島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡君、カリスマ美容室に行く」4 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

   
…

 私の複製人間などつくらせはしない。私は決死の形相でひたすら階段を下に下りる。あまりに無我夢中で走ったため、途中で誰かとぶつかった。
「きゃっ!」
 若い女性のようだ。
「すみません」
「いえ、大丈夫です」
 顔を上げる相手と目が合った。またしても私の脳髄は恐怖に支配される。ライオンと鉢合わせしたほうがましだったかもしれない。なにしろ、私の目の前にいる女性の顔は、さきほどの部屋にいたナポリンの顔と瓜二つだったのだ。
「ひやあー!」
 再び私は走りだす。自動ドアが開くのももどかしく、外に駆け出していった。どこに行くという目的はない。ただひたすら、この店から離れることを願っていた。道行く人は私を見るとあっけにとられた表情を見せる。何人もに指差された。逃げることに気持ちが集中しているために自分が今どんな姿なのか客観的に判断できない。たしかにシャンプーハットを被り、雨合羽のようにシャンプークロスをなびかせて走る私は奇異以外のなにものでもない。
「待ってー。待ちなさーい」
 後ろから「SALON DORIE」の店員達が追いかけてきた。あくまでも私のクローンに固執しているのだろうか。それとも秘密を知った者は生かしておけないのかも…。いずれにせよ、彼らに捕まることは私にとって不具合しかもたらさない。絶対に逃げ切るしかない。
「おい、ドロボーか」
 そのうち表参道を歩行中の若者達も追跡集団に加わってきたようだ。ちらっと私が振り向くと、二十人以上の集団が私の後に続いている。事情を知らない通行人が勘違いするのもむべなるかなではある。必死に逃げている男はシャンプーハットに、シャンプークロスをつけたままで、その後ろから美容師たちが追いかけているのだ。先入観なしの視点で見れば、美容室で暴れたか、料金踏み倒しかして逃げている客と、それを捕まえようとする美容師という構図にもなる。私とて体力旺盛なわけではないため、すでに息が切れ始めていた。どうすればいいのか。この危地を脱してくれる天使を私は知っている。走りながら、タクシーの運転手の名刺を取り出して、急いで番号を押す。
「メイデー、メイデー、DORIEの構成員に追われています。助けて…」
 お願いだ。地球を守る前に、まず私を守ってくれ!
「なにやってるのよー石岡先生」
 奇跡が起きた。私の進路に立ちふさがった人物は、本当の天使だった。このときの私には、里美が観音様に見えた。背後に後光が差している。私はようやく立ち止まった。不覚にも涙さえこぼれそうな気分だったが、これだけは確認しておかなければならない。
「里美ちゃん、君はクローンじゃないよね?」

「眠らされて、研究室みたいな部屋に運び込まれてたんだよ」
「やめてください。眠らせてなんていないのに」
 表参道に巻き起こした大騒動が幕を閉じて三十分後に私は里美と共に「SALON DORIE」に戻っていた。あのあと数十秒ほど追跡劇がつづいていたら、警察に通報されていた可能性が高い。さんざん説得され、携帯電話を片手に持ったままで構わないという条件付で、私はさきほどの部屋に入ることを承諾した。
「こちらはVIPルームなのよ」
 スモーキーが苦虫を噛み潰したような顔で説明する。
「有名人のお客さんが多いから、一般のお客さんと同じフロアではいろいろと差し障りもあるからね。他のお店は営業時間外に対応したりしてるところもあるみたいだけど、ウチは思い切って別にフロアを確保してるのさ。そのほうがリラックス、リラックス。それで、私が帰ってきて挨拶した後で、あなたがあの有名な石岡和己先生だったと聞いたわけ。そんな著名な作家の方を一般フロアで接客してはいかんとタマミを叱ったよ」
 自分がそんな対応をしてもらえる価値があるなど、私は生まれてから一度も思ったことはない。だが、私の髪を切る寸前でタマミがスモーキーに呼ばれたのはそういう背景があったのかと納得は出来る。
「そうなんです。それで私がブースに戻ると、ちょうど、というと語弊がありますが、石岡先生が気持ちよくお休みになっているようなので、失礼かとは存じましたが、そのままVIPルームにお移りいただいた次第です。ビックリさせてしまって申し訳ございません」
 タマミが強張った表情で頭を下げた。
「いえ、とんでもない。こちらこそ…」
「なーんだ。結局、先生が勝手にグーグー寝ちゃっただけじゃないのー」
 里美にそうなじられても私は一言も返せない。
「大体、そのクローンとか、世界制服とか誇大妄想的な発想はどこからきているわけ?」
 私は里美を始めその場の全員に、タクシーの車内での運転手の話をかいつまんで説明する。一同はあきれたり、失笑したりしながら聞いていた。
「そんな話をマトモに受け取るなんて、先生の常識を疑うなあ」
「でもさ、さんざん脅かされた後で、自分の行き先が『SALON DORIE』だったら、少しは気になるよね?」
「そこから間違ってるのよ」
「エッ…?」
「ちゃんと見てよ。『SALON・DO・RIE』なの。『サロン・ド・リー』よ。OとRの間が広く空いてるじゃないの」
「あれー」
「それから念のために申し上げておきますけどね」
 里美は皮肉タップリな目で私を見ている。
「クローン羊のドリーちゃんがそう名づけられた理由は、その悪魔のなんたらみたいな略語とはまったく関係ないわ。乳腺の体細胞から無性生殖で生まれた羊だから、女優のドリー・バートンにちなんで<hリー″と名づけられたの。ドリー・バートンは石岡先生の大・大・だーい好きな巨乳ですからねー」
 私は赤面する。しかし、解決していない謎はまだあるのだ。
「でも、たしかにタマミさんは新しい実験体と言っていたよ」
「ごめんなさい。不謹慎な言い方で」
 タマミが恥ずかしそうに私を見る。
「実験体ってその…カットモデルのことなんです」
「カットモデル?」
 里美が替わって説明した。
「美容師さんがカットの練習をするためにお客じゃなくて、髪を切らせてもらう人のこと」
「そういう人がいるの?」
「一人一人の髪質は違いますし、接客のシミュレーションにもなるので閉店後にみんなやっているんです。公募したり、知り合いに頼んだり、ときには町で道行く人に直接お願いしたりするんですが、ちょうど昨日協力してくれる人を見つけたものですから」
「染色体とも言ってましたよね」
「たぶん$色したい″を聞き間違えたのでは」
「では∴笂`子で決定する″というのは?」
「すみません。それも不謹慎な話ですが、禿げについてそんなことを話してました」
「パソコンでカチャカチャやってたのは?」
「ウチではお客様の髪型を3Dでシミュレーション映像をお見せすることが出来るんです。切ってしまってから『イメージしていた形と違う』と言われましても修正は難しいですからね」
「そうですか」
 私の気持ちは段々シュンとなっていた。
「では、あの赤い液体も…?」
「ああ、ニンジンジュースのことですね。あれは新陳代謝をよくしていただくために、ウチでお出ししているんです。新鮮で美味しいですよ」
「なんと勘違いしたの? まあ、大体想像はつくけど」
 里美は目を細めて私を見ている。しかし、私は腹に力を入れた。今までのことは説明がついても、どうしても解明できない最大の謎が残っているのだ。
「それではお世話になりました」
 お客が帰るらしい。何の気なしにそちらに目をやった私は、再びあわわと驚く。ナポリンが二人立っている。私の隣にいたナポリンと、階段でぶつかったナポリン。これだけは物理的に証明できないはずだ。第一、いま目の前に同じ顔の女性が二人並んでいる。
「ク…クローン。やっぱりあなたたちが…」
「もしかして先生、その指先はロマン・ポルコさんを指してるの?」
 超常現象を目の前にしながら里美は平然としている。
「そうだよ。こんなに明白な証拠があるじゃないか。クローン研究所の犠牲者がここに…」
 里美は肩をすくめると、ロマン・ポルコの方を向いた。 「すみませーん。ナポリンさん、シシリーさん、ちょっとこの先生にお二人の関係を説明していただけますか」
 シシリー? シシリーって誰だろう。おどけた態度の里美の願いに、二人は笑顔で答えてくれた。
「驚かせてすみません。私たち、双子デュオなんです」
「えっ…」 「もう先生ったら。ロマン・ポルコのお二人に失礼よ。TV番組にはあまり出演されませんけどね。彼女達のCDの売上はすごいんだから」
「そうだったんですか。あの…すみません」
「気になさらないでください。私達も楽しかったですから」
 二人でシンクロして話している。そうだったのか。運転手は親子でさえ同一の遺伝子にはならないと言った。しかし一卵性双生児だけは同一の遺伝子を持つことができる。
「これを機会に、石岡先生もフリル付きのスカート穿いて歌うアイドルばっかりから卒業しましょうね」
 皮肉をいう里美が憎たらしいが、今の私はうなだれるしかない。
「あら先生。現在はどのような心境ですか?」
 リポーターの真似をしておどけた里美がブラシをマイクのように私に突き出す。
「顔を洗って出直したい気分…」
 穴があったら入りたい。なければ掘ってでも身を隠したい。
「それなら、とりあえず頭から洗ってもらったら?」
 異議ナシである。タマミが蒸しタオルを手に待っている。私はさきほど逃げ出したシャンプーチェアに再び腰掛けた。

つづく おしまい
…
TOPへ 3へ ページトップへ

Copyright 2001 Hara Shobo All Rights Reserved