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頑張れ!石岡君
石岡君、選挙出馬を要請される 1 「石岡君、選挙出馬を要請される」1 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

   
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「"密室"政治の謎は私が解きます! いしおかかずみ」
 そのポスターを目にした瞬間、私はテーブルの下に隠れたい気分になった。そこには、国会議事堂の模型にルーペを近づけている男が写っている。認めたくはないが、どうも私のようだ。衣装は噴飯物といっていい。誰にとってという問いはさておくとしても…。ポスターの中の私は狩猟用の帽子であるディアストーカー(鹿打ち帽)を被り、パイプをくわえて、ツイードで仕立てたインバーネス・コートを羽織っている。恥を忍んで説明すれば、イギリスの名探偵シャーロック・ホームズに扮した私が、国会議事堂をルーペで覗いて捜査中…という意味のポスターというわけだ。
「先生もご存知だと思いますが、参院選比例区の制度が"非拘束名簿式"になって選挙運動のやり方も変わりましてね。前回は禁止されていた候補者個人の活動も、今回は構わんということです。個人名でこういうポスターを作れるし、個人演説会も開けます。石岡先生の正式なお返事を頂戴する前につくらせて頂いたのは、選挙ポスターのイメージがあれば、石岡先生の士気も高まると思ったからです」
 大賀は満足そうにビールを呷った。彼は国内最大政党の幹事長代理である。その方面に疎い私でも名前を知っている政府与党の実力者の一人だ。そんな人物と、料亭の座敷で私が何を話しているかというと、恥ずかしながら「来たる参議院選挙への私の出馬」に関してなのだ。いうまでもないが、私が出馬を承諾したわけではない。 「今のコンピュータって何でもできるんですな。先生の顔写真一枚でここまでの仕上がりですよ。まあ、本決まりになれば撮影し直しますけどね。イメージとしては、悪くないでしょう」
 大賀は上機嫌だが、私は不機嫌と失神の間のへこんだ気分だ。誤解のないように最初から説明していこう。馬車道の私の住居に政権与党の代理人を名乗る若月という人物から電話があったのは、ほんの十日前だった。
「石岡和己先生ですね」
「ハイ」
「次の選挙にお出になりませんか?」
「出ません」
「いや、そうおっしゃらずにどうかご一考ください」
「いいえ、私には考えるまでもない問題ですから」
 第一回目の要請はあっさりと断れた。ふだん優柔不断な私にしては強い意志を示せたのは、選挙という言葉があまりにも自分にふさわしくないことを確信していたからだろう。二回目の電話はその翌日だった。
「先生には是非、教育問題を解決していただきたいと願っております」
 今度の要請は当選後の仕事まで具体的に踏み込んできた。もちろん、だからといって私の気持ちには小波ほどの変化も起こらない。解決という言葉を用いるのが、ミステリー作家である私を動かすに足ると思っているのなら、残念ながら勘違いである。難事件を解決してきたのはほとんど我が友であり、私はその記述者に過ぎない。教育問題に関しては誰かにいわれなければ、今後も縁がなさそうな言葉である。大体、私には子供がいない。さらに解決したい問題は、私自身の生活や人生の部分により多く、とても国の政策に割いている気力はない…などとロジカルに思考を働かせはしなかった。元々、選挙に出る自分などというイメージは、火星に住んでいる自分と同じくらい想像の域をオーバーしている。
 それでも、党の代理人として若月は、三度電話をかけてきた。
「石岡先生のお力で、この国の未来を変えましょう」
 今回は情感に訴える説得工作か。ここまで私がリアルに状況を分析できるのは、ほんの一ミリも出馬を考えていないからである。わずかでもやってもいいかなという気持ちがあれば、私の場合は途端に思考にノイズが入ってしまう。百パーセント出馬の意思ナシの姿勢が明確だからこそ、頭脳もクリアに考えられる。
「わが党は構造改革を訴えておりまして…」
 とうとうと話を続ける若月に対して、私は少し罪の意識を感じた。何かモノを売りつけられるケースは、ここからスタートする。熱心に勧誘する相手の真摯な姿勢に対して、私が買わないという結論はひどい仕打ちでは、という気持ちが湧いてしまうのだ。その結果、私の心の中で購買と不買の天秤がガクーンと「購買」に傾いていく。ただし、それはあくまで買い物の場合である。今回のように参議院選挙への出馬などという大それた行為に関しては「じゃあ、ひとつ私も…」などと受けられるはずもない。
「せっかくのありがたいお話で、身に余る光栄ですが…」
 四十分間の熱弁を終えた電話の向こうの彼に、私は不出馬の話を切り出した。
「私の意思は最初にお話を戴いた時と変わるところはありませんので、残念ですがご辞退申し上げます」
 拒否の意思表示としては百点満点だと思う。私の胸に一点の揺れも曇りもないためにできた行為である。しかし、相手はさすがに海千山千だった。そのときの私にはわからず、今思い返してみれば、という意味でだが…。
「…うっ…うっうっ」
 私の不出馬宣言に対して電話口から聞こえてきたのは、押し殺したような若月の嗚咽だった。意外な反応に私は仰天する。三回の電話のやりとりで、彼は論が立ち、言葉の選択も適切で、相手を巻き込んでいくような雰囲気を感じていた。だから、三回目に断ったときも、ロジックと熱情でカウンター攻撃を仕掛けてくると私は身構えていたのだ。ところが、彼は堰を切ったように泣き出した。たまらず私は声をかける。
「どうしたのですか…?」
「い、いいえ。先生には…関係のないことですから…」
 若月は泣くのをやめない。
「関係なくはないですよ。あなたは私の言葉の後に泣き出した。つまり、断られたことが原因なんでしょう?」
「違います…ただ」
「ただ、何ですか?」
 彼は鼻を啜りながら話している。
「国会という立憲の府で、いい思い出が一杯あったなあと…思い返していたら、たまらなく…せつなく…なりまして」
 さきほどまで弁舌をさわやかに振るっていた青年が、語尾を震わせながら泣きじゃくっている。党本部のオフィスには他にも職員がいると考えたら、電話の向こう側はどういう状況なのだろう。だが、私にしたら彼に対して膨らんでいく罪悪感に抵抗できない。
「それは、もうその仕事を辞めるということですか?」
 私は恐る恐る訊いてみた。
「辞めざるをえないんです!」
 彼は絶叫した。私は思わず受話器を耳から遠ざける。
「私は子供の使いではありません。党の幹事長代理、大賀雷三郎の公設秘書を仰せつかっている身です。その私が党の方針として是非とも、とお声をかけさせていただいているのに、一度もお会いすることなく、電話でにべもなく断られたとあっては、大賀の顔も丸潰れになります」
 彼はそこで意味ありげに言葉を切った。何かをいわなければならないのは、やはり私の方なのだろう。
「では、その…実際に一度お会いしてお断りするなら、あなたの面目は立つというわけですか?」
「ええ、それはそうですが…。お忙しい石岡先生の貴重なお時間をそんな形で頂戴するわけにもまいりませんし、お気になさらないでください。単純に私が失職して、地元から夜逃げすれば済む話ですから…」
「待ってください。行きます。私が出向きますから!」
 以上が、私が今この赤坂の料亭「臨月」の座敷に至るすべてである。私としては、党本部に行って事情を説明すれば済むと考えていたのだが、彼は料亭の部屋を取ってセッティングすることを譲らなかった。約束の時間きっかりに黒塗りのハイヤーが馬車道まで迎えに来た。車内には大賀の第ニ公設秘書の若月が乗っていた。
「噂通り、ヒュー・グラントに似てらっしゃいますねえ」
 開口一番そういった若月は、料亭に着くまでの間中、映画の話をしていた。誰に何を言われても断るぞという、高揚した討ち入り気分だった私も、彼の軽妙な会話にときほぐされていった。
「私が好きな映画に『ワグ・ザ・ドッグ』という政治の内幕を扱った作品があるんです」
 笑顔で話す若月を見ていると、とても号泣した人物とは思えない。
「邦題に『ウワサの真相』なんてベタなタイトルを付けられて、それが難点ですけど…。内容は大統領のスキャンダル、あるいはイメージダウンになりそうな事象に対して、ハリウッドの名プロデューサーがあの手この手で対処するという話です」
「へえ、面白そうですね」
「一度ご覧になってみてください。詳しく内容を申しませんが、ダスティン・ホフマン演ずるプロデューサーが、私は好きですね。どんな難問が持ち上がっても『どうってことないさ。もっとひどいことだってあった』と言いながら、対策を練る。逆境でもあきらめないんですね。たぶん、彼に思い入れして見ている人は少ないだろうし、日本でもヒットしなかった映画ですが、私は好きです」
「そうですか。じゃあ、今度見てみたいなあ」
「ええ。私もいつか政局を動かす男になりたいと願っております」  
好みの映画について語る若月は、好感の持てる青年だった。そうこうするうちに、ハイヤーは赤坂の料亭「臨月」へ到着した。改めていうまでもないが、私は出馬要請を断りに来たのだ。格好つけているわけでも、勿体ぶっているわけでもない。私自身は致命的なまでの意欲と能力の不足を自覚しているだけだ。先ほどまるで火星に住むようなものと例えたが、ある日電話がかかってきて「あなたは宇宙飛行士に選ばれたので、火星に出発してください」といわれて「ハイ」と即答できる人は稀だろう。私にとっての「選挙出馬」はまさにその心境がふさわしい。
「何を物思いに耽っておられるのですか、石岡先生」
 大賀の言葉に、私は現実に引き戻された。つい先ほど、大賀と対面して、赤面したくなる選挙ポスターを見せられたのだ。
「どうぞ、これは記念にお持ち帰りください」
 若月の手にしていたポスターを大賀が受け取ると、こちらに向かって差し出す。反射的に両手を差し出す私に対して突然、大賀が胴間声を張り上げた。
つづく つづく
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