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頑張れ!石岡君
石岡君、野球チームを買う 1 「石岡君、野球チームを買う」1 優木麥 石岡君、野球チームを買う 1

   
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「馬車道カプリコンズを買ってください」
 朝から何の冗談だろう。昨夜の私は明け方まで原稿書きに勤しんだ。そのため、午前10時の電話に頭の働きが回らない。ましてや、何かを買ってくれと言っている。よくある勧誘の類だと判断した。
「すみません。それは、もう間に合ってますので……」
「えっ、すでに石岡先生は購入されているんですか?」
 相手の落胆した声が聞こえる。だが、仕方がない。何を売りつけようとしていたのか知らないが、私にとっては必要ないものに違いない。なぜなら必要なモノは私はコンビニで買える物で十分に賄っているからだ。
「ご希望に添えず、申し訳ありません。それでは……」
「待ってください」
 悲鳴に近い口調に私の受話器を置こうとした手が止まる。
「一体、どこのチームを買われたんですか?」
「チーム……?」
「石岡先生がオーナーになった野球チームですよ」
 私には意味がわからない。
「どういうことなんだろう。野球チームって……」
「だって、ウチの馬車道カプリコンズのオーナーになってもらおうと思ったら、さっきもう間に合ってるっておっしゃったでしょ?」
「えっ、野球チームを買わないかって電話なの?」
 私は唖然とする。今までの人生にも、時折「○○を買いませんか?」という誘いは受けてきた。そのほとんどは「ゴールド」や「マンション」、または「会員権」、珍しいモノでは「駅から徒歩20分の場所に建設予定のピラミッド」などもあった。それらはいずれも高額商品だ。なぜ私を資産家などとカン違いするのかわからないが、とにもかくにも、書店の棚にそれなりの数の本が並ぶ作家ということで、誘いをかけてくるのだろう。それにしても、今回の「野球チーム」というのは、群を抜いている。金額においてはダントツの1位だろう。
「ちょっと、電話をかける相手を間違ってるんじゃないかな」
 私は冷静にそう言った。
「とんでもない。僕たちは是非、石岡先生にオーナーになっていただいて、馬車道カプリコンズが消滅するのを避けたいんです」
「ぼくはしがない小説家だよ」
 相手の根本的な認識の間違いを正さなければならない。
「野球の球団を買うお金なんてあるわけないよ」
「そんなことはありません。石岡先生でなければ駄目なんです。馬車道カプリコンズは、もう20年間も馬車道のフランチャイズ野球チームとして活躍してきました。それが、いま経済的危機によって……」
「そちらの厳しい事情はお察ししますけどね」
 私は早く電話を切って睡眠不足を補いたい。
「野球のチームを持つには、30億円だか60億円ぐらいかかるんでしょう。ぼくが何回も輪廻転生しなければ手に入らない金額だよ」
「待ってください石岡先生」
 相手の切実な叫びが、どうしても私に電話を切らせない。
「カン違いされているのは石岡先生です。僕達はただの草野球チームですよ。プロ野球の球団を買う話とは全く違います」
「えっ、そうなの……」
 てっきり自分とは無縁の浮世の話だと思い込み、冷たい態度を取っていた私はバツが悪くなる。
「なんかゴメンなさいね。ぞんざいな言い方をして……」
「そんなことは構いません。とにかく、一度話だけでも聞いてください。それで石岡先生がお断りするのは自由ですから」
 そう言われてしまうとこちらも会うのさえ嫌だとは言いにくい。仕方なく、私は馬車道カプリコンズのメンバーと喫茶店で会うことにした。


「私が馬車道カプリコンズの2代目オーナー、矢木です」
 アゴヒゲをたくわえた初老の紳士が私に名刺を差し出す。
「会社を経営されているんですか?」
「まあ、大企業の下請けですけどね。来月には引退して息子に任せようと思っています」
「では、あとは悠悠自適に草野球を……」
「それが、本社を都内に移転することになりまして。元々、馬車道カプリコンズは私の父が創設者なんですけど、草野球チームとはいえ、今では馬車道の地元の公共資産と言っていい。それを都内に引っ越してしまって、なかなか練習や試合を見ることもできない私がいつまでもオーナーというのはいかがなものかと思いましてね」
「でも、それだけ深く関わってこられた方が……」
「チームの選手も何度も世代交代をしてきました。フロント陣もつねに新陳代謝を図るべきだと考えています」
 そうマジメな顔で主張するマネージャーの角田はまだ20代だ。彼が私のところに電話をかけてきた。
「そこで馬車道と言えば、石岡先生。地元の名士にオーナーになっていただけたらとお願いしている次第です」
「いや、馬車道といえばぼく、という前提からして納得できません。それはともかくとしても、野球チームのオーナーなんて無理です。皆さんがお考えになっているほど、ぼくは裕福なわけではないんですから」
「資金面に関してはご心配なく」
 角田が大きくうなずいた。
「石岡先生は、一口馬主という制度をご存知ですか」
「一口馬主…?」
「ええ、一人の人間が馬主になるには確かに相当なお金がかかります。そこで、一頭の馬を複数の人間が共同出資することで養おうと言う制度です。その馬が勝てば、出資金に応じて分配されます」
「ほう、なるほど……」
「これを応用しました。馬車道カプリコンズはひと口オーナーを募ることにしたのです」
「ああ、ではぼくもそのうちの一人…?」
「正確には筆頭オーナーをお願いしたいのです」
 角田は当たり前という口調で言った。
「ひと口オーナーと言っても月に5000円ずつの出資をお願いしている方がほとんど。その人数は相当数に上ります。でも試合や、何かを決める度にその方々に足を運んでもらうわけには行きません。そこで、便宜上、筆頭オーナーを据えようと決めたのです」
「それが、ぼくですか」
「ええ。石岡先生なら誰もが納得します。是非お願いします」
「無理ですよ」
 私は即座に断った。
「もっと野球のことを詳しい方とか、オーナーにふさわしい方にお願いしてください。ぼくなんて野球の知識も乏しいし、お力になれません」
「それは謙遜にも余りありますね」
 何の根拠があるのか、自信満々に角田はそう言った。
「どういうことでしょう。ぼくは本心を申し上げているのですが……」
「石岡先生は野球に関して深い造詣をお持ちです」
「本人が違うと言ってるのですから……」
「では、どうして野球の用語を書名に使われたりするのですか」
「そんな本を書きましたっけ?」
 野球に関する本など書いた覚えはない。その私の疑問に、角田はテーブルの上にその本を出すことで答えた。
「これは石岡先生がお書きになった本ですよね?」
 テープルの上には私の長編「セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴」が載っている。
「靴とダイヤモンドの組み合わせと言ったら、野球以外にないじゃないですか。ホームベースを中心としたダイヤモンドを靴で踏みしめる。これは野球ファンだけが気づくメタファーです」
 あまりに強引な論法に私はどこから突っ込んでいいのかわからない。
つづく つづく
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