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頑張れ!石岡君
石岡君、剣豪になる 2 「石岡君、剣豪になる」2 優木麥 石岡君、剣豪になる 2

   
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「吉良がいたぞー!」
 二階の窓から木村が顔を覗かせると合図の声を出した。つまり、寝室で大高田を見つけたのだろう。それにしても、事態は誰にとっても好転しているとは言えない。お芝居の事情を知らない家人によって、すでに警察を呼ばれている可能性もあるのだ。
「石岡先生、早く二階へ。大石内蔵助のセリフがなければ、きっと大高田の記憶も刺激されません」
 亜津子が私を急かす。
「わかりました。亜津子さんは、一階の人たちに事情を説明して、警察への通報を止めてください」
 私は家の中に入り、義士役のエキストラの案内で二階に上がっていく。階段から一番奥の寝室に入った瞬間から、私は大石内蔵助になりきらなければならない。大高田の記憶が戻るかどうかの成否はその一点にある。セリフはたったひと言。「吉良殿でござるか」だけである。小境遊丸の口調に似るように、何度も練習した。私は深呼吸すると、背筋を伸ばして大高田の寝室に入った。
「なんや、おのれがこいつらのアタマか?」
 突然、怒声を浴びせられて、私は頭も身体も硬直する。部屋の中の様子は、段取りで決められていたのとはだいぶ違った。革製のガウンを羽織った大高田が木刀を持って構えている。その足元には気絶した木村が寝ていた。「ケンカ安兵衛」の役が泣いている。たぶん、大高田の一撃を食らったのだろう。彼は剣道三段の実力者である。
「なんや、どこのもんや? 名乗らんかい」
 大高田の目は血走っている。迫力が違った。いや、役者が違うというべきか。先日、私の事務所に現れた好々爺然とした面影は微塵もない。
「ワシを、富士不死身組の組長と知ってのカチコミやろーの」
 大高田の言葉で、思考停止していた私はようやく合点がいく。彼はいま「東海道ドスあり、賭場あり、男あり」の主人公の記憶が戻ってしまったのだ。火消し装束の衣装がどうとか言う以前に、寝込みを襲撃されるというシチュエーションが、そちらの役の記憶を刺激したのだろう。考えてみれば、たった一度しかやったことがない「吉良上野介」役よりは、シリーズ化して何度も演じている主人公のほうが記憶が強いのもさもありなんである。
「名前ぐらい言うといたほうがええぞ。墓標に彫れんからな」
 大高田がジリジリと迫ってくる。私の額に冷たい汗が流れた。とにかく事態を収拾しないととんでもないことになる。慌てないで、初期の目的通り、大石内蔵助を演じてみよう。今はヤクザの組長になりきっている大高田の記憶が、その刺激で、吉良上野介に変わらないとも限らない。
「き、き、きら…」
 たったひと言の「吉良殿でござるか」が言葉にならない。恐怖と緊張が私の唇をうまく動かさなくなっている。
「キラーだと? やっぱり殺し屋か。英語で言うとはシャレてるな」
 かえって火に油を注いでしまったようだ。事態は悪化している。
「覚悟せい。骨は拾ってやるからのー」
 構えた木刀の先が、私の目の前まで迫ったとき、背後に亜津子の声がした。
「石岡先生、どうしよう。警察に通報されてたみたい」
 彼女の言葉を裏付けるように遠くからパトカーのサイレンが響いてきた。ところが、誰よりも動揺しだしたのは、大高田だった。
「こりゃいけねーや。マッポ相手じゃ、不死身のワシもさすがに分が悪い。命拾いしたの」
 言うが早いか、大高田は二階の窓から飛び降りてしまった。室内に残された私と亜津子はしばらくそのまま立ち尽くしている。

              ●

「結局、すべての要素が緻密に計算されていなければ効果が出ないんですよ」
 頭に包帯を巻いた木村が熱弁を振るう。大高田に木刀で殴られた箇所はたんこぶができていた。私と亜津子は黙って紙コップの紅茶を啜っている。正直に言って、あの夜のことはもう忘れたい。二階から飛び降りた大高田は、右足を捻挫してしまった。駆けつけた警察官に騒ぎについて事情を説明したが、私たちはこっぴどく叱られたのだ。さらにそれだけの犠牲を払ったにも関わらず、大高田の記憶はいまだに戻っていないことが判明した。どうやら、富士不死身組の記憶が戻ったのは、一時的なものだったらしい。
「中途半端なシチュエーションでは、大高田さんの崇高なる記憶にビビッドに反応しません。相手はプロの役者として数十年も第一線にいる人なんですから。ディテールも、雰囲気も、緊張感もみんな大事です。全部揃ってこそ、彼の……」
「今度は大丈夫なんでしょうね」
 亜津子が木村の演説を遮った。その質問は、私も是非してみたかった。
「もちろん」
 木村は大きく頷く。
「やはり、日常の風景で、突然、時代劇の場面にチェンジすることは無理がありました。だから、セットから何からすべて時代劇のシチュエーションにして、そこに大高田さんを連れてくる方が効果は高いはずです」
 木村の発案によって、亜津子が八方に手を尽くし、現在、収録中の時代劇ドラマのセットを収録後に借りられることになった。現在、私たち三人がいるのは、都内のスタジオの控え室。お寺の境内のセットをまるまる使って、小境遊丸の演じた役に扮した私と、大高田が再び対面する。
「前回は、大石内蔵助にまったく反応してくれませんでした」
 私は木村の意見が聞いてみたい。
「ええ、堀部安兵衛役の私が最初に対面してしまいましたからね。一番に会ったのが大石役の石岡先生なら、また違った展開だったかもしれません」
 今度こそ効果が現れてくれないと私も困る。
「今日はバッチリです。夜間に一人でいるところに、現れて対面するというパターンはショック療法として間違いではありません。だから、最初から石岡先生と大高田さんが相対するパターンにします。あのお寺のセットで、一対一のシチュエーション。これなら絶対に思い出すはず。芳一役の大高田さんと、平家の落ち武者の亡霊役の石岡先生」
 木村が私にウインクをしてきた。言うまでもなく、今回演じられるのは「耳なし芳一」の一場面。琵琶の達人である芳一を夜な夜な誘いにくる平家の亡霊武者を私が演じることになる。すでに大鎧に篭手や臑当てなどの具足一式を身にまとい、私の頭にはざんばら髪のカツラが被せられている。
「照明さんと音響さんにも協力してもらえることになっています」
「本格的にあの『耳なし芳一』の名場面を再現できるんですよ」
 木村や亜津子の説明を聞いていると、確かに前回よりははるかに期待できるかもしれない。舞台も、特殊効果もプロが担当するのだ。さらに、今回も私のセリフは少ない。大高田の前に現れてひたすら「芳一、芳一」と怖そうに呼びつづければいい。
「ただ気がかりなのは、時間です」
 私は不安を口に出してしまう。実は今夜は、久しぶりに里美と食事をする約束をしたのだ。お互いに都内に出る用事があったから実現したのだが、あと一時間後に約束の時刻なのに、まだ前の撮影が終わる気配がない。
「ドラマの撮影というのは、時間がかかるのが常ですからね」
「九時から食事の約束があるんですよ」
「場所はどちらですか?」
「相手が気を使ってくれて、すぐ近くのフランスレストランなんですが、予約を入れてくれたようで…」
 私が正直に言うと、亜津子がニッコリ笑った。
「どうぞ、時間が迫ったらそちらに先に行かれて構いませんよ」
「よろしいんですか?」
「ええ、ただ衣装とメイクはそのままでお願いしたいんですけど」
 亜津子の申し出に私は仰天する。
「それは……ちょっと…」
「石岡先生は御存知ないだけです」
 亜津子の笑みは消えない。
「このスタジオは20年以上、ここにあるんですよ。地元の飲食店では、役者がメイクや撮影衣装のまま食事をするなんて日常茶飯事。いえ、蕎麦屋さんなんか日と時間帯によっては、店内が町人や侍の役者だらけで、何時代かと思うほどです。動物のメイクをして話題になった劇団にしても、劇場の近くのお店でその扮装のまま食事をしてますよ。誰も不思議に思いません」
「ああ、そういうものなんですか」
 私はその手の事情には極端に疎い。
「おかしなことではありません。ランチタイムには白衣のままの看護婦さんや、制服姿のOLさんは当たり前に食事しているでしょう。それと同じですよ。一度外してしまうと、再び装着するのに時間がかかるので、ご不便でしょうけど、よろしくお願いします」
「わかりました」
 結局、9時の10分前になっても前の撮影が終了しそうになかったため、私は先に里美との食事を済ませることにした。亜津子に言われた通り、鎧武者姿で待ち合わせ場所のフランスレストランに急ぐ。里美があらかじめ地図をFAXしてくれたので、場所はすぐにわかった。スタジオからほんの五分程度の場所である。予約を入れてくれたというので、予約時間前に到着するのが筋だと思い、私は走った。鎧と具足を着けたまま走るのは相当にキツい。師走の繁華街は人通りが多かったが、みな私の姿を見るとささっと道を開けてくれた。一様に怪訝そうな目で私を見ていた。知らない役者だが、誰だろうと記憶をたぐっているのかもしれない。中には「きゃっ」と悲鳴をあげる女子学生もいた。亜津子の言うように、地元ではスタジオで撮影する役者の認知度が高いために、収録に間に合わず急いでいると思ってくれ、道を譲っているのだろう。ようやく、目指すレストランに到着した。なんと、窓側のテーブルにすでに里美が座っている。彼女と顔を合わせるのも久々である。嬉しさと懐かしさから私は思わずウインドーを叩いて里美を呼んだ。こちらを振り向いた里美は、私の姿を見ると瞬間的に口を手で覆って悲鳴をあげる。思わぬ反応に私はビックリした。しかし、ウインドーに映る自分の姿をよく見てみる。ざんばら髪を振り乱し、青白い死相に血を塗られ、鎧と具足にも汚れと返り血が塗られている亡霊武者。急に自分自身でも悲鳴を上げたくなった。
つづく つづく
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