「おいおい…」
「そう考えると、昨日、最初にここを訪れたときのことを思い出したんです。たしか、年配の方が『痛い、痛い』と言いながら診療室から連れ出されていた。当然、ぼくは自分の前の予約患者だと思ったけど、本当は違うんですね。あの人が本物の安西先生です」
「何を言い出すのかと思えば…」
「なぜ安西先生は連れ出されたのか。たぶん拉致されたのだと思っています。ぼくに会わせないためにね」
「妄想だ。この先生は妄想が過ぎる。とても弁護士先生の言葉とは…」
 ニセ安西の言葉に私はニッと笑った。やはり推理は正しかったのだ。
「そうです。あなたは…いや、あなた達は、ぼくのことを弁護士と勘違いしていた。この治療院を紹介してくれたK君は『石岡先生が行く』と言っただけで、とくに職業に言及しなかったんでしょう。ちなみにぼくは作家なんですけど。それはともかく、なぜ弁護士が来ると勘違いして、本物の安西先生と会わせないようにしたのか。この建物は、治療院じゃないんですね」
「な…何を根拠に……」
「ここは、安西先生が個人的なビデオのコレクションを置いてある倉庫なんです。ぼくも最近、資料の本が山積みになって古本屋に売りました。コレクターにとっては増えつづけるビデオの管理は宿命のようなものです。だから、安西先生はこのあばら屋を…失礼、倉庫代わりに使っていたんです」
「だとしたら、なぜ弁護士と会わせないように画策する必要が……」
「たぶん、この土地を高く買いたい相手が現れたのでしょう。安西先生はお金に執着がないか、この建物に執着があるかの理由でそれを断っていた。でも、息子さんやら誰やらは、大金のほうに魅力を感じていた」
「失礼な。証拠はないでしょう」
「ぼくが初めて安西先生にお電話したとき『渡せんものは渡せん』と怒鳴られました。あのときは、借金取りと勘違いされたのかと思ったんですけど、考えてみればお金なら『返せんものは返せん』というはずです。渡せんという言い方は、自分が所有しているものを誰かに譲るときの動詞ですね」
 ニセ安西だけでなく、洋太郎の顔つきも変わっている。
「あなた達が弁護士と思い込んでいるぼくを怖がらせて帰そうと、獣化意識覚醒のツボだとか、化け猫の祟りだとか、いろいろご苦労様でした。あ、そうそう。洋太郎さん、あなたの恋人の美恵子さん。彼女が待合室でネコの鳴き声をしたのは、ぼくが来たことを診療室のあなたたちに知らせる合図でしたね」
「さあね…」
「でも、美恵子さんはあなた達の計画の全てを知っているわけではなかった。ぼくが診療室で経帷子のような格好をして顔にタオルをかけて寝ていたら、彼女はそれを見ててっきり、あなた達が安西先生を殺してしまったのかと勘違いしたのでしょう。昨日、ぼくが聞いた女性の悲鳴はそのとき彼女があげたものでした」
「あなたは想像力が逞しすぎる」
「昨夜の8時過ぎに匿名の女性から110番通報があった」
 初めて刑事の佐々木が口を開く。
「この治療院で事件が起きていると」
「間違いなく、美恵子さんが通報したのでしょう。彼女に聞けば、すべては明らかになります。さて、本物の安西先生はどこですか?」
 事件は解決した。これで悪夢に悩まされることはない。まあ、腰痛とはまだ付き合わなければならないようだ。だが、本物の安西先生が治してくれるだろう。
つづく 「石岡君、腰痛を克服する」おしまい
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