島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
頑張れ!石岡君
石岡君、年末の格闘技大会に出る 10 「石岡君、年末の格闘技大会に出る」10 優木麥 石岡君、年末の格闘技大会に出る 10

   
…
「石岡先生の試合はメインイベントですから、オープニングマッチから数えて間に7試合もあります」
 若宮の言葉には聞き捨てならない単語が含まれている。
「すみません、ぼくの試合じゃなくて、ミステリーマスクの試合でしょう」
 いまだ私はミステリーマスクの覆面をかぶったままだ。先ほどは、選手入場式にまで参加してバンジージャンプとジェットコースターに連続で乗ったような気分を味わったばかりだ。多少、高揚したテンションなので言葉がとげとげしくなるのは仕方がない。
「失礼しました。つい……まあ、おっしゃる通り、ミステリーマスクの試合です」
 若宮の思わせぶりな台詞を私は看過できない。
「大塚君は来るんです。電話で説明があったでしょう。6時30分に名古屋駅近辺でしたから、あれから7時までの新幹線に乗れれば、ここに9時前には着くでしょう」
 私はなかば叫ぶように言った。現在の時間は7時30分。いよいよ大晦日の格闘技イベント、ビッグバンバトルは開始した。新世紀アリーナは超満員。すでに第一試合のゴングも鳴った。もう待ったなしなのだ。
「わかっています。興奮しないでください」
「入場式までという話だったでしょう。これで代理の出番は終了ですよ。ぼくは覆面を外して大塚君の試合の準備に入りますから」
「待ってください。必ず来るのなら、そのあと入れ替われば済むじゃないですか」
「いやです。もう誰がなんと言おうと、ぼくはぼくを解放する。自分自身に戻る必要があるんで……」
 耐え切れなくなった私が覆面に手をかけ、あごの辺りまで脱いだところで、控え室のドアがノックされた。室内に緊張感が走る。若宮が私の顔をにらんで、目でマスクを元に戻すように合図する。仕方なく私は従う。完全に装着したのを確認してから「どうぞ」と若宮が言った。
「ヘーイ、ミステリーマスク」
 開かれたドアから姿を現したのは、黒い巨体。元ハリウッドスターから格闘技の道を選んだオブ・サッテ選手だ。
「すみません。オブがどうしてもミステリーマスク選手を激励したいと言うものですから」
 サッテの通訳の女性が申し訳なさそうに言う。確かにこの灰色熊のような男が言い出したことを彼女が止められるわけもない。
「ヘイヘイヘーイ。トゥデイ、イーチウイナーね」
 サッテが親しげに私の肩を抱いてくる。
「今日の試合はお互いに勝者だと言っています」
「サンキュー」
 サッテに抱かれた私の体はまるで絶叫マシンのシートベルトで固定されたようだ。
「イエス、イエス、サンキュー」
「オブは小さな体で暴君竜にチャレンジするミステリーマスク選手のファイティングスピリットに感動したそうです」
「それはどうも」
 実際に戦うのは大塚だが、そんな裏事情はこの場で説明する必要がない。私の顔のすごく横で、サッテがニコニコしている。
「そのうえ、試合前に盛り上げるパフォーマンスの数々は素晴らしく、まさしくミステリーマスク選手は真のプロフェッショナルだと」
「きょ、恐縮です」
 日本語ではとても格闘家の台詞に聞こえないが、通訳がうまく訳して伝えてくれるだろう。
「もしよかったら、試合前の最後のウォーミングアップを一緒にやらないか、と言ってますけど」
 通訳の言葉に私は跳ね上がりそうになる。
「私もビッグサイズだから、暴君竜と戦ういい練習相手にもなるはず、だそうです」
「トゥゲザー、レッツ トゥゲザー」
 サッテが控え室の中央で私を手招きする。覆面の下の私の素顔は汗でビッショリだ。こんな規格外のサイズの格闘家とトレーニングなどできるわけがない。試合に出る出ない以前に、練習で大怪我させられてしまう。
「ノーサンキュー」
 私は蚊の鳴くような声でそう言った。
「ホワーイ?」
 サッテが野獣のような咆哮をあげた。
「なぜ自分とトレーニングできないのか。私が嫌いなのか、と言っています」
「い、いえ、そういうわけじゃなくて……」
「非友好的な態度は不愉快に思う、と怒っています」
 怖い顔のサッテが私に迫ってきた。
「オレはいつもはジェントルマンだが、試合前にはジャッカルになるぜ、と言っています」
「うまく通訳してくださいよ。僕はあなたのことが好きだと。アイラブユー。アイラブユー、ミスターサッテ」
 私は悲鳴を上げるように叫んでいた。しかし、サッテの前進は止まらない。
「オレにそんな趣味はない、だそうです」
「アイラブユーは、そんな意味じゃない。わかるでしょ通訳さん、ちゃんと訳して。フォローしてくださいよ」
 私は尻もちをついてしまう。のしかかるようにサッテの影が近づく。
「アーユーレディ?」
「覚悟はいいな。ちょっとワイルドなスパーリングになるけど、と言っています」
「なんで、オブの発言だけわかりやすいように言葉を足してるんだ。ぼくの真意もちゃんと伝えて。彼のことをフレンドだと思ってるんだって」
 通訳が伝えるとサッテはニヤリと不敵に笑う。
「もちろん、格闘家同士。戦った後はいいフレンドになれるさ、と」
「違うんです。実は……」
 こうなったら自分が格闘家ではなく、今日出場するのは別人だとネタをバラしてしまおうと思った。問題が起きても仕方がない。私がサッテにバラバラにされるよりははるかにマシである。緊急避難だ。
「ミステリーマスクのウォーミングアップは独特なんです」
 私の言葉より先に、若宮が助け舟を出した。
「ホワッツ?」
「瞑想。メディテーションがわかる? オブ」
「オー、ファンタスティック!」
 つかみかかろうとしていたサッテの顔がほころぶ。
「メディテーション。ヨーガ。オリエンタルミステリーね」
「東洋の神秘だと喜んでいます」
 サッテが右手を差し出して、私を助け起こす。このグローブのような拳で殴られていたら、1発で私の全身の骨の3分の1は折れただろう。
「アンダスタンド。ユーアーブレイブマン」
 さきほどとは打って変わったサッテの笑顔だった。この感情の変化の激しさは試合前だからだろうか。
「レクチャープリーズ。メディテーション」
「自分にも瞑想を教えて欲しいと言っています」
「いや、それはその……」
 教えなければ、またサッテの機嫌を損ねてしまう。私は仕方なく、座禅を組んで、目を閉じた。
「ナッシング。心を無にする。ナッシングで……」
 サッテが私の横に大仏のように座ろうとしたとき、激しくドアがノックされた。
「オブ、オブ。ここにいますか?」
「イエース」
 ドアが開かれ、スタッフがあわただしく駆け込んできた。
「試合です。入場ゲートに移動してください」
「えっ、こんなに早く。だってオブの試合はセミファイナルでしょう」
 まだ8時を少し回ったところだ。
「前半の試合がほとんど1分以内に終わってしまって。ドンドン進行して、いま第5試合です。7試合目のオブの試合もすぐ始まるかもしれません」
「これが真剣勝負の怖いところね」
 若宮が他人事のように言う。私は猛烈に不安に襲われた。このハイペースで試合が進行したら、私のメインイベントも始まってしまう。だが、物理的に大塚到着は9時ぐらいを考える必要がある。
「オブ、オブ……」
 私は熱病にうなされるように彼の名を呼んでいた。
「ただ相手を倒すだけでは真のプロフェッショナル格闘家ではありません。じっくり、お客さんを楽しませて戦って欲しい」
 もはや彼に託すしかない。セミファイナルが終了すれば、その後はメインイベントしか残っていないのだ。たぶんに私の都合が入ったメッセージだが、通訳の言葉を聞いたサッテは大きくうなずいた。
「イエース。アイアムプロフェッショナル」
 頼むぞ、サッテ。私は心のそこから彼の健闘を祈っていた。それも、できるだけ長い時間の健闘を。


つづく 「試合編」につづく
…
TOPへ ページトップへ

Copyright 2000-2005 Hara Shobo All Rights Reserved