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頑張れ!石岡君
石岡くん、マジシャンになる 4

「石岡君、マジシャンになる」4 優木麥

石岡くん披露宴騒動記 1

   
…

 私が抗う隙もなく、魔の手は伸びてきた。さゆりの手が私の頭からシルクハットを取ると、自分の被っていたシルクハットと交換してしまったのだ。出番寸前の動きなので、私としても取り合っていられない。とにかく舞台の中央に出て行く。ありがたいことに、大きな拍手が聞こえてきた。
「石岡先生は実はミステリーだけでなく、マジックにもご精通しておられるそうで」
 田原が段取りどおりのセリフを話し始めた。
「そんなことはありません」
 少し声が震えながらも私は台本にあったセリフで答える。
「いやいや、なかなかの腕前だと耳にしておりますぞ。そうだ、せっかくの機会なのですから、ひとつ皆さんの前でご披露いただこうではありませんか」
 なんとも非現実的な言葉である。この役回りの私がいささかでも本物の私と重なっている部分があると誤解されては大変だ。
「石岡先生、ハンケチ」
 田原が小声で指示してきた。緊張感を薄れさせようとボーっとしていたようだ。すぐに私は胸ポケットから白いハンケチを取り出す。そして練習したように、目の前で広げると観客席に向かって裏表を見せた。何百という人間の目が私の一挙手一投足に集まっている。とてもまともな神経では耐えられる状況ではない。義務感と、練習と、隣にプロの田原が立っているという複合的な要素でかろうじてこの舞台にいられるだけだ。
「いい感じですよ。そろそろシルクハットを脱いで、ハンケチを入れてください」
 田原の指示に従って、私はシルクハットを脱いで逆さに持った。そして白いハンケチを丸めてその中に放り込む。その瞬間、私はとんでないことを思い出す。このシルクハットはタネである鳩が仕込んであるシルクハットではない。出番直前に、さゆりによって取り替えられていたのだ。つまり、さゆりが被っていたタネも仕掛けもないただのシルクハットに過ぎない。
「さあ、鳩を出して」
 私の失態を知らない田原が歌舞伎の黒子のように指示をくれる。しかし、このシルクハットは二重底でもないし、鳩も仕込まれていないのだ。私は絶望的な目で田原の顔を見た。プロの彼は、瞬時に私が鳩を出せない事態に見舞われていることを悟ったようだ。
「ハンケチを出して、もう一度お客さんの前で広げて」
 舞台馴れしている田原は動じなかった。あとで聞いた話では、このときの田原は私からハンケチを受け取って、このような緊急事態のために彼の胸ポケットに常備している万国旗を取り出すマジックに切り替えようとしたらしい。ところが、私が取り出した白いハンケチを広げたとき、次のハプニングが起きた。
「どっぎゃあー、あーあー」
 咆哮とも絶叫ともつかぬ叫びとともに、舞台の袖から百々さゆりが飛び出してきたのである。同時に白い鳩も舞台を飛び回った。ご存知の方もおられるかもしれないが、さゆりは大の鳩嫌いである。かわいい小動物は生理的に受け付けない。私の感覚で言えば、シルクハットをいじっていたら、中にヘビが潜んでいたという状況と同じであろう。舞台裏を知るものにとっては、とんだハプニングであるが、そうとは知らず、目の前で起きたことだけを見せられている観客にとっては受け取り方が違った。まるで、私が白いハンケチの合図によって、百々さゆりと白い鳩を同時に舞台に出現させたように見えたのだ。拍手が私たちを迎えてくれる。
「ヒヤッとしましたが、結果オーライです」
 田原が笑う。ちなみにさゆりは舞台の反対側に走り抜けて消えた。 「いやあ石岡先生。プロでも考えつかない演出ですよ」  苦笑いしながら田原は観客に対してはそう言うと、例のカードを取り出す。二番目のネタであるトランプマジックだ。
「やはりマジックといえば、トランプ。真の腕前はこれで明らかになります。さあ、石岡先生、このカードを使って何かご披露ください」
 田原が観客に一度カードを見せてから、裏返しにして私に手渡す。すでにこの段階で、彼によって「すべてハートの5のカード」にスリ替えてある。私は先ほどの動揺を抑えようと努力していた。何はともあれ初手から失敗してしまったのだ。あれほど私の練習につきあってくれた田原に報いるとは、その成果を見せることにほかならない。私は舞台を降りて、観客のテーブル席の間を歩き始める。
「どうしたんですか。お客さんの協力が必要なんですか?」
 田原がフォローを入れてくれた。そのセリフは私が自分で言わなければならなかったのだ。セリフを抜かしたり、間違えたりはできない。ショーは一連の流れになっているので、私が滞れば、全体が滞ってしまう。
「運命の一枚を引いてください」
 舞台に出てから私は久しぶりに口を開いた気がする。私の言葉が自分に向けられていると感じた目の前のOL風の女性が、カードを一枚引く。私は田原が述べていた口上を一字一句復唱しようと懸命だった。
「このカードにこそ、古来よりさまざまな意味が込められています。たとえばトランプでおなじみのマーク。スペードは…」
 詰まってしまった。あんなに必死で覚えたはずなのに、一度つかえてしまうとその後の文句も浮かばない。ここで焦っては台無しになる。やはり流れで覚えたものは、流れの中でしかよみがえらない。そこで私はもう一回最初からやり直すことにした。
「運命の一枚を引いてください」
 今度目の前にいたのは中年のサラリーマン。さっきのOLと同じように私の手からカードを一枚抜く。
「絵柄にも一枚一枚に意味があるのです。たとえばクラブのKはエレキギターがモデルだといわれていますし、ダイヤのKはジュリアナ東京…」
 いい線までいった気がするが、会場からはどよめくような笑いが起こった。
「運命の一枚を引いてください」
 私はいささか意地になっていた。絶対に思い出せるはずなのだ。そうやって何度か口上を復唱することに夢中になっていた私は、肩を強く叩かれていることに気づくのに時間がかかった。叩いていたのは、もちろん田原だ。
「石岡先生、そんなに何人にも引かせてどうするんですか」
 そのときの田原の言葉は当然ながら台本にはない。虚実が入り混じったセリフである。
「みなさんのカードを当てられるんですか?」
「それは大丈夫です」
 私は瞬間的に田原と二人だけで会話をしているような気になっていた。
「みんなハートの5ですから」
 私の言葉に対して、カードを引いたお客たちは一様に自分のカードを掲げて、ハートの5であることを示した。万雷のような拍手が巻き起こる。私はその拍手で現実に戻る。全部同じカードなんてインチキではないか、と思われなかったのは幸いだ。まるで最初から複数のお客に引かせることが狙いだったかのようにとられたのだ。
「トレビアンですね石岡先生。でも、マジシャンなら、もっと大掛かりなマジックもできるんですよ」
「わ、私だって…」
「ほう、是非とも拝見したい」
 私の受け答えは拙かったが、田原が強引に進行していく。
「何をお見せいただけるんですか?」
「く、くう…ちゅ」
「空中浮揚ですか。それはすごい」
 私は段々息が切れてくる。
「その空中浮揚は、どなたかお手伝いが必要ですか?」
「ええ、安藤君の…」
「はっ?」
 おどけた表情で私に問い直す田原だったが、その目は笑っていなかった。私は失言してしまったことを知って、震え始める。
「すみませーん。この会場に安藤さんというお名前の方はいらっしゃいますか?」
 アドリブで切り返す田原はさすがである。観客席から手が上がった。三人ほどいるようだ。いうまでもなく、田原が選んだのは女装した安藤ランプ。
「では石岡先生、ご自慢の空中浮揚をお見せください」
 私たち三人は舞台に戻った。すでにスモークが焚かれ始め、舞台の上は薄く霧がかかったような状態だ。
「さあ安藤さん、その椅子にお座りください」
 田原がどんどんと仕切る。本当に必要なところ以外は自分がしゃべって進めていこうと決めたようだ。
「石岡先生、早く椅子の前に立って」
 田原が小声で指示した。私が彼らの作業を覆う形で立たなければ、フックやワイヤーを仕掛けるのが観客に見えてしまう。慌てて私は言われたとおりにする。
「先生、何でもいいから話してください。シーンとしてたら、マズイです」
 たしかに観客に背中を向けて、無言でコソコソやっていて は勘ぐられてしまう。だが、舞台の上という特殊な状況における私は、そんなに臨機応変に対応できるはずもないのだ。何かを言わなければならないという強迫観念だけが私を襲う。
「今日は…どうも、ありがとうございました」
 私は必死に声を絞り出した。田原が血相を変えて私の目の前で手を振る。
「何を話してるんですか。もうまとめの挨拶してどうするんです。空中浮揚のための催眠…わかりました。とにかくお客さんのほうを見て、これから#゙女″が宙に浮くという話だけしてください」
 私はうなずくと、すぐに観客の方を向いた。だが、ここで今日何度目かのアクシデントが生じる。舞台上の天井裏でワイヤーの操作をしているスタッフとは、ワイヤー引き上げのタイミングについて、私が正面を向いたときという形で決めていた。言葉による合図では、聞き違いなどのミスが生じかねないため、アクションをキューサインに決めていたのだ。それが裏目に出てしまった。まだ田原は安藤に対して体を吊り上げるだけのセッティングを終えていない。しかし、私が正面を向いたため、勘違いした舞台上のスタッフはワイヤーを吊り上げてしまった。その結果、どうなったか。安藤の着ていた上着や、長髪のカツラなどが吊り上げられ、舞台に残った安藤は五分刈の頭と、筋肉質な上半身をさらすありさま…。
 観客は最初は何が起きたのかわからなかった。だが、バツの悪そうな表情で舞台に残された安藤の様子を見て、大笑いの渦ができる。そしてその後、またもや大きな拍手に包まれたのだ。とにもかくにも、私が正面を向いたと同時に起きた現象なので、こういう演出のマジックだったと受け入れられたようだ。私と田原は観客席に向かって一礼すると、パイプ椅子の片付けや、上半身裸になった安藤を抱えるように舞台の袖に引っ込む。すると拍手が一段と大きく鳴り響いた。どうやらこれで終わりだと思った客がアンコールを要求してくれているようだ。
「田原さん、すみません。教えていただいた通りに全然出来なくて」
 私はすぐに田原に謝罪した。三つのマジックがすべてわけのわからない形になってしまった。
「いや、謝っていただくことではありません。我輩としてもハラハラするんですが、反面ワクワクして楽しんでいる自分もおります」
「最後はバッチリ決めますから」
「そうですね。ラストワンです」
 最後のマジックである監禁大脱出。このネタのために、私のサングラスを田原に渡し、私は田原の付け髭を頬に付けた。
「我輩の入ったはずの箱が空だと観客に示したら、観客席の後ろから声を出してくださいね」
「わかりました」
 段取りを最終確認すると、田原とアシスタントたちは箱を押して舞台に出て行く。もう終了だと思っていた観客は熱狂的な拍手で喜びを表した。音楽とともに田原がロープで縛られていく。ちなみに観客は、いま舞台で縛られている田原が、石岡和己であると信じているはずだ。
「先生、そろそろ参りましょう」
 Tシャツを羽織った安藤が私を促す。舞台の動きに観客が集中しているうちに、私たちは観客席の後ろに回ってスタンバイする必要がある。そのときだ。
「やっぱりあの箱の中に入ったとしか考えられないなあ」
 毒蜘蛛の飼い主である作家が吐いたその言葉は、私には聞き捨てならなかった。
「どういうことですか」
「えっ、いや…その…」
 しどろもどろになる彼を私は問い詰める。
「すみません。実は僕が出し物で使ったセアカゴケグモが一匹見当たらなくて…。たぶん、あの箱の中に入ったんじゃないかと」
 指差す先には、舞台で田原が閉じ込められている箱…。
「あの中って。毒蜘蛛なんでしょう」
 私は胸が騒ぐのを感じる。
「ええ、一応神経毒を持っているので、人間が咬まれれば運動神経系、自律神経系が阻害されて、吐き気とか痺れなどの…」
 私は彼の言葉を最後まで聞いていなかった。我を忘れて舞台上の箱に突進する。ロープで結ばれた箱を必死で開封していく。
「先生、何をしてるんですか」
 アシスタントたちが戸惑って私を見ているが、舞台にいる以上、手を出して止めるわけにはいかないようだ。もっとも私にはもはやマジックうんぬんの話ではない。優しく指導してくれたアブラカ田原が、この箱の中で毒蜘蛛と閉じ込められているのだ。事態は一刻を争う。ついにロープを外し、箱の蓋を開いた。中には誰もいない。安心した私は頬髭を外して顔を上げた。その瞬間の地鳴りのようなオーッという数百人の感嘆は忘れることができない。彼らからすれば、今目の前で箱の中に監禁された石岡和己が、アッという間に抜け出て、舞台の袖から走ってきたように見えたのだ。続いて降り注ぐスコールのような拍手が鳴る。一種の放心状態だった私は、傍らに人が立ったのにもしばらく気づかなかった。
「グレイトショー!」
 満面の笑顔を投げてきたのは、田原だ。
「田原さん、ぼくは今日のショーを…」
「最高でした。我輩はいつまでも、いつまでもこのショーのことを忘れません。ありがとうございます」
 目に涙を光らせた田原が私の手を凄い力で握りしめる。予定調和がことごとく崩れるマジックショー。正直言えば私も見てみたい。でも、自分でやるのはもうゴメンだ。

つづく おしまい
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