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頑張れ!石岡君
石岡君、行列の絶えないラーメンを考える 3 「石岡君、行列の絶えないラーメンを考える」3 優木麥 石岡君、行列の絶えないラーメンを考える 3

   
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 「ラーメン愛好家の人たちに試食してもらってデータを取りたいんです」
 凡悟が私に説明した。出演ドラマで登場するオリジナルラーメン「ボンゴ麺」にそこまでこだわるとは驚きである。
「ラーメンって国民食ですよね。だから、ラーメンを扱う以上、視聴者が見たときに『美味しそう、自分も食べてみたい』と思わせなかったら自分たちの負けなんです」
「そ、そんな大げさな…」
「何を甘いことをおっしゃるの」
 さゆりが目を吊り上げて怒鳴る。
「視聴者は本当に移り気な性格なのよ。映像に見える瑣末なきっかけでドラマへの熱が冷めるのは珍しくありません。とくに今回は、オリジナルラーメンを売りにして勝負するのですから、あれを食べたいと感じさせて初めてストーリーに感情移入してくれるのです」
「は、はあ……」
 専門家である彼らが断言するのなら、私には反論する気はない。しつこいようだがボンゴ麺のゴマ団子は蛇足だと思うが、そのことも触れるつもりはない。
「ぼくとしては十分に美味しかったです。ラーメン愛好家の人たちにもいい返事がもらえるといいですね」
「石岡先生、そんな他人事みたいにおっしゃらないでください」
 凡悟の言葉に私は妙に違和感を覚える。
「どういうこと?」
「試食に回ってもらうのは、石岡先生なんですよ」
「えっ…?」
 私は自分の聞き間違いだと思った。
「ぼくがラーメン愛好家の人たちを回るって言ったの?」
「もちろんです。石岡先生にしかお願いできません」
「わけがわからない。説明してよ」
 取り乱す私を見て、さゆりがイタズラっぽく笑いながら話し始めた。
「実は、この作品のための情報収集も兼ねて私は以前から、ラーメン愛好家サークルにオンラインで入会していましたの。その人たちとはメールやチャットでやりとりをして美味しいラーメンとは、あるいはラーメン好きな人たちの傾向を探っておりました。大変、参考になったんですのよ。なにしろ、私はラーメンを食する機会が少ないものですからねえ」
 さゆりは満面の笑みで私を見ている。
「今回、ボンゴ麺の試食をお願いしましたら、何人かの会員の方がお受けくださるとお返事をいただきました」
「でしたら、何の問題も……」
「二つ問題があります。まず会員の方達には私が百々さゆりであることも、『半麺教師』のためにボンゴ麺をつくったことも伝えていません。今の時代、ネットを伝ってどこから情報が漏れてしまうかわかりませんからね。ですから、会員の方達にも、今度、知人がラーメン店を開業するので、メニューの新ラーメンを試してみて欲しいとお願いしました」
 たしかに彼女の懸念する通り、自分の正体を明かしてしまえば、どんな影響が出るかリスクは計り知れない。
「二つ目の理由は、そのために私はハンドルネーム、というんですかネットで名乗る名前を男性の名前で行なっていたんです」
「なるほど」
 お互いの顔が見えないから可能な行為だ。
「石岡和己…と」
「ちょっと、待ってください」
 私は激しく抗議した。男性の偽名を使いたいなら、他にいくらでも作ることが出来るはずだ。明智小五郎でも、徳川家康でもさゆりの役に立っただろう。
「なんでよりによってぼくの名前を使ったんです」
「手頃な名前がそれぐらいしか思いつかなかったんですの」
「メチャクチャですよ」
「まあ、石岡先生。自分に免じてそのことはお許しください。そして、何とかご協力いただけないでしょうか」
 凡悟は深々と頭を下げた。私は大きくため息をひとつついた。あきらめの気持ちがこもったため息だった。

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「やっぱり、まず会員の人に挨拶をしてから作って持っていくほうが無難なんじゃないかなあ」
 私は凡悟に何度目かの忠告をする。結局、凡悟と一緒にボンゴ麺の試食ツアーに協力することになった私だが、ラーメン愛好家の人達の家に最初からボンゴ麺を持っていこうとすることを懸念した。いくらラーメンを愛する人々で、試食を承諾しているとはいえ、向こうの都合もあるはずだ。相手の心証を害しては、有益な感想も何もない。
「いや、自分は最初から全力で行きたいんです」
 凡悟は麺の湯きりをしながら言った。
「だって、スーパーの試食コーナーじゃないんだからさ。いきなりラーメンを突きつけて、食べてくださいって言うのは無理があるんじゃないかな」
 私としても凡悟のドラマに末永く続いて欲しい。そのためにクオリティの高いオリジナルラーメンを劇中で出すという企画にも賛同する。だからこそ、相手から快い協力が得られる環境は大事ではないかと思う。とくに私は人に気遣いせずにはいられない性質なのでぶしつけな行為は慎みたい。
「本物の愛好家なら、このスープと、麺を見たら、すましていられないですよ。食らいついてくるに決まっています」
 凡悟の自信はゆるぎない。彼がそうまで言うのなら、私は従うしかないのだ。最初に逢う会員の本杉陽介の住所は住宅街の路地の奥にあった。
「この一角にあるはずなんだけどね」
 車から外に出た私と、岡持ちを手にした凡悟は路地を進む。ネットでの知り合いのため、さゆりにしても会員それぞれの顔や職業などはまったくわからない。試食OKの返事をくれた会員のみが住所をくれただけだ。
「あ、あそこですよ。石岡先生」
 凡悟が指差したのは、赤レンガに蔦がからまる風情のある建物だった。
「あれ、ちょっと凡ちゃん、待って…」
 私が止めるのも聞かず、凡悟は走るように建物に近づく。
「気合で行きます。石岡先生」
「待ってって。凡ちゃん」
 凡悟がドアを開けて、勢いよく飛び込んだ。
「ちあーっ! 世界でひとつの、最高のラーメン、お持ちしましたー!」
 ようやく追いついた私が凡悟の後ろから室内に入ってみると、まず恐ろしいほどの非難の視線の集中攻撃にさらされた。静まり返る雰囲気の中、パチパチという音の後にラヴェルの「ボレロ」が流れ出した。CDではなく、レコードである。年季の入った木製のテーブルがいくつも並び、品のいいコーヒー豆の匂いが漂っている。
「本杉さーん、いないんですかー」
 お客の非難の視線をものともせず、凡悟は再び怒鳴った。事情を悟った私は、必死に凡悟の口をふさごうとする。ここは、名曲喫茶なのだ。クラシック音楽をこよなく愛する人々の聖地なのである。レコードがまだ多くの人の手に入らなかった時代に、クラシック音楽に浸る人々のために生まれた場所だ。今でも数は少なくなったが、当時の雰囲気を懐かしんだり、レコードの音楽を聴きたい愛好家によって脈々とその文化を伝えつづけている。言うまでもなく、クラシック音楽を楽しむための場所なのだから、店内の客は静寂を保つことがルールなのだ。みなそれぞれに読書をしたり、目を閉じて名曲を味わう。もし会話するとしても、ささやくような声で行なうのがマナーだ。そこで、大声で怒鳴るなど言語道断の所業である。
「一体、どうしたんですか」
 カウンターの奥から口髭も頭髪も銀色のダンディな男がエプロン姿で出てきた。彼が本杉陽介であり、この店のマスターなのだろう。
「本杉さんですか。是非、自分の精魂込めたラーメンを試食してください」
 岡持ちからボンゴ麺を取り出した凡悟は、ずいと本杉の目の前にドンブリを突き出す。
「ちょっと、ちょっと困るよ。いま営業中だし。わかるでしょう」
 口ぶりは穏やかだったが、目は相当怒りに満ちている。私は即座に頭を下げた。
「すみませんでした。すぐに退散しますので」
 まだぶつぶつ言っている凡悟を引っ張ろうとする。彼は頑強に抵抗した。
「では、ここに置いていきますので、絶対に召し上がってください」
 凡悟は、譜面を見ながら音楽に集中している客のテーブルに、ボンゴ麺のドンブリを置くとようやく私に引きずられるように店の外に出た。
「凡ちゃん、マズいよ。状況を見ながらやらないと」
「失敗したのは認めます」
 案外素直に凡悟は言った。私は安心する。これからずっと今の調子だったら、とても試食してくれる人はいない。
「じゃあ、なぜ一口も食べてくれなかったかの原因もわかってるんだね」
「ええ、わかってます」
 凡悟はうなずいた。あらかじめ今からラーメンの試食をしてもらえるのか相手の都合を確かめてからでなければ無理だと、彼も理解したらしい。
「レンゲを忘れてしまいましたからね」
「えっ…?」
「ラーメン愛好家はみな、最初の一口はスープからなんです。それなのに、自分はレンゲを用意していませんでした。不覚です。次は大丈夫ですから」
 自信ありげな凡悟の言葉に私の胸ではさっきにも増して不安が膨れ上がっていた。
つづく つづく
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