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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡君、選挙出馬を要請される」4 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

   
…

「文部科学大臣の席を用意するのなら、いかがかな?」
 大賀の目に凄みが宿っている。
「もちろん、当選後すぐにというわけにはいかない。将来的にという長期の話です。もしあなたが望むのが、そういうポストであるなら、出来る限りの譲歩はしますよ」
 私はとっさに言葉も出ない。大賀は私が好条件を引き出すために、わざと不出馬をほのめかしてゴネていると勘違いしているのだ。
「石岡先生、スパッといきましょう。腹の探りあいばかりしていたって話は進みませんよ。何か条件をおっしゃってください」
「いや、そういうわけでは…」
「これは参った」
 大賀はおどけて自分の薄くなった頭に手をやる。
「先生ほどの交渉上手は野党にもいません。どんなに口先ではキレイ事をさえずっていても、本心に欲望のかけらがあれば、どうしたって物欲しそうな態度が見え隠れするもの。しかし、あなたからは毛ほども感じられない。まるで本心から無欲みたいだ」
 ここで大賀は大げさにため息を吐いて見せた。
「私たちに無欲さや清廉潔白ぶりをアピールすることにあまり意味はありませんよ。むしろあれが欲しい、これぐらいが希望だと具体的に挙げてもらった方がお互いにやりやすい。そこで、ぶっちゃけた話、石岡先生が望んでいるのはオカネですか。それともポスト?」
 テーブルの向こう側からにゅーっと身を乗り出してくる大賀に、私は後ろに身体を引いてしまう。
「ですから、私は何も望みません。選挙への出馬自体を望みませんから…」
 その答え以外には何の選択肢もないのだ。
「これは厄介だ」
 天を仰いだ大賀は、メガネを外すと、新しく運ばれたオシボリで顔をゴシゴシと擦る。
「本心です。私は今の生活が気に入っているのです」
「ご高説はもう結構!」
 大賀が一喝する。
「あなたは相当腹が据わっている方ですな」
「いいえ、とんでもない」
「いやいやどうして。これがイヤだ食べたくないとくり返していれば、いつかは見たこともないご馳走が目の前に並ぶとでも思っているのかね」
 私は声を失う。
「石岡先生の選挙区は神奈川一区だったな、若月」
「ハイ、神奈川県横浜市中区ですから一区になります」  そうだったのか。私自身は初めて知った。
「ご存知でしょうが、今の総理は神奈川県の出身。横浜などまさにお膝元といっていい。つまり万全なんですよ。選挙のバックアップとしては申し分ない形でご協力できる。そのうえ、この"鬼の雷三郎"の手をここまで焼かせた石岡先生に敬意を表しましょう。選挙資金の面でも、かなりのフォローをいたします。それでいかがか?」
 私には緊張を通り越して、だんだん茶番に思えてきた。絶対に行く気がない海外旅行に関して、いくらファーストクラスだろうと、宿泊が一流ホテルだろうと魅力的な条件とはいえないはずだ。
「きわめて近い将来、文部科学大臣として登庁する自分の姿を思い浮かべてください」
「いいえ、すみません。誠に心苦しいのですが、このお話をお受けすることはできません」
「わかりました。文芸を通じて終生大衆に尽くす、というわけですな。それも生き方だ」
 鷹揚に大賀がうなずいた。
「本日はご足労をいただき、ありがとうございました。若月」
 目配せされた若月が私にA4サイズの茶封筒を差し出した。中には書類が詰まっている。
「これは…?」
「本来、石岡先生にお受けいただいた場合に、記者会見で発表していただく予定だった出馬表明の草案です。せっかくですから帰りの道中にでもご覧になってください」
 若月が笑顔で説明した。断るという結果は同じだが、これで彼の面目は立ったと思う。私は大賀に丁寧に頭を下げて、料亭「臨月」を後にした。ハイヤーまで若月が見送ってくれる。
「せっかくの君の意向に添えなくてゴメンね」
 私は彼にも頭を下げた。
「いいえ、よしてください。私にはもうこれで十分ですから」
 若月は屈託なくそう言ってくれた。ハイヤーに乗り込むのは、私一人。さっき手渡された「決意表明」を早速、取り出してみる。その内容は次の通りだった。
「私、石岡和己は、地元横浜市の皆さんと、全国のミステリーファンの声援を受け、この度の参議院選挙に○×党所属で立候補することをここに表明いたします。 "ノーモア密室政治!"今回、私がみなさんに訴えかけたいのは、この一点です。ご存知のように私自身は文芸という芸の世界を通じて思考してきましたが、あまりにも現実の政治は"密室"で行なわれすぎています。談合、国防、憲法の問題、機密費の使い道など、なんと密室で決まることばかりなのでしょうか。密室で行なわれるのは、殺人だけで十分です。いや、これは少し言葉が足りませんでした。もちろん小説の中での話です。現実には密室で行なわれることはない方がいい。実際、江戸時代の我々の住居には、基本的にカギなどかかりませんでした。それでも何の問題もないほど治安が安定していたのです。007シリーズで有名なイアン・フレミングの作品の中の日本の描写で『住居が紙と木でできている』という表現があります。なんと素晴らしいではありませんか。もう一度、言います。 "ノーモア密室政治!" その実践のために働くことこそが21世紀の語り部のあるべき姿の一つだと思い、ここに出馬を表明する次第です。」
 一読した私はゾッとした。こんな破綻した内容を全国の記者の前で発表するかもしれなかったと想像すると、言葉が出ない。大体、密室政治をなくすと言いつつ、だんだん密室そのものをなくしたいという論法に変わっている。実際、密室ではなくオープンな屋外で談合して決めても、それは"密室政治"と呼ばれるのだ。ましてや、江戸時代の住居の話なんか完全な脱線である。やれやれと思いながら、私は茶封筒に書類をしまおうとするとまだ底に一通の封筒が入っているのに気が付いた。取り出して中身を見ると、小切手が入っていた。金額が書き込まれ、サインもされている。
「一、十、百、千…さ、三百万円!」
 私は座席で腰を抜かしそうになる。封筒にはさらに便箋が一枚入っていた。
「文部科学大臣として登庁を」
 そう走り書きされている。こういうときの私の行動は早い。
「運転手さん、さっきの料亭に戻ってください」
 ハイヤーで料亭に着くと、私はすぐに大賀の部屋に案内された。私と対面したときの部屋とは別室に移動していたが、私を覚えていた女将が便宜を図ってくれたのだ。三百万円などという大金は、たとえ親からでももらう気はない。
「息せき切ってどうなさいました、石岡先生。もしや心変わりしていただけたとか」
 大賀は私の見知らぬ年配の紳士と会談の最中だったようだ。フルコースの料理がまた一から供されていたが、大賀はまるで初めてのように食している様子。政治家になるにはバイタリティが必要と見える。しかし、走ってきた私の方は息も絶え絶えで言葉が文章としてまとまらない。
「登庁、と…ちょう…」
 さすがに他人がいる席で、ぶしつけにお金の話などできないため、まず登庁をしないということを伝えようと思ったのだが、口の中はカラカラで言葉にならない。
「女将、先生に水を…」
 大賀がその指示を言い終えないうちに、部屋の中にいた仲居の一人がバッと身を伏せた。
「ほんの出来心です。申し訳ございません」
 一瞬、室内は何が起きたのか誰も事態を把握できない。
「名探偵の石岡先生の目はごまかせないと悟りました。たしかに、私が盗聴しておりました。恐れ入りました」
 仲居は着物の懐から小型の盗聴マイクと機械を取り出すと、畳の上に置く。名前を出された私だが、何のことやらわからずにポカンとしてしまう。とりあえず、目の前に差し出されたグラスの水を一息に飲み干す。
「誰に頼まれた?」
 大賀がドスの利いた声で尋ねる。大物だけあってこういう修羅場には何度も遭遇しているのだろう。仲居が震える指で示したのは、秘書の若月だった。

 事の顛末はこうだ。政局を左右する力、いわば切り札を握りたいと常日頃から思っていた若月は、料亭で与党の大賀と、野党第一党の実力者が密会することを知り、その内容を盗聴しようと試みた。参議院選挙前にそのテープが入手できれば、まさに政局を動かすことが出来たかもしれない。ちなみに、私はそんな事情も、仲居が盗聴しようとしていたことも、同席していたのが野党の代議士であることもまるで知らなかった。ただうわごとのようにつぶやいた私の「と…ちょう」の言葉が「盗聴」の告発と勘違いされて、後ろめたさを持つ仲居に過剰反応されたというわけだ。
「どうされるんですか?」
 一緒に料亭を出た若月に、私は尋ねた。
「当然、大賀の秘書はクビですね。まあ、彼と別の派閥に移れればいいんですけど…」
 彼の顔にはある種の諦観が浮かんでいる。たしかにスキャンダルを利用しようというやり口はスマートとはいえなかった。しかし、彼の計画の露見には、私自身も無関係ではないので、何となくこのまま終わってほしくない。
「どうってことないさ。もっとひどいことだってあった」
 突然の私の言葉に、若月は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに意図が通じる。
「映画の『ワグ・ザ・ドッグ』の私の好きなプロデューサーの台詞ですね」
「若月さんが政治家になって、今度こそ実力で政局を変えてください」
「そんな簡単におっしゃらないでください。野党第一党の大物からも目をつけられましたから、下手すれば無所属…」
「人はみな己自身にしか帰属しないものだよ」
「えっ?」
「…と御手洗がよく言っていたものです」
 しばらく考え込んでいた若月は意を決したように顔を向けた。
「私が無所属で出馬するときには、石岡先生に応援していただけますか」
 珍しく気分が高揚していた私はカッコいい言葉のひとつも口にしてみたくなった。
「ひとつ条件があります」
「もしかして、ノーモア密室政治ですか?」
 完全に読まれていたようだ。照れる私と若月はお互いに笑いあった。

つづく おしまい
…
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