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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡君、カリスマ美容室に行く」2 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

     
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「髪の毛一本あれば、クローン人間はつくれる」
 さっきの運転手の言葉が呪詛みたいに私の耳によみがえってくる。予想外の状況にしばらくその場に立ち尽くしていた私だったが、覚悟を決めて歩き始めた。彼が口にしていた組織の名前と、目的の美容室の店名がたまたま同じだったから何だというのだ。そんな偶然の一致を気にしていては、気が病むだけである。たとえ万が一、件の美容室が世界制服をねらう組織DORIEと何らかの関係があったとしても、私の人生には一ミリの影響もないではないか。単に里美の忘れたクレジットカードを受け取るだけ。時間にして一分もかからない接点だ。
 私は深呼吸するとビルの二階を見上げた。「SALON DORIE」は全面ガラス張りの店で、目視できるだけで十人以上の美容師がせわしなく動いている。里美も定期的にあの客達と同じようにこの美容室で髪を切っているのだろうか。、今回のような緊急事態でもないかぎり私がこんなきらびやかな場所に出入りすることはない。エレベーターで二階に上がり、自動ドアをくぐると、受付の女性が挨拶してくれた。
「いらっしゃいませ」
 店内のファッショナブルな雰囲気に気圧されてしまいそうになり、改めて自分はただ忘れ物を取りに来ただけだと言い聞かせる。
「すみません。犬坊の代理の者ですけど」
 首に赤いスカーフを巻き、黒いセーターを着た受付の女性は私に微笑みかける。
「石岡様ですか?」
「はい」
「お待ちしてました」
 心得たとばかりの言葉に私は安心する。里美があらかじめ石岡という人物が代理で引き取りに行くと伝えてくれていたようだ。
「では、こちらにお名前とお電話番号のご記入をお願いします」
 私は言われるままにペンで記入した。たぶん忘れ物を受け取ったという受領のサインなのだろう。
「すぐに担当の者が参ります。本日はカットでよろしいんですね」
「ハッ?」
 受付の女性の唐突な言葉に私はきょとんとする。視線を下に落とすと、私が今記入したのは本日の受付表のようだ。あわてて私は事情を説明する。
「いえ、あの…違うんです」
「あら、本日はカットですよね?」
「違うんです。ぼくは…」
「パーマですか?」
「いやいや…」
 必死に手を横に振るのだが、緊張のあまり私はうまく言葉が出てこない。
「忘れ物を取りに来ただけなんです」
 私ではない誰かが代弁してくれた。私は声がした方角を見ると、店の奥から出てきたのは、里美だった。
「ありがとね。私のために」
「ちょっと里美ちゃん。これはどういうことなの?」
 さすがに温厚な私もムッとしていた。彼女が大切なクレジットカードが心配だというから、気乗りしない気持ちに鞭打って都内まで出てきたのである。名古屋に向かう新幹線の中にいるはずの里美がなぜここにいるのか。納得いくまで問い詰めたい気分だ。
「ハハハ。ゴメンなさい。怒らないで石岡先生」
「怒るさ。誰だって怒ると思うよ」
 私が険しい顔をしても里美はまるで意に介した様子はない。
「だってー、ああでも言わないと先生はここまで来てくれないでしょ」
「それは来る必要がないからね」
「あるの。絶対あるー」
 里美は受付の壁に飾ってある表彰状や写真を指差した。
「このお店はねー。カットチャンピオンの美容室なの。お客さんも何人もの芸能人とか常連になってて。ちょっと古い言い方をすれば"カリスマ美容師"のお店」
 私も話には聞いたことがあった。人気の高い美容師になると、予約をとるだけでも何ヶ月も順番を待たなければならないらしい。
「ぶっちゃけて話せばね。先生、ここで髪を切ってみて」
 里美の申し出に私は絶句した。なんとはなしに軽い気持ちで髪を伸ばしている私は、とくにオシャレに気を使うことはない。顔なじみの床屋に行って、適当に切り揃えてもらって終わりである。それほど身だしなみに無頓着な私の髪にカリスマ美容師の手をわずらわせるなど、双方にとって得るものは少ない。自宅の部屋のインターネットの接続にビル・ゲイツを連れてくるようなものである。
「悪いけど、ぼくは遠慮しとくよ」
「ダーメ!」
 里美の目は真剣だった。
「最近の石岡先生は元気なかったじゃない。そういうときは、髪型でも変えて気分をリフレッシュしないとね。西洋のことわざにもあったはずよ。"一日幸せでいたいなら散髪しなさい"って。だから、私は先生の予約を入れておいたの。騙す形になったのは謝るから、それはそれとして。ねっ?」
 私は窮地に立たされていた。そう言われては断る理由がないのだ。それに店に来る前ならまだしも、店の中まで入って、予約まで入れてあるのに踵を返す勇気は私にはない。ここは素直に里美の好意を受け入れるしかなさそうだ。
「わかったよ。ぼくのことをそんなに考えてくれて、ありがとう」
「ホント? カットしていくのね?」
「ウン」
「やったー。楽しみだわー。タマミさーん」
 里美の呼びかけに一人の女性の美容師が近づいてきた。赤いスカーフに黒いセーターというコーディネートは受付の女性と同じだが、頭に真っ赤なバンダナを巻いているところが違う。よく見ると、店内のスタッフはバンダナを巻いている人と、そうでない人が半々だ。たぶん美容師はバンダナを巻き、アシスタントは巻いていないのだろう。
「紹介するね。私の担当をしてくれている美容師のタマミさん。こちらがいつもお話している石岡先生」
 私達はお互いに挨拶を交わす。
「先生のお噂はかねがね耳にしていたので、お会いできるのが楽しみだったんですよ」
「いやー、恐縮です」
「では、ご用意できていますので、こちらへどうぞ」
 タマミに促されて奥に進む途中、里美が話しかけてきた。
「なんか今日の私って、ヘンかなあ?」
「まさか、そんなことないよ。いつもの里美ちゃんだよ」
 私は里美がまださっきのダマシの一件を気にしているとは思わなかった。心の底から私はもう許している。
「ウウーン、そうじゃなくて。私はお昼からここにいるのよ」
「えっ、それが何?」
 要領を得ない私が聞き返すと、里美は立ち止まって自分の髪を手にとると私に示した。
「ちゃんと見て。ほらっ、ここの毛先にちょっとレイヤーを入れちゃった」
「フーン」
「あのね先生。フーンじゃなくて、どうかしら?」
「いいんじゃないの」
「もういい」
 さっきまではあんなに上機嫌だったのに、急変した里美に私はどう対処していいのかわからない。
「タマミさん、それでは石岡先生をお願いしますね。私はもう行きますから」
「ハーイ、任せといて。男前度を上げておくからね」
 タマミと挨拶して立ち去ろうとする里美を私は止める。
「えっ、一緒にいてくれないの」
「もちろんよ。先生は子供じゃないんだから、私が付き添う必要はないでしょう」
「それはそうだけど…」
「買い物してきまーす」
 私は微妙に孤独な気持ちを味わっている。なにしろ取り残されたのは、カリスマ美容室である。私にとっては異国の地に置き去りにされた心細さと大して変わらない。店内はオフホワイトを基調にした落ち着いた色合いで統一されている。また外から眺めたときはわからなかったが、ひとつひとつのスタイリングチェアは、隣の席との間をパーティションで区切られているため、個人のプライバシー性は高い。だが、どの席も客が占めて満員御礼の状態であることは分かる。タマミは一番奥でひとつだけ空いているスタイリングチェアに私を案内した。
「どうぞ、お座りください」
 イメージの乏しい私にはビーチに置いてあるのがふさわしそうなスタイリングチェアだったが、座ってみると腰だけに負担がかからないよう設計されていることがわかる。これ一脚だけでもそれなりの金額なのだろう。
「スリッパに履き替えますか?」
 私は「結構です」と断ろうと思ったが、しゃがんだタマミがスリッパを出してくれたので、そのまま履き替えた。次にオシボリを渡されて手と顔を拭く。ちょっとだけ人心地ついた私が目の前のスタイリングミラーを見ると、タマミが神妙な顔つきで立っている。
「本日はようこそいらっしゃいました。担当を務めさせていただくタマミです。どうぞよろしくお願いいたします」
 深々と頭を下げられて、私も同様に一礼する。だが、鏡に映ったタマミに頭を下げていたと気づき、すぐに横を向いて本物のタマミに一礼し直した。アシスタントに渡された蒸しタオルを私の頭に巻きながらタマミが尋ねた。
「本日のカットですが、いかがなさいますか?」
 今度は私が神妙にならざるをえない。いつも通っている床屋のように「適当に切ってください」と言ったらタマミに対する侮辱になるだろうか。少なくても彼女はそう受け取る危険性がある。たとえるなら、一流の鮨屋に入ってカッパ巻きばかり注文する客のようなものだ。なによりもこの店で髪をカットする目的は、私自身に変化をつけるためである。里美もそう望んでいる。だとしたら、いつもと同じ髪型ではなく、少々冒険してみなければならないだろう。かといって、その具体的なイメージは私にはない。ここはプロであるタマミに委ねてみよう。
「正直言いまして、自分ではこれだというイメージはないんですよ」
「ハイ。里美さんもいつもより変えてあげてほしいとのことでした」
「それでしたら、タマミさんにお任せします。里美ちゃんが信頼している美容師さんならぼくも安心ですから…」
 そんな会話を交わしている私達のブースにちん入者が現れた。
「ヘーイ、ナイス トゥ ミートゥー」
 スキンヘッドに風防ガラスのような厚い色眼鏡、白地のTシャツには世界各国のピンバッヂが付いている異形の男である。私の手を取って握手しながら、空いている手でパーティションに掛けられていたネームプレートを確認した。
「石岡サーン。今日はありがとう」
「ど、どうも…」
「店長のスモーキー鶴岡です」
 タマミが紹介する。この歌手のような人物が、数々の賞を獲得しているカリスマ美容師だというのか。やはり、私にはこの業界のことは理解できない。
「今日はどんな感じ?」
「お任せくださるそうです」
 タマミの答えにスモーキーの髭に覆われた口が横に広がった。

つづく つづく
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