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頑張れ!石岡君
石岡君、焼き肉屋に行く 1 「石岡君、焼き肉屋に行く」1 優木麥 石岡君、焼き肉屋に行く 1

   
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 無性に焼き肉が食べたくなるときがある。論理的な理由は浮かばない。テレビ番組で目にした料理を胃が求めることは多い。特にラーメンやカレーなど、手軽に食べに行ける類のものであれば、番組終了と同時に外へ出る。時には、自分で調理することもある。しかし、なぜ焼き肉を食べたくて仕方がないのかはハッキリとした理由がわからなかった。強いて挙げるなら、数日間の私の食卓が魚中心で構成されていたことだろうか。あるいはご馳走を食べたい気分だったのかもしれない。考えてみれば、最近では〃ご馳走〃の定義も変わったらしい。私が子供の頃は、外食イコールご馳走と言ってよかった。さすがに今はその感覚はないが、ご馳走という平常の食事とは別次元の料理に対する憧れは、中華料理とか、フランス料理のフルコースというイメージよりも、もっとシンプルなものだ。焼き肉は、その中でトップに位置する。とにかく、その日の私の頭の中はジュージューと煙を上げている焼肉のイメージで一杯だった。柏原京子の電話を受けたのは、そんな時期である。
「私、ネットで配信するコンテンツを製作する会社を経営しております」
 この京子の言葉の意味が私にはわからなかった。その後の彼女の説明によると、次のような仕事らしい。各企業は自社のホームページにより多くの人にアクセスされることを望んでいる。しかし、単なる商品紹介や会社概要を楽しみにしている人は少数派なので、何か工夫が必要だ。企業によって、その試みはさまざまだという。アンケートに答えてもらえばプレゼントをする場合もあれば、有名人のインタビュー、壁紙ダウンロード、キャラクターグッズの販売などを京子は挙げていた。
「私どもの会社では、そのアイデアから実際の製作までを請け負っている会社です」
「はい」
「それで、石岡先生にもお願いしたいことがありまして、ご連絡を差し上げました」
「何でしょうか?」
 私は受話器を握りながら、少し身構えていた。出版社ではなく、企業からの依頼というのはたまにある。自社の小冊子や社内報にエッセイを書いて欲しいとか、インタビューをお願いしたいなどの類である。あるいは、新入社員に対して講演を頼まれることさえあった。テーマは「限りない可能性を信じて」とか「感性は若いうちに磨け」など仰々しく掲げられ、私はいつも自分がその任にないことを相手に納得してもらうのに骨を折る。今回も、依頼内容を聞く前から私は、すでに八割方断るつもりだった。人間は自分のできることだけをすればいい。柄にもないことに手を出せばろくな結果にならないと、私は数少ない経験で悟っている。
「ネット上でのミステリーツアーを企画しているんです」
 また京子の言葉の意味がわからなくなる。
「はあ…?」
「簡単に言えば、ゲームのようなものですよ。そのホームページにアクセスしてきた人が、探偵役になって事件の謎を解いていくんです。そのテキストづくりに石岡先生のお力をお借りできないかと思うんですが……」
「ゲームですか?」
「ええ」
 二人の間に空白ができた。京子は私が話すのを待っていたのだろうが、私は京子がもう少し説明してくれるのを待っていた。なにしろ、どう質問していいのかもわからない。
「本当にゲームなんです」
 再び京子は説明を始めた。
「そのページにアクセスすれば、文字とイラストで殺人事件が説明されて、その後、プレイヤーに選択肢が示されます。例えばABCと出て『Aが誰かに聞き込みに行く』で、Bは『事件の起きた部屋を調べる』というような感じですね。その選択をくり返して、犯人を当てるというゲームです」
 なんとなくイメージが掴めてきた。
「それで、テキストというのは、そのお話の部分を指します。つまり、人気ミステリー作家である石岡先生に、ゲームのお話の部分、ストーリーに関してお知恵を是非と思いまして……」
 私は身震いする。
「いやあ、私はネットにはとんと疎くてですね」
「問題ありません。石岡先生は、いつもなさっているやり方で、普通にお仕事をしてくだされば結構です。そのストーリーをゲームの形にするのは、私たちがやりますので、ご心配なく」
 京子は引き下がらない。
「ただ……その、ゲームというものを、あまりやったこともないので、それに見合う形でのストーリーというのは自信がありませんし…」
「私どもが完全にサポートしますので、先生にご負担をかけたりしません」
「たぶん、ぼくよりもふさわしい方がいらっしゃるのでは……」
「当社は、最初から石岡先生にお願いしたいと考えております。お忙しいのは存じておりますので、大まかなストーリーラインだけでも示していただければ、こちらの抱えているライターがディテールを固めても構いません」
 私は段々と断る理由がなくなっていた。思うに、断固として引き受けないと決めたのなら根拠のある理由をいくら並べても仕方がないのだ。その根拠に対して、相手も論理的に応じてくるから切り崩されてしまう。むしろ効果的なのは、気が進まないとか、やりたくないからという理由で断る方法である。このように非論理的に断られたら、さすがに相手はそれ以上、押しようがない。だが、私はそんな断り方ができるほどの大物作家ではなかった。ほとほと困り果てる。
「どうでしょう先生」
 言葉を捜している私に、京子が口調を変えて話しかけてくる。
「お電話では詳しい話もできませんから、一度お会いしてご説明をさせていただけませんか」
「は、はあ…」
 そのときの私は二つの気持ちが相半ばしていた。引き受ける気がないのに相手の時間を無駄にしてしまうのではという懸念と、直接会って断れば納得してくれるのではという期待である。私の背中を押したのは、京子の意外な単語だった。
「石岡先生は、お肉はお好きですか?」
「えっ…?」
 ネットだのテキストだのと私からは縁遠い言葉の群れから、突然、興味満点の単語が飛び出してきた。
「お肉ですか?」
「もしお嫌いでなければ、美味しい焼き肉屋があるので、食事でもしながらお話できたらと思ったんですけど」
 さらに出てきた焼き肉屋というキーワードは、私の心を大いに揺さぶった。食べたくて仕方がなかった焼き肉を、思いもかけずに口にするチャンスが目の前にあるのだ。だが、二つ返事で飛びつくほど、私も卑しい人間ではない。
「正直に申し上げますが、お話をお引き受けするかどうかは、あまり可能性が高くなくてですね。せっかくご馳走していただいて、その結果……」
「いやですわ、石岡先生」
 京子が声をあげて笑い出した。
「焼き肉を召し上がっていただくくらいで、石岡先生にお仕事してもらえるのでしたら、毎日でもそうしていただきます。ビジネスはビジネス。当たり前の話です。私はただ、お会いして石岡先生の貴重なお時間を頂戴するのに、少しでも気分良く過ごしていただきたいだけです。そこから先の話は、もちろん先生がお決めになってください」
 そこまで言ってもらっては、もはや私も後には下がれない。
「では、よろしくお願いします」
「本当ですか。ありがとうございます」
 京子は嬉しそうな声を出した。
「焼き肉の美味しい食べ方もお教えしますわ」
 くどいようだが、決して焼き肉に釣られたわけではない。京子のビジネスに取り組む姿勢に感銘を受けた部分が一割、自分の仕事の新たな展開としてネットの話を聞いてみるべきだと思ったのが一割、女性の社長と会う機会は少ないので興味が湧いたのが一割、焼き肉を食べられるという魅力は、残った七割だけである。

                             ●

 京子との待ち合わせは午後4時だった。食事を共にしながらという話だったので、少し中途半端な時間だなと怪訝に思ったのは事実である。昼食にしては遅すぎるし、夕食には早い。考えられたのは、まず喫茶店かどこかで打ち合わせをして、その後、あらためて焼き肉屋へと繰り出すというパターン。あるいは、人気店を予約するのに、その時間帯しか無理だったのだろうかなど、いくらか虫のいい妄想を描いていた。しかし、どれも外れだった。待ち合わせ場所の原宿駅前で待っている私は約束の時間に声をかけられた。
「石岡先生ですか?」
 ヘルメットにウインドブレーカー、スパッツ姿の女性がバイザーを上げた。傍らにはマウンテンバイクがある。
つづく つづく
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