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頑張れ!石岡君
石岡君、腰痛を克服する 2 「石岡君、腰痛を克服する」2 優木麥 石岡君、腰痛を克服する 2

   
…
 あばら屋のような整体治療院。その薄暗い待合室でネコの鳴き声を真似る黒髪の女性。私は腰の痛みを忘れそうだ。
「ぎゃああああー!!」
 今度は悲鳴だった。ただし、女性ではなく男性、しかも待合室ではなく、ドアの向こうの診療室から聞こえてくる。
「うわー痛い、助けてくれ!」
 私は耳を塞ぎたかった。歯医者に行くときも、待合室にいるときに子供の患者の「ぎゃあー」という悲鳴が不安と恐怖をかきたてる。我慢できずに私は耳を塞ぎ、目を閉じてしまった。いい年をした大人がと笑われても構わない。どれぐらい時間が経っただろうか。ドアが開く音が聞こえたので、私は耳と目から手を外す。
「うっ、助けて。ああ…」

 診療室から出てきたポロシャツの男は年配にもかかわらず半べそだった。その脇をスーツ姿の若者が抱えていた。
「ほら、しょうがない。自業自得なんだから我慢しないと」
 若者が年配の男をたしなめている。私は自分にも言われている気がしてうつむいてしまった。
「痛みは一瞬。大騒ぎするんじゃないよ」
 アゴヒゲを生やした白衣の老人が笑っている。彼がこの治療院の整体師なのだろう。若者が去ると、彼の顔がこちらを向く。まるで、次の獲物を狙うハゲタカのようで、私は本気で帰りたくなった。
「石岡先生ですね。ワシが安西です」
「どうも。よ、よろしくお願いします」
「さ、どうぞ」
 安西は診療室のドアを開けて手招く。私はすっかり怖気づいてしまった。何かワンクッション置いてからでないと、安西の治療を受ける気にならない。そのときに思い出したのは、ネコの鳴きまねをする奇妙な女性の存在だ。彼女の方が、私よりも先に待合室のソファに座っていたのだ。
「あ、こちらの方のほうが先にお待ちで……」
 女を指し示そうとした私の手が、空を切る。ソファには誰も座っていなかった。お手洗いに立ったのだろうか。
「何をおっしゃってるんです。7時からご予約いただいたのは石岡先生ですよ」
 安西は意に介さない。
「さあ、どうぞ。大手出版社からの直々のご紹介ですからね。今日はたっぷりと先生の体を拝見いたしますよ」
「よ、よろしくお願いします」
 まさにまな板のコイの気分である。診療室に入った私は、またもや面食らった。まるで理科室のように黒いカーテンが室内を覆っている。
「白い壁、白いカーテン、それではまるで病院に来たみたいで、気が滅入るじゃろ。ウチは患者さんの気分を少しでもやわらげるために配慮しとるのよ」
「え、ええ、まあ……」
 私にとっては、この黒い室内の方がよほど落ち着かない。
「まず動きやすい服装に着替えちゃって」
 安西は折り畳んだ白装束を手渡す。診療台を区切るように黒いカーテンが引かれた。私は手渡された白装束を広げてみると、まるで仏式の葬式で死者に着せる経帷子である。全身を見てもらうには最適だと無理やり思い込んで、診療台を見た瞬間、悲鳴を上げる。
「うわっ!」
 なんと、診療台のシーツには赤い斑点が飛び散っていたのだ。
「どうなされた?」
 カーテン越しに安西が声をかけてくる。私はブルブルと震えそうだった。
「いえ、あの診療台に血みたいなものが……」
「アッハハハ。すみませんな。悪趣味なもので」
「えっ…?」
「ワシは年甲斐もなく、ホラー映画が大好きでね。マニアと自負しておる。そんなわけで、この治療院の内装もいろいろ、それっぽくなってるわけじゃ」
「そうですか。理由がわかれば、まあ……」
 依然として気味の悪さは残るが、私の目的は腰痛の治療である。目的を果たしたらさっさと帰りたい気分だ。
「着替えました」
 経帷子を着て軽装になった私はカーテンを開けた。目の前にいたのは、アイスホッケーのキーパーのマスクを被った男だ。手には巨大な斧を持っている。
「あ、ああああーっ!!」
 自分が何と叫んでいるかわからなかった。こちらに向かって、キーパーマスクの男は斧を振りかぶる。私はその場に腰から砕けてしまった。

           ●

「すまん。すまん。これもショック療法の一種なんじゃよ」
 キーパーマスクを外した安西は何度も私に頭を下げた。私は診療台に横向きに寝てうんうんと唸っている。腰砕けにへたり込んだために、さらに状態を悪化させてしまったらしい。恐怖は過ぎ去ったが、私の痛みは倍増している。
「しゃっくりが止まったり、歩けなかった人がヒョンと立って動けたりね。このショック療法の効果がある患者さんがいるもので、つい…」
 キーパーマスクは有名なホラー映画「13日の金曜日」シリーズに出てくる殺人鬼ジェイソンのコスプレである。ホラーマニアの安西にとっては悪ふざけ半分かもしれないが、こちらにとってはいい迷惑だ。
「まあ、誠心誠意、整体をするので勘弁してください」
 口では殊勝なことを言いながらも、安西の口元はほころんでいる。あんなに見事に引っかかる人も少ないらしい。
「では、まずうつ伏せに寝て」

 ようやく治療に入る。そもそも私はこのために海老名まで来たのである。診療台の真ん中には顔を入れられる穴が空いている。そこに顔を突っ込むと、うつ伏せに寝た。
「整体は初めてですかい?」
 安西の手が私の背骨に沿って何度も指圧をする。
「ええ。そうです」
「お仕事柄、つきものだと思いましたけどね」
「そんなに根を詰めて仕事をしないものですから」
「またまた。先生、北陸は、越後と飛騨の国境の近くに親不知・子不知と呼ばれる難所がございました」
 いきなり安西の口調が講談師のように変わった。
「その名の由来は、語るも悲しい物語。波涛の激しさに、親は子とはぐれたを知らず、子は親とはぐれたを知らず……」
「す、すみません。安西先生、何をなさってるんですか?」
「いやね。先ほど驚かしちまったから、石岡先生にお詫びに、ワシの下手な講談でもお聞かせしようかと思いましてね」
「でも、今の話は『親不知の仇討ち』じゃないですか」
「あ、ご存知ですか」
「怖い話はやめてください」
 私は心底震えている。とにかく、話題を変えようと思った。
「安西先生、先ほどの待合室にいた女性の話ですけど…」
「はっ…?」
「彼女は予約の患者さんじゃないんですよね。治療が終わって、支払を待っていたんですか?」
 私は、まだ彼女の存在が気になっていた。待合室でネコの鳴き声を真似るなんて、あまりいい趣味とはいえない。
「診療室に入る前もそんなことをおっしゃってましたけど。何のことですか」
 安西は怪訝そうに尋ねた。
「ワシひとりで対応しているもんでね。予約はひとりずつしか取れません」
「でも、待合室に女性の方がひとり、いらっしゃいましたけど…」
「さあ、そこがよくわかんない。ワシがドアを開けたとき、石岡先生しかいらっしゃいませんでしたよ」
 私の体を戦慄が貫いた。では、あの女性は何者なのか。確かに私の目の前に座っていて、「ニャオオ」と声を上げた。
「石岡先生、体に力を入れないでください。もっとリラックスして」
 この状態で気を緩められる人間がいたら、お目にかかりたい。
「あ、もしかしたら…」
 安西は突然声を出した。
「何ですか。心当たりがありますか」
「リリアンかも」
「リリアンさんと言うんですか。彼女は」
 私は何とか整合性のある解答が見つかりそうなことを喜んだ。
「ええ。もうすぐ命日だしな」
「はっ…?」
「近所に棲みついていた野良猫でね。ワシがリリアンと命名して、エサをやっとった。だから、筋肉に力を入れないで、マッサージの効果が薄れるから」
「それで、リリアンちゃんは…」
「今日みたいな蝉時雨の強い日だったっけ。いつもの時間になってもエサを食べに来ないからおかしいと思ってた。そしたら…」
 私は唾を飲み込む。
「向かいの道路の脇にな。何かに驚いて飛び出したところを、バンて感じだろうな」
「そ、そのリリアンちゃんと、今日の待合室の女性とどんな関係が…」
「鈍いね石岡先生。化けて出てきたんだよ」
 安西は当たり前のようにそう言った。私の両肩は震えている。こんな恐怖にさらされるなら、家で腰痛を我慢していた方がマシだったかもしれない。
つづく つづく
…
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