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頑張れ!石岡君
石岡君、ペットシッターになる 1 「石岡君、ペットシッターになる」1 優木麥 石岡君、ペットシッターになる 1

   
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「めったな方にはお願いできませんからね」
 丹沢サチコは膝の上にいる愛猫のプリシラを撫でながら言う。私は「はあ、それはそれは」などとあまり気の利かない返事を返すしかない。鎌倉の旧家に一人暮らしをするサチコが「一晩だけ、ケンスキーとプリシラの面倒を見て欲しい」と依頼してきた。ちなみにケンスキーとは彼女の飼うシベリアン・ハスキーで、プリシラとはロシアン・ショートヘア。シルバーの光沢のある青みがかった毛のネコである。六十を過ぎているサチコだが、私よりもバイタリティ溢れていて、年に数度の海外旅行、登山など精力的に楽しんでいる。ただその際の悩みの種は、家に留守番しているケンスキーとプリシラのことだった。
「家に泊まっていただくには、誰でもいいというわけにはまいりません。いつもは、仲のよいお友達のどなたかにお願いしているのですが、今回の旅行はそのみなさんで行くことになっているので、困っていたのです」
 もちろん、言うまでもなく、サチコが京都旅行で家を空ける一晩を、イヌとネコの世話係に任命されたのは、私に動物への深い知識があるからではない。そもそもサチコとの出会いは、私が彼女の財布を拾ったことに始まる。
 ある日、散歩中の私は急に電話をかける用事を思い出した。一応、携帯電話を所持していたが、経済的な理由からなるべく受信中心に使っている。そこで、目に入った公衆電話のボックスに入ったら、備え付けの電話帳の上に西陣織の見事な財布が置いてあったのだ。中身を確認せずにそのまま近くの交番に届けた。警察官が中を改めると、驚くべきことに百万円以上の札が詰まっていたのである。後日、私の自宅にサチコから電話がかかってきた。彼女は自分が財布の持ち主であり、お礼をしたいので是非お会いしたいと強く主張してきた。断りきれなかった私がサチコと会ったのが最初である。
「いえ、本当にお恥ずかしい話ですわ。お金は別に構いませんでしたけど、財布に大切なものを入れていたので、どこかで落としたとわかったときは目の前が真っ白になりましたの」
 初対面のサチコは私に対して過剰なほどのお礼の言葉を述べた。
「クレジットカードなんて悪用されたら大変ですしね」
 私の言葉にサチコは首を横に振る。
「そんなものは問題ありませんの。絶対になくしたくなかったのは、これですわ」
 彼女が財布から取り出したのは、二枚の写真だった。一枚はシベリアン・ハスキーで、もう一枚にはネコ(このときの私は種類を知らなかった)が写っている。
「ああ、ペットの写真ですか。カワイイで……」
「キーッ! 石岡さん。勘違いしないでください。ペットではありません。ケンスキー君もプリシラちゃんも私の家族ですわ」
 毅然としたサチコの態度に私もうなずくしかない。
「なるほど。カワイイですね」
「ねえ。自慢の子供達ですの。このお写真は、土門拳賞をお取りになった有名な写真家の先生の手によるものです。無理をいって撮っていただきましたのよ」
「そうですか」
 その後、私は延々と二時間以上もケンスキーとプリシラの自慢を聞かされた。それから、サチコが横浜に出てくるときにニ、三度食事したり、お茶を飲んだりした。彼女の話題は、いつも″自慢の子供たち″の話ばかり。だが、私はうんざりすることもなく、サチコの話につきあった。私には彼女に話して楽しんでもらえるような話題はない。それに、心から嬉しそうに生き生きとするサチコの話は退屈ではなかった。
「石岡先生、一度お家にいらしてくださいな。ケンスキー君とプリシラちゃんも会いたがっていますよ」
 何度となくそう誘われたが、まちがいなく″自慢の子供たち″が私との面会を切望しているとは思えなかったので、お茶を濁してきた。ところが、冒頭で説明した通り、サチコが仲良しグループで京都旅行に出かけることになり、その一晩だけ、私が丹沢邸に泊まってケンスキーとプリシラの面倒を見て欲しいと頼まれたのだ。
「でも、私はペットの……いえ、生き物のお世話をした経験がないですよ」
 どちらかといえば、私は動物好きな部類に入ると思う。友人の御手洗潔のようにイヌに偏愛する態度も、まるっきり理解できないわけではない。だが、愛される側の動物達からすると、また事情が違うようだ。私は子供の頃から、あまり動物と良き交流ができた思い出がない。小学校のとき、みんなが可愛がっていたコリー犬の頭を私も撫でようとしたら、ガブッと噛まれたのを覚えている。似たような経験を何度もした挙句、自分自身が動物の頭を撫でたり、抱き上げることは難しいらしいと悟った。今では動物と人との交流を遠巻きに眺めるスタンスが一番ふさわしいと思っている。
「大丈夫ですわ」
 サチコは私の話を聞いた後も、笑顔を変えなかった。
「ケンスキー君も、プリシラちゃんも、石岡先生のファンなんですから」
「そうですか…」
 まったく無根拠な話をされても、こちらは肯定も否定もしにくい。
「ねえ、そうよね。プリシラちゃん」
 サチコは抱いていたプリシラを畳に置くと、私の方に向けた。
「ほら、石岡先生よ。会いたがっていたでしょ? ご挨拶なさい」  
プリシラは私の方を一目だけ見たが、あとは気がなさそうに座っている。
「今夜はよろしくお願いします、だそうですわ」
 サチコがプリシラの気持ちを通訳してくれたらしい。だが、私にはとてもそう言っている様子には見えなかった。
「それでは、ケンスキー君のお散歩をお願いできますかしら?」  
場を取り繕うようにサチコが言う。
「ハイ、構いませんけど……」  
 私は少し不吉な予感がする。ケンスキーはシベリアン・ハスキーで、私が噛まれたことのあるコリー犬よりも大型の犬種だ。私の手に負えるだろうか。
「私が出発するより早めの時間に来ていただいたのは、お散歩をお頼みしたかったからです。私が出かけてしまったら、家を空けられないので、石岡先生も外出できませんものね」
「ハイ、わかりました」
 闘犬の世話をするのではない。いくらなんでも飼い犬なら、そんなに気性が荒いこともないだろう。

                                      ●

「ちょっと、ケンスキー、ストップ。もうちょっと、ゆっくり……」
 まるで私はボートに引っ張られる水上スキーのようだった。ケンスキーはガッチリした体躯にふさわしい膂力で、紐を握る私をグイグイと引っ張っている。散歩に出ようと、丹沢邸の門を出た途端に、ケンスキーは駆け出した。
「散歩のコースはケンスキー君が知ってますから。石岡先生は、紐を握っているだけで大丈夫ですわ」
 たしかにケンスキーは散歩のコースを知っているようだ。また私自身も紐を握っている以上のことはしていない。しかし、これほど走らされるとは思わなかった。これはすでに散歩とはいえまい。ちょっとしたロードワークである。
「もう少し、ゆっくり……」
 ふだんから運動不足の私は、すぐに息が切れ始める。しかし、元気一杯のケンスキーは私の体重などものともせずに走りつづけた。
「ちょっと……止まって……」
 私の目には風光明媚で、伝統のある鎌倉の町並みなどまったく入ってこない。完全にケンスキーに引っ張りまわされている。かといって、どうやっても立ち止まることは不可能だ。まるで中国の故事にある、トラの背に乗って降りられなくなった人の気分である。
「はあ、ケンスキー。ケンスキー…」
 鎌倉の道は坂が多い。しかし、ケンスキーはものともしない。私は完全にグロッキーである。もはやケンスキーにかける声も枯れてきた。
「ケ……ケン……はあ、はあ」
 舌を出して息を吐く姿は、イヌであるケンスキーと同じだが、私の方はダウン寸前。呼吸も困難になり、心臓が爆発するのではと本気で心配になったそのとき、私の携帯電話が鳴った。相手はサチコである。震える手で私は携帯電話を耳に当てる。
「石岡先生、散歩は快適ですか?」
「い……いえ、ケンスキー君が…元気すぎて……」
「あらあ、きっと久しぶりに男の方と散歩に出られたものだから、はしゃいでいるのね、きっと」
 そうだとしても、これ以上はしゃぎ回られると私の命に関わるかもしれない。
「助けてください。限界です。どうすれば、止められますか?」
 私の情けない声にサチコは笑いながら答えた。
「寝転んでみせてくださいな。ケンスキー君は止めようとしたり、声を出したりすれば遊んでもらってると思って駆け回るんですけど、相手が倒れると心配してすぐに寄ってきますよ」
「わかりました。やってみます」
 私は電話を切ると、藁にもすがる思いでその場に寝転ぶ。走っている勢いがあったので、少し転がってしまったが、あのまま駆けつづけるよりはマシだ。道に倒れた私は、両手両足を広げて大の字になった。酸素が少しずつ肺に入っていくのがわかる。これで、ケンスキーが私に寄ってきたら捕まえておとなしくさせよう。倒れている私の元に足音が聞こえた。
「見事じゃ。わが寺の門をくぐることを許す」
 厳かな声がした。私が起き上がると柔和な顔をした住職が立っている。
つづく つづく
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