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頑張れ!石岡君
石岡君、サッカーチームの司令塔になる 3 「石岡君、サッカーチームの司令塔になる」3 優木麥 石岡君、サッカーチームの司令塔になる 3

   
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 優勝戦を前にして、最悪の出来事だった。東京ヴァーゴの名将パストラミ監督が、サッカーに関する記憶を一時的に喪失してしまったのだ。
「自分の名前や、基本的な生活習慣などは覚えているのですが、サッカーに関することはボールの形からルールまでまったく覚えていません。ただし、これは一時的な症状ですから、普通に生活していても徐々に回復してきます。以前、ロッククライミングで事故に遭った友人が同じ症状になりましたが、問題なく回復しました」
「それは事故から、どれぐらい経ってからですか?」
「半年ですかね」
 キムラの言葉に涙を見せたのは、瑞穂だ。
「監督、ゴメンなさい。私がもう少し素直に指示に従っていれば…」
「ダメよ瑞穂。自分を責めるのはよしなさい」
「だけど、みんなにだって申し訳ないわ」
 瑞穂の涙は止まらない。確かに素人の私の考えでも、名将といわれた監督がまったく指示が出せないことは大きなハンディである。また得体の知れない犯人から東京ヴァーゴが狙われているという事実も選手たちに動揺を呼ぶだろう。
「とにかく、お医者さんに連絡を……」
「ダメ!」
 瑞穂が強い口調で叫んだ。
「じゃあ、とにかくホテル側には…」
「ダメ!」
「瑞穂さん。これだけ危険で重大なことを隠しておくわけにはいかないよ」
「お願いです石岡先生」
 瑞穂が深々と頭を下げる。
「私が爆弾で狙われたなんて知ったら、きっと父は明日の優勝戦を中止にするでしょう。そして、12宮リーグを解体します。スキャンダルを避けるために二度と私を日の当たるところに出しません。サッカーをやらせず、父の選んだ誰かと結婚させます」
 彼女の真っ赤な目は真剣そのものだった。
「だけど……」
「石岡先生、瑞穂のお願いをきいてあげて」
 里美も友人に加勢する。瑞穂はまっすぐに私の目を見ていた。
「明日の試合には、いろいろな意味があるんです。私は人生を変えたい。これだけ注目されている大会やリーグが私のスキャンダルで潰されたら、せっかく気運が盛り上がってきた女子サッカー界が、また不遇の時代に戻ります。大げさかもしれないけど、明日の優勝戦には女子サッカー界の未来がかかってるんですよ」
「瑞穂さん……」
「お願いします石岡先生。私から…サッカーを取り上げないで…」
 ズドンと胸を打つ真摯な態度だった。日本の女子サッカーの至宝と言われた選手が「サッカーをやりたい」と私に頭を下げている。もはや私に言葉はなかった。
「わかりました。わかりましたから、頭を上げてください」
「石岡先生、ありがとう」
 瑞穂が嬉しそうに私の手を握る。
「ただ監督の問題はどうしますか?」
「そのことですが、ひとつ提案があります」
 黙って私たちのやり取りを見ていたキムラが静かに言った。
「パストラミ監督の現役時代のユニフォームを持ってくれば、彼の記憶が早く戻る可能性があります」
「どういう意味ですか?」
 キムラの説明はこうだった。パストラミと同じ症状になった友人も記憶を取り戻したのは、ロッククライミングを再びやり始めたときらしい。つまり、精神状態がピークになっていたシチュエーションに身を置くことで、記憶は一気に戻る可能性が高い。パストラミも明日のフィールドに現役時代のユニフォームと共にあることで、記憶を取り戻せるのではというのだ。
「素晴らしい。やってみる価値がありますよ」
「では、私が監督のユニフォームを取ってきます。監督の奥さんは少々気難しいので、気を許した人間にしか、大切なユニフォームを渡さないでしょう」
「お願いします」
 希望の光が見えてきた私たちの表情は明るくなっている。
「明日の試合に間に合うかギリギリだと思いますので、それまで代わりの通訳を用意しておいてください」
 キムラの妙な言葉の意味を私は質問した。
「あの……どちらまでユニフォームを取りにいかれるんですか?」
「韓国です」

                                ●

「石岡先生しか適任者がいないんだから仕方ないのよ」
 里美が諭すように私に言う。だが、納得できるはずもなかった。キムラはすでにホテルを後にしているが、明日の試合までの監督の通訳を、なんと私にやれと言うのである。
「大丈夫よ。フランス語ができる必要はまったくないんだから」
「そういう問題じゃないよ」
「私からもお願いします」
 瑞穂が頭を下げた。
「ええ、ただ…」
「この件を隠し通すということに同意したんだから、先生も責任を持ちなさいよ。他の人に頼むわけにはいかないの」
 里美の言葉には一理ある。
「監督の言葉を訳すわけではなく、適当にとりつくろってもらえれば、戦略的な部分はキャプテンの私がすべてやりますから」
 二人の女性に言われては私も拒否しきれない。不承不承、引き受けようと思っていたとき、ドアがノックされた。室内に緊張が走る。
「監督、キャプテン、こちらにいらっしゃるんですか?」
 その声を聞いた瑞穂が笑顔を見せた。
「チームメイトです」
「ああ、よかった」
「ちょうどいいから、石岡先生を新しい通訳だと紹介しましょう」
「それがいいわよ。ね、石岡先生」
「うん。わかった」
 私はうなずくしかない。だが、この部屋の様子を見せるのはマズい。爆風の影響があるし、一目でトラブル発生を悟られてしまう。ドアを開けて、私達は出て行くことにした。

                                ●

「…ということで、キムラさんの代わりに明日は石岡先生に監督の通訳を務めていただきます」
 ホテル内の会議室に集まった東京ヴァーゴのメンバーの前で、私はついに「通訳」として紹介されてしまった。選手たちは何の疑念もなく説明を聞いている。
「えー、石岡と言います。短い間ですが、よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす!」
 私の拙い挨拶に対して、選手たちは声を揃えて頭を下げてくれた。ジャージ姿の男性が私の前に立った。
「私はコーチの牧原です。よろしくお願いします。では、これが初仕事になります。光栄ですね」
 牧原から私は何やら人の名前の並んだリストを手渡される。
「では監督。明日のスターティングメンバーを発表してください」
 コーチが監督に促すが、パストラミはぶつぶつと呟いている。サッカーに関する記憶がなくなっている以上、問いに答えられるわけもない。
「あの…石岡先生」
「はい?」
 怪訝そうな視線が私に集まっている。牧原が苦笑しながら言った。 「早く監督に通訳してくださいよ」
 私の顔から血の気が引いた。だが、ここでつまずいてはみんなの努力が無駄になる。私は勇気を振り絞った。もうやれるところまでやるしかない。
「シューク・リー・ムエクレ・アー、エッフェル…」
 適当な言葉を並べると、パストラミが笑顔でこちらに返事をしてくれる。みんなの期待の目が私に向いていた。
「さあ、スターティングメンバーを発表してください」
 牧原に促されるが、実際は私が答えなければならないのだ。とはいえ、私が知っている選手名は早乙女瑞穂だけである。
「えー、キャプテン早乙女瑞穂さん」
「おー」
 パチパチと拍手が巻き起こった。その後の名前は私には誰一人わからない。仕方がない。私は渡されたリストの名前を上から順番に読んでいく。
「西本晴海さん、工藤かずみさん…」
 最初は選手たちの歓声が上がっていたが、すぐに不穏な空気に変わってしまう。小声でコソコソと私語を交わし始めた。私は汗びっしょりだ。なんとか十一人の名前を呼び終わる。それを待っていたかのように選手から質問が起こった。
「どうして、ゴールキーパーが二人も出るんですか?」
つづく つづく
…
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