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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡君、のぞみのグリーン車に乗る」4 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

   
…

 私のダウト宣言は不必要なまでの多くの人に聞かれてしまった。私が聞かせたかったのは、プレイヤーである里美と喜兵衛だけである。ところが、ほぼこの車両にいる全員の耳に届いただろう。なぜなら、その瞬間、車内は不気味なほどに静まり返っていたからだ。勝負に夢中になっていた私にはその気配がまるで感じられなかった。急病人が現れ、車掌が駆けつけて、医師が必要かどうか額に皺を寄せて当事者は考えていた。そして、周囲の乗客はその成り行きを息を潜めて見守っていたのである。私のダウトの叫びが響いたのは、そんなときだった。
「石岡先生、マズいわよ」
 里美が青い顔をしている。熱を上げていた私の脳も急激に冷えてきた。なにしろ人の一命に関わる相談の最中に、ダウト(疑う、ウソ)というのはいかにも問題だ。あの不謹慎な言葉の償いをしなければならない。席から立ち上がると私は口を開きかける。
「それは本当ですか」
詫びようとしていた私に声をかけてきたのは、公安の刑事の加賀谷だった。 「え、いや…」
 私はバツが悪い。ところが、次に発言したのは予想もしない人物であった。
「くそぅ、何もかもバレバレなのか。探偵野郎にはよ」
 例のカップルの片割れの紳士が血相を変えて立ち上がったのだ。とっさに動けない私の前に出た加賀谷が、目を剥いて殴りかかろうとする男を受け止めた。
「残念だったな。おまえも『砂漠の舟』のメンバーか。急病人を装って新幹線を止めようとするとは、考えたもんだな。だが、こっちにはそんな浅知恵は通用しないお方がいるんだよ」
 加賀谷は暴漢の腕をねじり上げる。すでに私の後ろの席に座っていたときの紳士の面影はなく、憎々しげに私を睨んでいる。 「ちきしょう。最初からオレたちに目をつけていたんだろ。何度も密談をジャマしやがって。覚えてろよ」
 私が赤面しながら目撃していたのは、恋人同士の熱いキスではなく、テロリスト集団の犯罪計画の相談だったのか。
「いいから来い」
 正体を露呈したカップルは加賀谷の仲間に引っ立てられていった。パーサーが車内の乗客に事情を説明する。加賀谷は私に深深と頭を下げた。
「石岡先生に<_ウト″と注意を促されなかったら、私たちは新幹線を止められていたでしょう。重ね重ねお礼を申し上げます」
 私がそれもまた偶然だといっても信じないだろう。加賀谷は私の耳に顔を寄せると声を潜めた。
「連中が焦っている証拠です。新幹線を止めて<宴Nダ″を逃がそうという腹積もりだったのでしょう。当てが外れている今こそ好機です。なんとかラクダを見つけだしてお縄につかせてやりたいです」
 相変わらず加賀谷は古びた表現を使う。
「先生、誰がラクダか目星はつきましたか?」
「いや、それはまだ、というか…」
 加賀谷の期待を裏切る部分を最小限で済ませるには、あいまいに答えるしかない。
「少しでも先生のカンに引っかかる相手がいたら、すぐに教えてください」
 加賀谷が立ち去った後、さすがに私たちはトランプを続ける気にはならなかった。結果的にダウトの宣言はうやむやになったが、私は喜兵衛に対して何となく申し訳ない気分だった。そこでトランプを束ねてケースに入れると、彼にプレゼントすることにした。
「なぜ、ワシに」
 訝しがる喜兵衛だが、私は孫と遊ぶときに使ってほしいと思っていた。
「あなたには必要だと思いますから」
 喜兵衛の唇がピクピク震えている。私は言葉が足りなかったことを悔いた。サミットによって京都の観光地はどこもかしこも人が一杯である。喜兵衛の行く予定であるナントカいう寺も例外ではあるまい。遠路はるばる足を運んで実りが少なかったとしても、孫と楽しくトランプでもしてほしいという願いを込めての贈り物である。 「拝観は難しいと思いますから」
 相手を傷つけないように私は精一杯の笑顔を浮かべていった。喜兵衛は穴のあくほど私の顔を見つめた後、清々しい表情になった。
「さきほどの刑事さんを呼んでもらえますか」
 私は喜兵衛が何を言い出したのか理解できなかった。
「何の…ためにです?」
「フォッフォッフォッ。先生もお人が悪い。あえてワシの口から言わせるおつもりか。仕方あるまい。ワシの負けじゃからの」
 喜兵衛は静かに宣言した。
「お察しの通り、ワシが『ラクダ』じゃよ」
 喜兵衛の告白を聞いている間、私はほとんど口をさし挟めなかった。なにしろ初めて聞く事実ばかりだから、感嘆の言葉しか出ないのだ。
「私の隣に座ったのが探偵だなんて、出来すぎていると思ったものじゃ。だが、石岡先生は確実にワシの外堀を埋めてきなすったね。まずコカインの受け渡しを阻まれた。末端価格でグラム7万は下らない上物じゃ。あれだけの量を押えられては、ウチは大打撃だな。でも、あの後、先生がいなかった数十分間こそが、今思えばワシが逃げられる唯一のチャンスだったんだろうよ。だが、ワシのプライドが事態を把握できないうちの逃亡を許さなかった。すべてが先生の手の内にあるとハッキリ思い知らされたのは、あのトランプゲームのときじゃ」
 いうまでもなく私には思い当たるふしなどない。
「薄々はヤバいなとは思っていたんよ。とくにあの紙袋の中身をたしかめられたときはね。その疑惑が決定的になったのは、トランプの最中、先生はワシに『C4が見えています』といったこと」
 私がいったのは『シー、4が見えています』である。
「紙袋の中のC4コンポジットが見破られていたことを知らされたわけじゃ。あのプラスチック爆弾は、あれだけあれば十分この列車を吹き飛ばせる」
 その場の一同が凍りつく。
「まあ、雷管をセットしない限り、安全じゃがね。それにしてもハッキリ見ておきながら、顔色ひとつ変えないとは、さすがは石岡先生だったな。陶芸家を装って、パッと見ただけでは陶芸用の粘土にしか見えんようには工作したが、無駄だったわけだ」
 いやいや私の目には単なる粘土にしか見えなかった。
「新幹線を緊急停止させて脱出する仲間の捨て身の工作も未然に防がれた。ここまでくると、逆に疑問すら湧いてくる。なぜ石岡先生はワシを捕まえずに生殺しのような状態にしておくのだろうと」
 もちろん、喜兵衛の正体など想像していなかったゆえだ。
「ゲームの最中に先生はワシを泳がせておく理由を『まだ全体のほんの一部が見えただけだから』と笑った。正直内心ビビッたね。すべての先手を打つつもりかと」
 私はそういう意味でいったのではない。
「最後などトランプを渡して『あなたには必要でしょう』とヌケヌケと。ケッ、まるで千里眼だ。たしかにワシはプラスチック製のトランプを今度の爆薬の散弾代わりに詰めてやろうと考えていたよ。警戒厳重な施設の中では、それぐらいしか持ち込めないからな。おまけに『配管が難しい』とまで指摘しやがった。プロのワシらも驚く博学ぶりよな」
 一番驚いているのは、私である。京都のお寺の#q観″が難しいといったのだ。
「そしたら、ふと思い当たったんじゃ。この旅行の中盤で、石岡先生はワシに八ツ橋を渡したことをな。なぜじゃと考えてみたら、そのときこういわれたんだな。『これはシャレだ』と。シャレとは駄洒落のことじゃろ。そこでハタと膝を打てた。『八ツ橋』とは『ヤツはC』の意味ではないかとな」
「ヤツはC、つまり『Camel(キャメル=らくだの意味)』の頭文字か」
 加賀谷が感に堪えない風にいった。
「そういうことよ」
 喜兵衛は目を潤ませて私に微笑んだ。
「先生はずいぶん前からワシの正体に気づいていたんだなあと。そこをあえて見逃して、ワシに自首するチャンスをくれたんじゃね。ありがとよ」
 上司に引き会わせて歓待したいという加賀谷の申し出を、先約があるからと半ば強引に断って京都駅の改札を出たとき、私はすでに死に体だった。自分では頭を使った覚えはないのだが、どうにも疲弊して何も考えたくなかった。ところが、そんな悠長なことはいっていられない。改札を出たら、すぐに「灰汁宮旅館」の旗を持った一団が私たちの下に駆け寄ってきたからだ。
「これは、これは石岡先生。遠いところからようこそお越しやす」
 なんと、女将であるアサ自身が出迎えに来ていたようだ。しかし、彼女たちの期待にはとても応えられそうにない。
「さあさあ、お荷物をお持ちしましょう。まずは汗を流していただいて…」
 かっさらうばかりの勢いでお世話しようとする仲居たちに荷物を渡すわけにはいかない。私はアサに頭を下げた。
「その前に申し上げなければならないことがあります」
「何でしょうか」
 アサは不安げな顔になった。だが、ここは心を鬼にする必要がある。
「すみません。今から僕が申し上げることは、あなたを傷つけることになると思います。実は…」
 私がそこまでいったとき、傍らに飛んできた人物がいる。その人物は「オレがやったんや」と叫んで土下座をした。驚いた私がよく見てみると、新幹線の中で、私たちの前の座席にいた男だ。八ツ橋のお裾分けをけんもほろろに断った若者である。
「真一、どういうことなの。お客様の前ですよ」
 アサがうってかわって厳しく叱る。真一と呼ばれた若者は、ブルブル震えながら私を見上げた。
「オレは見ちまったんや。この大先生は、新幹線で東京からここに来るまでにあの『砂漠の舟』を壊滅させちまった。そんな人の手にかかったら、オレの目論んだチンケな犯罪なんかあっというまに暴かれちまう。それは火を見るより明らかや。だったら、それまで座して待てねえ。洗いざらいしゃべるから、堪忍してくれ」
「ウチの『万汁厨房記』を盗んだのは、おまえなのかい」
 アサの詰問に、真一は「堪忍や」と何度もうなずいた。
「この人はもうオレのことを知ってるんだ」
 真一が私を指差す。
「お婆ちゃんが東京から探偵を呼ぶというから、オレがその前に潰したろと思っていたのに。この先生は、何食わぬ顔でオレに八ツ橋を渡したんや。心の底からブルッたで。オレが座っている席の番号の『8−C』と『京都生まれ』に引っ掛けて八ツ橋やて。そんな粋な真似をされたらもうアカン。次元が違うわ」
 二つとも、私は今知った事実である。
「それで得心がいったよ。石岡先生がさきほど口篭もったのは、身内のおまえが犯人だったからだね」  バシッ。肉を打つ音が響いた。アサが真一を張り飛ばしたのだ。
「このゴク潰し。今日限りで灰島家から勘当だよ」
 周囲に静寂が訪れた。ようやく私が口を開くことが出来る。
「お取り込み中、申し訳ありませんが…」
「なんでしょうか」
 アサがやや表情を和らげて私を向いた。
「さきほど私が言いかけたのは、そういうことではありません」
「…とおっしゃいますと」
「実は…」
 私は内ポケットから、送ってもらった新幹線のチケット分の代金を入れた封筒を取り出した。
「このお金をお返ししようと思いまして」
「へっ?」
「私は探偵ではありません。今回のご依頼についても、とてもお力になれるとは思いませんので、申し訳ありませんが、チケット代はお返しいたします」
 頭の中で何度も練習してきた台詞なので、何とか淀みなくいえたと思う。憎まれるのは私一人でいい。だが、罵詈雑言だけでは済まず、真一のように引っ叩かれることも覚悟していた私の目に映ったのは、アサの泣き崩れた姿だった。
「先生、先生、あなたって人は…」
 後から流れつづける涙をこらえきれず、顔を両手で覆ったアサは路上に膝をついてしまう。真一はアスファルトに額をつけて号泣している。
「石岡先生。ありがとうございます。このご恩は一生…一生忘れません。心を入れ替えて生きていきます」
 泣いているのは二人だけではなかった。灰汁宮旅館の従業員たちも一様に涙を流している。
「あ、あの…」
 何が起きたのか私には把握できない。まるで全員が強度の花粉症にかかったかのようだ。しばらくして落ち着きを取り戻したアサが真っ赤な目で私を見つめていった。
「真一を庇おうという石岡先生の海よりも広い優しいお言葉をいただいて、私は言葉もありません。そのお心遣いに免じて、今回だけはあの出来そこないの罪を許します。わかったかい。先生の好意を無にするような真似したら、次は許さないよ」
 最後の言葉は真一に向けられていた。彼は「ハイ、ハイ」と叫びながら嗚咽を漏らす。
「さあ、事件は解決しました。当旅館でゆっくりと旅の疲れを癒してください」
「いえ、お気持ちはありがたいのですが…」
 今まで黙っていた里美が口を開いた。
「次の事件が待っておりますので…」
「それは残念です。どちらへいらっしゃるのですか?」
「大阪へ。そしてL.A.辺りに…。ね、先生」
 私は口からでまかせをいう里美にあきれた。
「そ…そうだっけ」
「わかりました。それでは無理にお引止めはしません。ですが、お約束をいただけますか。次に京都にいらしたときは、必ず当旅館にお立ち寄りください。灰汁宮旅館あるかぎり、石岡先生を粗略に扱いませぬゆえに…」
 名残惜しそうなアサたちへの挨拶もそこそこに私たちは今抜けてきたばかりの新幹線の改札をくぐる。
「いい加減なことをいってたね、大阪だとか」
 二人きりになり、ようやく私も気安い言葉が口を出る。
「あら、本当よ。これから新大阪なんだから」
「えっ、関西空港に行くつもりかい。まさかL.A.辺りって…?」
 里美がウインクしながら言った。
「L.A.辺り…にもあるユニバーサル・スタジオ・ジャパンってこと」
「おいおい」
「先生は、京都サミットの危機を救い、一人の青年を更正させたのよ。一日ぐらい遊ぶ資格は十分だと思うけどぉ」
 そんな大それた自覚は私にはまったくないが、里美と楽しい一日を過ごすことには異存がなかった。

つづく おしまい
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