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頑張れ!石岡君
石岡君、剣豪になる 1 「石岡君、剣豪になる」1 優木麥 石岡君、剣豪になる 1

   
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「おのおの方、くれぐれも油断なさらぬように」
 私の目の前には元禄時代の火消し装束に身を包んだ男たちがいる。人数を数えてはいないが、四十六人のはずだ。なにしろ私を入れて四十七人になる計算だからだ。かくいう私自身は、兜頭巾に火事羽織り姿。もうこれ以上説明する必要はないだろう。世に名高い赤穂義士の扮装をしているのである。一応、私が大石内蔵助を演じている。
「吉良をいや、大高田さんを見つけたら、呼び笛で知らせてください」
 どうしても私には命令口調ができない。それ以前に、この装束が精神的にも肉体的にも重い。
「ダメですよ石岡先生。もっと雰囲気を盛り上げていただかないと」
 長柄槍を持った火消し装束の男が私を注意した。彼こそ「記憶回復コンサルタント」を自称する木村連次郎だ。この木村によって、今夜の馬鹿げた討ち入りは企画されている。ちなみに、彼が扮するのは堀部安兵衛。高田馬場の仇討ちなど講談で有名な剣豪の役に対して執着し、何が何でも自分がやると言い張った。別にどちらでもいい話だし、できれば私の役柄も演じてもらいたい。私たちはこれから〃討ち入り〃を演じなければならないのだ。そのための赤穂義士に模した衣装だが、これから入る屋敷とは十分にマッチしていた。白い漆喰が塗られた築地塀(ついじべい)に囲まれた300坪の敷地内に立つ和風の豪邸。この屋敷こそ、数十年に渡って老若男女を魅了してきた大役者、大高田富丸の自宅である。
「みなさんが本気になってくださらないと、ショック療法にならないそうなので。よろしくお願いします」
 これまた義士の中でも高名な原惣右衛門役を演じる原亜津子が私を含めた一同に呼びかける。彼女が熱望したのは「仮名手本 忠臣蔵」に出てくる小浪という娘の役だが、討ち入りの場面には登場しないため、苗字が同じということで原役をかって出た。ちなみに亜津子は、もう十年以上、大高田のマネージャーを勤めている。
「乱戦になると、敵味方の区別がつかなくなります。そのための合言葉を定めました。山と問いかけたら、川と答える」
 鉢巻を締めた木村が私に代わって赤穂義士らしい注意をしている。嬉しそうな彼の様子を見ると、本当にこんな討ち入りが、大高田の記憶を取り戻すことにつながるのか、私は非常に不安になって仕方がない。
 大高田のマネージャーである亜津子と、記憶回復コンサルタントの木村が馬車道にある私の家を訪れたのは、12月の初めだった。
「石岡先生、お久しぶりです。その節は本当にお世話になりました」
 ドアを開けた私に抱きつかんばかりに入ってきたのは、木村である。しかし、最初は私は彼が誰だかわからなかった。
「冷たいですね。東京ヴァーゴのパストラミ監督の通訳をしていた、キムラですよ」
「ああ、あのときの」
 ようやく私は思い出した。以前、偶然の成り行きから女子サッカーチームの監督を勤めたことがある。(バックナンバー「石岡君、サッカーチームの司令塔になる」を参照)
「なにしろ、あの時は、決勝戦前日にパストラミ監督が記憶喪失にかかって大変でしたよね」
「ええ、通訳をされていた木村さんも監督の思い出のユニフォームを取りに、韓国まで行ったりしたんですよね」
 私たちは紅茶を飲みながらひとしきり当時の話を交わした。雑談が一段落したところで木村があらたまった口調で名刺を取り出す。
「実は、パストラミ監督が任期を終えてフランスに帰国しまして、私は思いきって転職しました。いまはこういう仕事をしています」
 受け取った名刺には「記憶回復コンサルタント 木村連次郎」とある。
「珍しい職業ですね」
「ええ。専門にしているのは、日本で五人もいないでしょう」
 木村は嬉しそうに身を乗り出してきた。
「あの時のパストラミ監督の記憶を戻した経験を、他の人にも役立てられないかと考えましてね。世の中には短期的に記憶を失って苦しんでいる人が、もっといると思ったんです」
「たしかに…」
 ここまでの話は理解できるし、是非とも頑張って欲しいと思う。
「それで……石岡先生は口の固い方ですよね」
「ええ、まあ、約束したことは守るつもりです」
「今日、紹介したい方がいまして、ちょっと呼んでも構いませんか?」
 嫌な予感はしたが、断る理由はない。私が承諾すると、木村はドアを出て、男女二人を連れて戻ってきた。高級感たっぷりのカシミアのセーターに身を包んだ男性の顔を見て私は思わず声を上げる。
「太高田富丸……!」
 よく「ナントカを知らなければモグリ」という言い回しがされるが、少なくても大高田富丸を知らなければ、時代劇ファンは名乗れないだろう。わずか5歳にして「親亀子亀」で父と共演デビュー。「我に剣難を与えよ」「山岡鉄舟」「東海道ドスあり、賭場あり、男あり」など数々の有名シリーズの主演を勤める。さらに「紙一重に生きる 平賀源内物語」で日本の映画界における最高の主演男優賞を獲得。年齢を重ねた最近では、テレビドラマの「彼女は碁仇」や「リストラ予備軍 剣ヶ峰万造」で好演し、若者にもその存在感を示した。人気、実力ともに衰えることのない大役者の一人である。そんな大高田に対して、私が驚嘆するのは当然だ。ところが、大スターである大高田も私の顔を見て声を出した。
「遊丸!」
 笑みを浮かべて私に近づこうとした彼は、すぐに頭を抱えてうずくまる。あわてて私は駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「遊丸。ああ、ダメだ。思い出せない」
「あの、私は遊丸さんではなくて……」
 明らかに誰かと勘違いしている大高田にそれを伝えようとするのを、彼と一緒に入ってきた女性が遮った。
「大丈夫です。石岡先生。それ以上はおっしゃらないでください」
「私は、大高田のマネージャーで原亜津子と申します」
 亜津子はドアの外に顔を出すと付き人らしき若者に大高田の世話を頼み、再び戻ってきた。これでソファに座るのは、私と木村と亜津子の三人だけだ。
「お見苦しいところをご覧に入れました。賢明な石岡先生のことですから、すでにお察しかもしれませんが、大高田は軽い記憶喪失に陥っています」
「えっ、そうなんですか」
 私にはまったく見当がつかなかった。というより、今日初めて大高田と会ったのだから、いつもと違うのかどうかも判別不能に決まっている。そんな私には構わず、亜津子は話を続けた。
「先月の終わりに、ドラマの収録中に事故で頭を打ったんです。脳波を調べても異常がなく、すぐに退院でき、日常生活には何の支障もないのですが、実は……何と申し上げればいいんでしょうか」
 亜津子は困ったように木村を見た。彼が言葉を引き継ぐ。
「まあ大雑把に言うと、自分が役者である意識とか、今までの経験とか、演技をする能力などといった部分の記憶がすっぽりと抜けてしまったのです」
「パストラミ監督のケースと同じですね」
 あの時も、パストラミはサッカーに関する経験、知識、意識に関する記憶だけがまったく消えてしまっていた。亜津子はシステム手帳のページを繰りながら言う。
「お医者様の診断では、一ヶ月もすれば元通りになるということですが……。年末年始というのは、芸能の世界に身を置くものにとっては、一日も無駄に出来ない時期なのです。ましてや、大高田のスケジュールはドラマの収録と舞台出演で半年先まで埋まっています。とても一ヶ月も待っていることはできません。そこで…」
「記憶回復コンサルタントである私に相談が来たわけです。何とか一日も早く、大高田さんの役者としての記憶を元に戻さなければならないと」
「お話はわかりましたが……」
 木村達の事情はわかった。しかし、なぜ私を訪ねたのか、その理由がまだ明らかにされていない。
「石岡先生はパストラミ監督の記憶を回復した方法を覚えていますよね。その人物の精神状態がピーク時のシチュエーションに身を置くことで、一気に記憶を戻す。一種のショック療法でしたけど」
「ええ、木村さんの友人も大好きなロッククライミングの最中に記憶を戻したし、監督に関してもサッカーのグラウンドで自分が現役時代のユニフォームを見て成功しましたね」
「ズバリ、大高田さんにもあの方法を施そうと思います」
 木村は上着の内ポケットから一枚の写真を取り出すとテーブルの上に置いた。
「あれっ?」
 私は写真に写っている男の顔にまじまじと見入ってしまう。
「どうですか。そっくりでしょう」
 木村の言葉は大げさではなかった。私の顔と、写真の中の人物は、かなり似ているのである。
「その役者は、小境遊丸さんと言います」
 亜津子が説明を始めた。
「大高田と若手の時代からの親友で、数多くの作品に共に出演しているんです。残念ながら、人気・実力いずれにおいても小境さんは、大高田にはるかに及びませんでしたが…。しかし、二人が公私ともに親友だったことは疑いえません」
「はい…」
「ところが、二年前に交通事故によって小境さんは亡くなってしまいました。友人代表として弔辞を読んだ大高田は、途中で号泣し、その後もずいぶん落ち込んだんです」
「そうでしょうね」
 子供のときからの友を失う気持ちは耐えがたいだろう。
「そこで、今回のお願いですが、石岡先生に小境遊丸さんを演じていただいて、大高田の記憶を取り戻してほしいんです」
「はっ?」
 私はぽかんと口を開ける。亜津子の要望の意味がわからない。
「簡単に言えば、大高田さんが出演した作品の一場面を再現するんです。その際、石岡先生が小境遊丸さんが演じていた役になっていただくと」
 木村が笑顔で話すが、私には想像もできない。
「しかし、ですね。私は演技もできないし、第一……」
「ご心配なく。延々と演じるわけではありません。その一場面だけを、大高田さんの目の前で再現するだけです。そのインパクトで十分にショック療法になりますから」
「うーん」
「お願いします。写真を見た先生ご自身も認められたじゃないですか。そして、さっきの大高田も石岡先生を小境さんと見間違えた。是非とも力をお貸しください」
 亜津子と木村の二人に頭を下げられる。結局、私はその珍妙な依頼を引き受けることにした。やはり、記憶喪失の人間は、私にとって他人事ではないのだ。

                       ●

「では、いよいよ討ち入ります」
 堀部安兵衛に扮する木村が力強く宣言した。彼の依頼を受けて大高田の記憶を取り戻すために選ばれた場面とは、言うまでもなく「忠臣蔵」の吉良邸討ち入りのシーン。いつもは主役の大石内蔵助を演じることが多い大高田が一度だけ敵役の吉良上野介を演じたことがあったらしい。その時に主演を張ったのは、親友の小境遊丸だとか。自分の友にいい思いをさせたかったのだろう。
「大高田は信義に厚い男ですから」
 亜津子の言葉が私の胸にずんと響いた。さらに四十人以上のエキストラに、それぞれの小道具、衣装など経費を考えたら恐ろしくなる。やる気を出して、雰囲気を盛り上げ、何が何でも成功させなければならない。
「参りますぞ。行けやー!」
 木村が絶叫する。義士役のエキストラが一斉に「おー」と声をあげた。その合図と共に亜津子がインターフォンを押した。
「夜分にすみません。マネージャーの原です」
 少々、興をそぐ言葉だが、映画同様に門を破るわけにもいかない。ガチャッ。門のオートロックが解除される。
「いざ、突っ込めやー!!」
 講談で「ケンカ安兵衛」の異名をとる堀部役の木村が槍を片手に一番乗りだ。その後も、 開けられた門の中へ、次々と義士が入っていく。忘れてはいけないのは、大高田に見せることがメインだということだ。彼の寝室は二階の奥にあるという。段取りとしては、義士達が取り押さえて、大石役の私が現れ、ひと言「吉良殿でござるか?」と言う手はずだ。記憶回復コンサルタントの話では、その瞬間に脳が刺激されて、記憶が引き出されるらしい。
「さあ、大石殿も、いざ」
 すでに門の外にいるのは私と亜津子だけだった。私が門から入ると、義士達は大活躍をしていた。口々に「火事だー」と叫んで走り回っている。
「史実によると、寝込みを襲い、火事だと叫ぶことで相手の不意をついたそうですわ」
「みんな、一生懸命やってくれていますね」
 実際に大高田が寝ているのは二階だが、だからといって一階の部分がシーンとしていては台無しなのだろう。ある程度の喧騒が必要ということか。屋敷のあちこちから悲鳴と怒号が聞こえてくる。
「誰かー、泥棒よ!」
「通報しろ。早く警察に!」
 雰囲気が大事なのに、あまり時代劇に似つかわしくないセリフも飛び交っている。せっかく、扮装を時代劇に合わせているのだから、全体を統一した方がいいと思い、亜津子に話しかけた。
「現代っぽい単語を使ってもいいんですか。大高田さんが耳にすると『忠臣蔵』の世界に浸れないかもしれませんよ」
「確かにそうですね。そこまで気が回りませんでした。家の人たちにもあらかじめ言っておけばよかったわ」
 亜津子の返事を聞いた私は、徐々に背筋が冷たくなってきた。
「あの……まさか、この家の人は、今日の討ち入りのお芝居を知らないんですか?」
「ええ、もちろん。だって、最初から知っていたらリアリティをなくすでしょう」
 何ということだろう。私たちは本当に大高田邸に〃討ち入り〃をしてしまっているのである。
つづく つづく
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