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頑張れ!石岡君
石岡君、腰痛を克服する 1 「石岡君、腰痛を克服する」1 優木麥 石岡君、腰痛を克服する 1

   
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 作家の天敵は多い。スランプ、締め切り、返本制度、そして腰痛である。座りっぱなしの作業が体にかける負担は、年月を経るごとに積み重なり、やがては腰を蝕んでいく。しかし、作家という生業を選んだ以上、天敵との戦いも不可避だ。私が戦線から離脱することはない。腰痛を友とし、生涯付き合いながら、執筆に臨もうと不退転の決意を新たに……やめよう。虚像を膨らめるのは、私の本意ではない。腰痛を患ってしまった経緯を正直に記すのが読者に対する誠意というものだ。

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「100冊から家まで引き取りに来てくれるんですよね?」
 私は電話で確認する。通話の相手は古本の買取チェーン店店員だ。
「はい。お客様のご都合のいいときに伺います。お売りいただける本は100冊ですか?」
「いえ、500冊です」
 作家という職業柄、本は毎月、加速度的に増えている。最近では、生活空間さえ侵されそうな勢いだ。とはいえ、本は新聞紙や雑誌のように紐で縛って捨てるわけにもいかない。処分に頭を痛めていたのだが、思い切ってまとめて売ってしまおうと決めた。
 翌朝、店員が引き取りにやってきた。ドアを開けると、台車を用意して立っている。
「こちらです。よろしくお願いします」
 すでにダンボールに詰めて運び出せる状態にしてあった。500冊というとかなりのボリュームで、ミカン箱程度の大きさのダンボール箱で20箱以上ある。
「では、失礼します」
 二人の若い店員は手際よくダンボールを持ち運んでいく。
「我々だけで大丈夫です。慣れてますから」
 私が手を貸そうとすると彼らは笑顔でそう言った。しかし、どうも私は目の前で人が自分のために汗だくになっているのを漫然と眺めていることができない。何かひどく不遜な態度でいるような気分になるのだ。そこで、比較的、小さなダンボール箱に手をかけて持ち上げた。そのときだ。
「うっ、やった…」
 腰がグニョンと伸びる感覚があった。持ち上げた瞬間、骨をウワーンと吊り下げられた気分だった。思わずダンボール箱を取り落としてしまう。
「大丈夫ですか」
 うずくまる私に店員が駆け寄ってくる。私は痛みで声がうまく出せない。ただ、ウンウンとうなずくだけだ。床に転がったダンボール箱からは中身が飛び出していた。水着姿のアイドル写真集ばかりだ。彼女たちの笑顔を見ながら私は激しく後悔している。よりによって重量のある写真集のダンボール箱を選んで持ち上げたことか、取り落としてしまって中身を店員達に見られたことのバツの悪さか。今の痛みにうめく私にはわかるはずもない。

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「ホントに私の腰の痛みが一発で治ったんです」
 電話の向こうでT出版社のKが興奮している。原稿の催促でかけてきた電話だったが、私が腰痛に苦しんでいる事情を話すと、いい整体治療院を知っているという。
「石岡先生、整体師はピンキリですからね。腕のいい先生を選ばないと、やたらに治療が長引くし、下手すれば悪化する危険すらありますよ」
「脅かさないでよ」
「いや、本当の話です。私は石岡先生が腰痛を慢性化させてしまうことは、日本ミステリー界の損失だと危惧しておりますから」
 Kのたとえは大げさだとしても、何より私自身が腰痛に悩まされる毎日なんてゴメンである。
「是非、その整体の先生を紹介してよ」
「海老名なんですけど、横浜から都内に出るのとそんなに変わらないでしょう」
 そんなこともないが、今の私はこの腰の痛みがやわらげられるのなら新幹線にだって乗るつもりだった。なにしろ、腰は人間のすべての行動の基点となるので、座る、立ち上がる、歩くなど基本的な動きをするだけで、ビビッと響くのだ。安静が第一と聞き、なるべく動かないようにしているが、一人暮らしのため、まったく動かないわけにもいかない。
「先方にご紹介しておきますから、なるべく早く行ってみてください」
「ありがとう」
 Kとの電話を切ってしばらくしてから、彼に紹介された「ハウ整体治療院」に予約を入れた。
「渡せんものは渡せんと言っておるじゃろう!」
 電話が取られると同時に怒声が聞こえてきた。
「出るとこに出ても構わんよ、ワシは…」
「あの、すみません」
「えっ…な、なにかね」
 最初の対応がおかしかったのは、たぶん借金取りか何かと勘違いしたのだろう。私が名乗ると、先方はガラリとソフトな口調になった。
「Kさんから紹介を受けてますよ。ぎっくり腰をやっちゃったんだって?」
「ぎっくり腰かどうかは、まだ……」
「いやいや、急激に起こる腰痛を総称して、ぎっくり腰と呼ぶんですよ。椎間板ヘルニアや分離症などが有名ですが、関節ではなく、筋肉やじん帯の痛みでもぎっくり腰と呼んで差し支えない」

「よろしくお願いします」
 私は翌日の夕方に予約を入れた。本音を言えば、今すぐにでも飛んでいって治療をしてほしい気分なのだ。

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 私が「ハウ整体治療院」に着いたのは、予約の時間である7時の10分前だった。外観を見て、まず驚いた。ひと言で表すなら、さびれた民宿である。周囲に建物がなく、あばら屋が一軒立っている。それが目指す治療院のようだ。雨どいは外れ、壁には蔦が絡まり、軒先には錆びた自転車が何台も積み重なっている。引き戸の上に「ハウ整体治療院」の看板が出ていなかったら、とてもここだとは思えないほどだ。
 私の胸の中で激しい不安が湧きあがってきた。こんな廃屋の一歩手前のような場所で開業している整体師に体を預けて大丈夫なのだろうか。念のため、紹介者であるK君に電話してみる。
「あ、石岡先生。もう整体は行かれました?」
「それなんだけどね。今ちょうど、紹介してもらった治療院の前なんだ」
「でしたら、そのまま…」
「ねえK君。確認したいんだけどさ。ここの治療院の先生は、腕が確かなんだよね。建物にはあまり手入れをされないようだけど…」
「石岡先生、本質を見てください」
 Kの口調が熱を帯びた。
「見てくれにお金や気を使っている時間があれば、一人でも多くの患者さんを救いたいと考えている先生なんですよ」
「そうなのかい」
「もちろんです。ラーメン屋だって、店構えばかり立派でも味がダメな店はいくらでもあるじゃないですか。逆に、店は古臭いんだけど、とてつもなく美味しい一杯を作ってくれるところはザラにある。石岡先生、外観なんて関係ないですよ」
 Kに太鼓判を押されて、私はようやく合点がいく。
「わかったよ。紹介してくれたのに変なことを言って申し訳ないね」
「いえいえ、お大事に」
 私は引き戸を開ける。中の待合室は病院というより、ローカル線の駅のそれだった。ソファはあちこちが破れてウレタンが飛び出している。腰痛の患者が多いことを考えると、ちょっと配慮に欠ける気もするが、とにかく私は待合室のソファに腰かける。動く度に起こる鈍い痛みが、整体師との一刻も早い出会いを望んでいる。
 気がつくと、私の前のソファに女性が一人座っていた。薄暗かったので、入ったときにはわからなかったのだ。かなり長い黒髪がソファの背の下まで垂れている。
「ニャアアー」
 今のネコの鳴き声は、確かに目の前にいる女性から発せられた。
「ニャア、ニャアアー」
 女は向こう向きのままネコの鳴き声を続けた。私の背を悪寒が走る。薄暗い待合室に女性の奇天烈な叫びが響くのは、とても怖い。
「あの、ネコをお探しですか」
 私はこの不可思議な現象を何とか常識の範囲に納めたい。きっと彼女はネコを逃がしてしまって、呼びかけているに違いない。そう思いたくてたまらなかった。
つづく つづく
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