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頑張れ!石岡君
石岡君、野球チームを買う 2 「石岡君、野球チームを買う」2 優木麥 石岡君、野球チームを買う 2

   
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「オーナー会議は、今夜です」
 戸惑う私に構わず、話は流れるように進む気配だ。一刻も早くせき止めなければならない。なし崩し的に草野球チームのオーナーに就任するなど、あとで大問題になることは必然である。
「ぼくは適任ではありません」
「まだそんな謙遜をなさる。こうして『セント・ニコラスのダイヤモンドの靴』というご著書まで……」
 前オーナーになる矢木は、私の本を手にとって感心したように言う。だが、彼らには大きな誤解があるのだ。
「その本は野球とは関わりありません。ぼくは同年代の野球好きと比べて、自分でも不思議なくらい野球に興味がないんです」
「王、長嶋の直撃世代でしょう」
 直撃? 妙な決め付けだ。まさか、デッドボールのことではないだろう。
「別にぼくは王や長嶋の現役時代に、ホームランボールを直撃された経験はないです」
「いやいや、そんな軽いジョークで交わされるとは。さすがはミステリー作家の先生は、変化球好みのテクニシャンですな」
「ぼくは本当のことを言っているだけです」
「わかります。はい」
 どうも話がうまく噛み合っていない。にも関わらず、矢木やマネージャーの角田の態度は、私のオーナー就任が既定路線だ。現在、彼らはチームの存亡という緊急事態を抱えているのに、事態をさらに悪化させる方向に進めている。恐ろしいのは、彼らがまるでその落とし穴に気づいていないことだ。私が野球チームのオーナーになるなど、道行く人から「今日からあなたがスワヒリ語専用のワードプロセッサーです」と認定されたのも同然である。自分の考えている意味がわからなくなってきた。それぐらい混乱している証拠かもしれない。
「こうしてお話していると、ますます我々は石岡先生こそ、我が伝統あるチームを託すに足るお方だと確信していきますよ」
「そ、そんな期待はツラいだ……」
 思わず本音が口をついて出そうになった。「ツラいだけです」と思い切って言いたい気分だった。しかし、相手の頭を下げた頼みをツライなどと言ったら心証を害すことは必至。ギリギリのところで言葉を止めた私は胸を撫で下ろす。
「ツラいだー?」
 言葉を途中で切った私に対して、矢木達が怪訝そうな顔で見つめている。
「忘れてください。いいんです」
 私が次の話題に移ろうとした瞬間、周囲に爆笑の渦が巻き起こった。
「い、石岡先生ったら、こんなシリアスな場面までギャグをおっしゃるなんて。お茶目な方ですね」
「一体、何のことです」
 皆が笑っている真意が私にはわからない。
「ツライだーと、スライダーをかけたんでしょ? そういうセンスは好きだなあ」  意味を説明されてもさっぱりだった私だが、後にスライダーとはピッチャーの球種のひとつで、打者の体から遠ざかる形で曲がる変化球のことだと教えてもらった。
「ともかく、今日中に新しいオーナーを決めない限り、今夜のオーナー会議に間に合いません。馬車道カプリコンズは消滅してしまうのです」
 前オーナーである矢木の顔が引き締まっている。
「環太平洋草野球連盟は、すでに50年を迎えた歴史と伝統のある格式の高い草野球の連盟なんです」
「か、環太平洋……?」
 私は目を丸くする。太平洋を取り囲む地域を環太平洋と呼ぶ。つまり、日本の太平洋岸とアメリカ、カナダ、南米、オセアニアなどの国々を指すのだ。
「ずいぶん国際的な組織に属してるんですね」
「あ、いやあ……正直にいえば、まだ環太平洋の一部の地域しか参加していませんけどね」
「それにしてもスゴイじゃないですか」
「もっと正確に言うと、ごく一部の地域ですね。現在は、まだ神奈川県内のチームしか加盟していませんから」
 私が異を唱えられる立場にはないが、神奈川県しか参加していないのに環太平洋とは、かなりスケールの大きな地域をカバーしている気がする。だが、私は場をとりもつように話題を変えた。
「ずいぶん長くやってるんですね」
 50年も活動しているチームなら草野球とはいえ、メンバーも第二世代、あるいは第三世代まで交代していることだろう。私の驚きにマネージャーの角田が答える。 「まあ、歴史が長いというか、古いというか。そのため弊害もいろいろありまして、機構の運営が本当にガッチガチなんです。連盟に加盟している限り、オーナーが新しく変わるときは、オーナー会議で4分の3の賛成を得ないといけない決まりで……」
「そ、それなら、なおのこと、ぼくなんかでは……」
 私の腰はさらに引けた。どう考えても、野球に詳しくなく、ひと一倍の愛情もない人間がそんな名門クラブから承認されるとは思えない。
「実は、すでに今日まで3人の候補者を立てましたが、いずれもオーナー会議で否認されてきたのです」
「ぼくの出る幕なんかないですよ」
 私はもう泣きそうである。矢木達の要求は無理というよりも無謀の域に達した。スキューバダイビング未経験の私に、一番大きなアワビを獲ってきてくれと依頼しているのと同じレベルである。
「石岡先生、もうあなたしかいない」
 今までの私の言葉など耳に入っていないかの如く、矢木達はこちらをまっすぐ見つめてきた。
「どうか、馬車道カプリコンズの救世主とおなりください」
「あなたたちがやろうとしていることは、チームが消滅するのを早める結果になるだけです」
 なぜ彼らは理解しないのだろう。“オーナー石岡和己”はチームのカンフル剤どころか、致命的な劇毒以外の何者でもない。病人の腕からビタミン剤の点滴の針を外して、得体の知れない化学溶液を点滴の針を刺し込むことだ。
「まあ、聞いてください」
 矢木達は決して引き下がらなかった。
「もし、石岡先生が再三おっしゃるように野球の知識や愛情に乏しかったとしても、私たちの意志は変わりません」
 矢木の言葉に周囲に座る角田達がうなずいた。
「石岡先生の前の3人の候補は、いずれもその面に関しては及第点といえました。とくに1人は県大会優勝の経験を持つ高校野球の元監督でしたし……。それでもオーナー達の承認を得るには至らなかったのです。なぜだかおわかりですか」
 私には想像もつかない。
「他チームのオーナー達は異口同音に『品格のない人物は、認められない』の一点張りなんです」
「品格……ですか」
「そうです。彼らの言い分としては、野球の采配を振るうのは監督。実際にグラウンドでプレイするのは選手。では、オーナーは何をするのか。単に運営資金を出せばそれで事足りるのかといえば、もちろん違うと。つまり、歴史と伝統のある環太平洋野球連盟において、その重みとステータスを担うにふさわしい品格の持ち主であって欲しいと主張するのです」
 そう言って言葉を切ると矢木は頭を下げた。彼にならって他のメンバーもテーブルに額がつくほどに一礼をする。
「石岡先生こそ、馬車道が誇る品格を備えた名士です。どうか、我々のチームのオーナーにその名をお貸しください。お願いします」
 言い終わっても彼らは頭を下げたままだった。私は静かに言った。
「頭を上げてください」
「いいえ、お引受くださるとおっしゃっていただけるまでは」
「頭を上げてもらえないなら、ぼくは帰ります」
 その言葉で、一同はゆっくりと頭を上げた。
「ぼくに品格があるなんて、過大評価もはなはだしいです。しかし、ぼくを信じて必死で頭を下げる方々にはNOとは言えません」
「おう、では……」
「オーナーをやらせてもらいましょう。ただし、今夜のオーナー会議で承認されるかどうかは、まったく自信がありませんけど……」
 そう言った次の瞬間から自分の言葉に後悔していた。厳格な老オーナー達に吊るし上げられる姿を予想できたからだ。今夜、私は針のムシロに座ることになる。
つづく つづく
…
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