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頑張れ!石岡君
石岡君、ペットシッターになる 2 「石岡君、ペットシッターになる」2 優木麥 石岡君、ペットシッターになる 2

   
…
「世俗を捨て、仏の道に入ることを志すと申されるのじゃな。よかろう。ワシはこの寺の住職で海淵坊と申す」
 海淵坊は大きな勘違いをしているようだ。確かによく見ると私が寝転んだのは、どこかのお寺の門の前である。
「昔の出家者はみな、そうして寺の門前に大の字に寝転がり、仏道の修行をする覚悟を示したという。ワシもずいぶんこの寺におるが、そこまでの形で出家した者は見たことがなかった。感服いたした。この平成の世にそんな形で……」
「いえ、すみません。違うんです」
 私は必死で誤解を解くために説明をした。当事者のケンスキーは早く帰ろうという顔で、私の隣にチョコンと座っている。

                                  ●

「あの……丹沢さんは、毎日あれだけの距離を散歩しているんですか?」
 出家希望者と誤解され、
「話は本堂のお釈迦様の前でなされよ」といわれるのを丁寧に振り切って、丹沢邸に帰ってきた私は、サチコに確認した。すでに私は目まいが起こりそうなほど、体力を消耗している。いくらイヌ好きといっても、サチコが毎日、この散歩の日課をこなしていると考えると恐ろしい。
「あら、私と一緒のときはケンスキーもゆっくり歩いて、優雅な散歩ですけどね」
 飼い主とそうではない者を、ケンスキーは区別しているということか。
「でも、今日はいい運動ができたみたいですわ。ケンスキー君があんなにお水を飲むのは珍しいですから」
「そうですか。よかった」
 だが、さすがにもう一度やれと言われても拒否したい。
「それで、プリシラちゃんとケンスキー君のことなんですけど……」
「ええ、実はぼくもそのことでお話があります」
 迷ったのだが、私は今回の件を断ることを考えていた。当日の今になってそう申し出るのも気が引けるが、この短期間でも不適格な世話係であることを露呈している。
「やはり、大切なご家族のことですから……万が一のことがあっては、申し訳ないのです。調べたのですが、世の中にはペットシッターという職業の方たちがいると聞きました。ペットの……」
 私の出した″ペット″という単語にサチコの眉がピクピクと動いた。慌てて私は言い直す。
「いえいえ、そのプリシラちゃんと、ケンスキー君のお世話をするのは、プロの方がよろしいと思うんです。生き物というのは……」
「ダメです。それはいけませんわ」
 サチコが断固とした口調で言う。
「たしかにその方たちはプロかもしれません。でも、私が今回の件を石岡先生にお願いしたいのは、プリシラちゃんたちの面倒を見ていただくだけではありません。この邸に一泊していただく理由も大きいのです」
「は…はい」
「その理由をお見せしましょう。ちょっとこちらへ」
 和服姿のサチコは立ち上がると廊下を進みだした。プリシラも主人の足元をジグザグにすり抜けながら続く。私が案内されたのは、奥の一室だった。
「プリシラちゃんはここで待っててね」
 サチコは廊下のプリシラを中に入れないようにして、私を室内に入れる。その部屋の中は、一言でいえば宝物室だった。私が見ても高価そうに感じる骨董品が整頓されて置いてある。掛け軸や宝飾品、陶磁器や鎧武者などが整然と並ぶ構図は神々しいほどだ。
「来月、NYのオークションに出品する品々です」
「へー、すごいですね」
 個性のない感想だが、私の実感でもある。空調や照明も品を傷めないための配慮がされた特別仕様の一室らしい。
「友人から預かっている品もありますけど、ここにあるだけの総額は、少なく見積もっても一億円はするでしょう」 「えっ……!」
 私は一歩後退する。あれほど溺愛しているプリシラをこの部屋に入れない理由もわかった。プリシラがピョンと飛んだ拍子に、あの花瓶や陶磁器が割れたら、数百万円の損失になるのだ。
「これで、私が他人を家に入れたくない理由がおわかりですわね。石岡先生のように絶対の信頼のできる方でなければ困ります」
「ただ……このオークションの品の警備という意味では、もっとプロフェッショナルな方々に…」
「ご心配には及びません。もちろん、警備会社と契約はしています」
「それに頼もしい忠犬のケンスキー君もいますしね」
 私の言葉にサチコは破顔する。
「いえ、先生。お恥ずかしい話ですが、それはあまり期待なさらないで」
「どうしてです」
「今まで三回ほど泥棒に入られましたが、ケンスキー君は一度も吠えて知らせてくれなかったんです」
 逞しく見える犬なのに、それは少し情けない気がする。
「でも、私は別に機能重視で一緒に住んでいるわけではありませんから。それはともかく、この邸に石岡先生に一晩泊まっていただければ、私も精神的に落ち着くんです」
「そうですか。それでは、まあ……」
 私も一度引き受けている以上、そこまで言われては断れない。
「ありがとうございます。これで私も安心して旅行に行けますわ」

                                  ●

「プリシラちゃんと、ケンスキー君の世話ですが、メモに書いてまとめておきました」
 オークションのある宝物室から和室に戻ると、サチコが紙の束を渡してきた。そのメモは、私の持っているシステム手帳と同じくらいの厚みがある。
「とても全部は書けなかったんですけど、まあ一晩の話ですから、簡単にまとめてみましたわ」
「はあ……助かります」
 細かい字で書かれた紙の束を見て、私はげんなりする。下手すれば、これを読むだけで翌朝になってしまうかもしれない。内容は、食事の与え方から遊び方、急に食べたものを戻したりしたときの対応法など事細かに指示されている。
「それで、こっちがケンスキー君の分です」
「えっ?」
 私は今手にしているメモと同じ厚みの紙の束を渡された。どうやら一匹につき一束のマニュアルのようだ。
「プリシラちゃんたちはデリケートですから、くれぐれもよろしくお願いしますね」
「ハイ、愛情は十分に伝わってきます」
 玄関でチャイムが鳴る。
「私が出ますわ」
 サチコが部屋を出て行く。私は大きなため息をついた。どうも誤った選択をしてしまったのではないだろうか。たとえば、メモにはプリシラやケンスキーがどんな表情で、どんな鳴き声のときは、これを要求しているとイラスト入りで描いてある。しかし、私にはとても「ミャゥァア」と「ミャゥゥァア」の違いなど聴き分ける自信がない。
「先生、どうぞ」
 サチコが戻ってきた。手に寿司桶を持っている。さきほどの来客は寿司屋の出前だったらしい。
「あ、いえ、そんなお構いなく…」
 寿司桶の中には優に三人前はあるほどの寿司が並んでいる。それもトロや車海老、アナゴやウニなど高そうなネタばかりだ。
「執筆されるんでしょう。これでも召し上がりながらなさってください」
 サチコの言う通り、私はこの丹沢邸で原稿の執筆をするつもりだ。正直言うとそのことが、この依頼を引き受けた大きな理由なのである。最近、精神的にスランプに陥り、どうにも執筆意欲が鈍ってきていた。頼まれていた短編の締め切りが過ぎてしまい、編集者から哀願に近い催促の電話が入ったとき、私は自分を奮い立たせる何かを求めていたのだ。そのきっかけになりそうなのが、この丹沢邸だった。旧家であるこの邸は、今では見かけることも困難になった伝統的な和風住宅である。明治、大正、あるいは昭和初期の文豪達はみな執筆意欲を掻き立てるため、温泉旅館などに逗留して作品に取り組んだという。私自身は文豪とはほど遠いが、少なくても環境の変化は自分の執筆意欲の上昇には役立つに違いない。
「お台所には、お酒もありますし、何でもご自由になさってくださいね」
「お気使いなく。もうこれで十分です」
「それでは、私は行ってまいります」
 私はサチコを玄関まで見送る。
「楽しんできてください。こちらは大丈夫ですから」
 本音をいえば不安は少なくないが、出かけるサチコにそんなことは言えない。
「あのぅ、石岡先生……」
 草履を履いたサチコが言いにくそうに切り出した。
「今夜旅先からお電話して、プリシラちゃんたちの様子をお聞きしてもいいかしら。あ、でもお仕事のジャマになりますわよね」
「とんでもない」
 私は笑顔で否定した。
「むしろ、是非お電話をいただきたいぐらいです。きっとわからないことなんかも出てくると思いますから」
 サチコの表情が明るくなった。
「嬉しいですわ。では、きっとお電話しますね。それでは、行ってまいります」
 手を振りながらサチコが出て行く。これで広大な丹沢邸に私は一人残されてしまった。いや、サチコの″家族″であるプリシラとケンスキーはいるが……。とりあえず、私はさきほどの和室に戻る。さきほどケンスキーの散歩に連れ回されて、とてもお腹が減っていた。執筆の前に軽く腹ごしらえが必要だ。お寿司を食べるのは久しぶりだった。だが、その私のささやかな幸福が壊されたことは部屋に入った瞬間にわかる。
 なんと、テーブルの上にプリシラが載っていた。
つづく つづく
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