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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡君、大相撲に挑戦する」2 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

     
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 四股を踏むのは、見た目より何倍もキツイ運動だった。ゆっくりと片足を持ち上げて、またゆっくりと下ろす。足の筋肉が早くもプルプルと震えだした。何の因果か土俵でぶつかり稽古を繰り返している若い力士たちの脇で、私も白い稽古廻しを締めて何度も四股を踏むことになってしまった。見るのとやるのとでは大違いである。十回を過ぎたあたりから汗がタラタラ。目の前はクラクラ……。だが下手に休めない。親方たちが厳しい目で稽古を見守っている。ましてやギャラリーが多いため、気合も入っているようだ。 「あたれ、もっと当たっていけ」とか「それで力入れてんのか」と怒号が飛ぶ。
「疲れたら言ってください。無理しなくていいですよ」
 かたや私の側には内弁慶がつきっきりで教えてくれている。
「み…水を飲んでもいいですか?」
 ほんの十五分足らずの稽古で、私は息も絶え絶えの状態である。
「お持ちしますよ。おい、誰か……」
「いえいえ、自分で飲んできます」
 私は稽古場から出た。たしかに水分補給の必要は差し迫っていたが、同時にあの殺気だった空気から逃れたい気分も強かったのだ。大体、なぜ私が廻しまで締めて稽古に励まなければならないのか、いまだに納得できない。炊事場で忙しく働く若手力士からコップ一杯の水をもらい、喉を潤した。水が美味い。身体は正直である。運動不足な生活をしていると、一杯の水の味がわからなくなってしまう。そのまま稽古場に戻らず、廊下で息をついて一休みした。
「ヘーイ」
 私に声をかけてきたのは外国人だった。ニコニコして、ちかづいてくる。ぺンとカメラを持ち、腕には「取材」の腕章をつけている。どうやら記者のようだ。基本的に外国語がわからない私は、助けを求めるように周囲を見回すが、誰もいない。
「マイネーム イズ ロバート・ハインライン」
 自己紹介され、私は何度も頭を縦に振った。
「アー ユー ナベブギョウ?」
 相手の質問に思わぬ単語が入っていて苦笑する。私がちゃんこ鍋との対決で、この場では鍋奉行として、浸透しているとは思わなかった。
「イエス アイ アム」
 これぐらいのレベルが私の英語力で対応できるギリギリのラインだ。
「ウィル ユー ファイト スモウレスラー?」
 重ねて質問を受けるが、鍋奉行と答えた私への質問なので、本日のちゃんこ対決をファイトというニュアンスで使っているのだろう。再び同じ答えを返す。
「イエス アイ アム」
「オー、イェー」
 親指を立ててこちらに合図するので、私も応えなければ悪い気がして、同じ動作をする。
「オッケー、カモン。カモン、イェー」
 ロバートは満面の笑みで私に手招きをする。どういうことだろう。彼が今回のちゃんこ対決に関わっているのだろうか。いくつかの疑問が湧いてきたが、鍋奉行として呼ばれている以上、また彼とのやりとりの流れからもついてくしかない。ロバートに連れて行かれたのは、稽古部屋の横の和室だった。そこには廻しをつけた四人の大男がいた。全員が外国人である。ロバートは居並ぶ四人の外国人力士の一番左端を示した。
「あの……ぼくは…」
 とりあえず言われるままに座ってみたが、落ち着かないことこのうえない。一体、私はこれからどうなってしまうのだろう。人を勝手に呼んでおきながら、ロバートは部屋から出て行ってしまった。取り残される形になった私は、さきほど静まった心臓の鼓動が激しく鳴り出している。同席している外国人力士達は、まさにコンセントレーションの最中といった様子でとても話しかけられる雰囲気ではない。襖が開いて、何人かの人が入ってきた。
「あれ石岡先生。なにをやってるんですか?」
 このときほど私は美津子の声がありがたかったことはない。 「桐生さん、いいところへ。実はぼくにも何がなんだかわからなくて…」
 美津子はタマラントアマラン国の太子の取材をしていたらしい。私を指差しながら早口で関係者と会話を交わしている。しばらくして、ようやく美津子がこちらにやってきた。
「先生、もしかしてご自分のことを"鍋奉行"って、名乗られました?」
「う、うん。まあ…」
「日本のスモウレスラーと戦うと答えました?」
「……一応ね…」
 美津子はまあといわんばかりに目を大きくする。
「石岡先生は、タマラントアマラン国の代表選手のひとりになっちゃったみたいです」

                   ●

「相撲好きな太子が、今回の来日で母国の力士を連れてきていたんですね。それで日本の大相撲の力士と対抗戦をやりたいと。その意向を受け入れたのが、この空元気部屋です。ところが今朝になって、一人の力士が食べ物が合わなかったみたいで、体調不良を起こしてしまった。四人では対抗戦として格好がつかないのでどうしようと協議していたところなんですね。そこへ、鍋奉行を名乗る石岡先生が現れたから、メンバーに加えられて、現在に至るって感じです」
 美津子の説明を聞いただけでは、とても私には納得できない。
「な……鍋奉行が…どうしてですか」
「その倒れた力士の四股名が"鍋奉行"なんです。日本人の私達からすると奇異に聞こえるけど、あちらの国の人からすると見栄えのいい熟語は…」
「だからって、ぼくが日本とタマラントアマラン国の対抗戦に出るのは、もう…メチャクチャな話でしょう」
「おっしゃる通りです」
「桐生さんもそう思いますよね。でしたら、ちゃんと先方に説明をしてください」
「今からの辞退はマズイんじゃないかなあ」
 美津子は胸の前で軽く腕を組み、難しい顔をしている。
「なぜです。ぼくは単なる勘違いから……」
「そうだとしても、太子の耳に入ってしまいましたからねえ」
 タマラントアマラン国側の控え室になっている部屋の隅で、私と美津子が言い争っているのを、不審そうに太子達御一行が見ている。
「誤解とはいえ、鍋奉行が来たと聞いて太子はえらいお喜びようでしたから。やっと対抗戦ができると、はしゃいでましたよ」
「でもぼくは日本人だし、相撲なんか取ったことないんです」
「石岡先生。ここはもうあきらめましょう。日タマ親善のためですから」
「無茶を言わないでください。かえって悪化しますよ」
「まあ落ち着きましょう。私も何とかしてみます」
 美津子が太子達の下に交渉に行った。私には何を話しているのかわからない。とにかく私をメンバーから外すことを認めてくれることを祈るしかない。ニ、三分で美津子は戻ってきた。
「先生、話がまとまっちゃいましたー」
「本当ですか。ありがとう」
 私は肩に担いでいた一トンほどの荷物を下ろせる気分だ。
「じゃあ、ぼくはもう着替えてきます。こんな格好をしてたら、また誰かに勘違いされますし…」
「いえいえ、それはいけません」
「どうして?」
「石岡先生は、タマラントアマラン国のチームの大将ですから」
 下ろしたはずの荷物が再び私の両肩にのしかかってきた。
「えっ……事情を説明して、抜けさせてもらったんじゃないんですか?」
「とにかくここまできたら、対抗戦をやらなければ納まりませんよー」
「無謀です。ぼくにとっては自殺行為だ!」
 思わず私は声を荒げてしまう。
「大丈夫、大丈夫。考えてもみてください。タマラントアマラン国のチームは、国中で最強の4人なんですよ。いわば精鋭です。かたや空元気部屋には横綱、関脇がいるとはいえ六十ちかい部屋のひとつから選ばれたメンバー。日本代表というわけではないし」
 美津子の言葉にはほんの少しだけ説得力が宿っていた。
「さあ、石岡先生。ご覧ください。タマラントアマラン国の戦士の雄姿を! スタンダップ"回転寿司"!」
 美津子の合図で、ひとりの力士が立ち上がる。雲をつくような大男という言葉がふさわしい巨漢だった。私に向かって「ウガーッ!」と吠える。味方だと考えるとこのうえなく頼もしい。それにしても四股名が"回転寿司"とは…。もう少し意味まで調べてから命名すべきだという気がする。"不良債権"、"塩分控えめ"、"非通知認定"…など絶句するような四股名の力士達が次々と立ち上がっては自己アピールをする。四股名はともかく、彼らの筋肉、闘争心を見ていると、さきほど稽古部屋にいた力士達が勝てるとは思えなくなっていた。
「ハワイ出身の力士達の強さはご存知ですよね。彼らも南国タマラントアマラン国で太陽と海に鍛えられた、筋金入りの戦士たち」
 いつのまにか美津子が同国のスポークスマンのようになっているが、言葉に誇張はない。四人のうち三人の身長が2mちかく、一人は完全に2m以上ある。
「彼らがチームメイトなのに、何を恐れることがありますか。試合は勝ち抜き戦ですから、とても石岡先生まで順番は回りませんよ。いや、うまくいけば最初の二人ぐらいで全員片付けてしまうかも」
 正直に言って、私は一種の高揚感にすら包まれていた。絶対安全と保障されると、ちょっとしたスリルを味わってみたくなるものである。
「じゃあ、やってみようかな」
「そうこなくっちゃ」
 美津子は大声で私の参戦を一同に伝える。期せずして爆発したように大合唱が始まった。
「ターマーラント アーマーラン! ターマーラント アーマーラン!」
 その場の空気とは恐ろしいものである。理性を麻痺させてしまう。気がついたら、私も一緒に「ターマーラント アーマーラン! 」と拳を突き上げていた。

                     ●

「それにしても……」
 私はため息混じりに一旦言葉を切った。
「よくぞ、ここまで負けたものですねえ」
 あきれるとともに、絶望的な笑いすらこみ上げてくる。まだ対抗戦が開始されて十分も経過していない。ところが、タマラントアマラン国はすでに四人の力士が負けを喫してしまったのだ。先鋒の"回転寿司"、次鋒の"不良債権"、中堅の"塩分控えめ"、副将の"非通知認定"まで見事なまでに完敗である。 「どうなっているんですか?」
 傍らの美津子に恨み言のひとつも言わずにいられない。事前の打ち合わせでは、最初の一人、二人で全勝という景気のいい話だったはずだ。それが完全に逆転している。空元気部屋の先鋒を務める"無鉄砲"ひとりに片付けられてしまった。たしか無鉄砲はまだ幕下の力士である。
「これが勝負の厳しさということですねえ」
 美津子は感心したように言う。
「そんな悠長なことを言われても困ります」
「戦いの世界は水物。絶対はありません」
 結局、体力や体格があっても、土俵の上のテクニックの部分で、やはり日本側に一日の長があったということだろう。ちなみに私の膝は中堅が負けた辺りからずっとガクガクと骨の関節がきしむほどに震えている。

つづく つづく
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