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頑張れ!石岡君
石岡君、年末の格闘技大会に出る 4 「石岡君、年末の格闘技大会に出る」4 優木麥 石岡君、年末の格闘技大会に出る 4

   
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「ミステリーマスク、大胆不敵なKO宣言!」
 12月31日の各スポーツ新聞の一面は、暴君竜と並ぶ『ミステリーマスク』の写真で占められていた。
「助かりますよ。これで今夜の視聴率にも大きな弾みがつくでしょう」
 今回のイベントのプロデューサーである溜来は上機嫌である。しかし、私の表情は降水確率100%の曇り空よりも暗い。試合会場となる新世紀アリーナの近くのホテルのスイートルーム。溜来に部屋を取ってもらった私は昨夜はここで過ごした。両手両足を伸ばしても端につかないダブルベッドの上で、不安と疑念を胸に宿してまんじりともできなかった。
「いやー、『ミステリーマスク』の正体探しがネットで騒がれてるんですよ。元人気プロレスラーだとか、海外の格闘家だとかね。面白いネタでは、過去にいわくがある武道家じゃないかとか。あとそうそう、海外の一流アーティストのボディガードだから素顔を見せられないんだなんてウワサも流れてるんですよ。傑作でしょう」  溜来はルームサービスで運ばせた茶粥を美味しそうに口に運んでいる。どこで記者やファン、あるいは出場選手に見られているかわからないので、代理で『ミステリーマスク』を演じている私は記者会見後、ホテルに缶詰にされた。今、この部屋にいるのは溜来と秘書の若宮、そして私だけである。「テレビ局もその気になって、『ミステリーマスクの謎に迫る』なんて特別番組を組んできちゃって、ねえ。もうこっちも本番の構成は、二人の因縁を思いっきり煽っていくつもりです。視聴者の興味を釘付けにしてやりましょう」
 溜来は怪気炎をぶち上げている。テレビ局の命運を左右する番組を任された彼の身としては視聴者の好感触は何よりも励みになるのだろう。しかし、今の私にとってはうらめしいだけだ。
「あの……溜来さん…」
 私は口を挟もうとする何度目かの努力を試みた。溜来と女性秘書は勝負の日を迎えた高ぶりを抑えきれないように今日の見所を話し続けている。一秒ごとに不安が増す私は紅茶をちびちび啜るのが精一杯だ。
「ぼくは本人ではありませんので……」
 念を押しておかなければならない。なぜか今もなおミステリーマスクの覆面姿だが、元々は腰痛を起こした大塚克美の代理として記者会見にのみ出席する予定だったのだ。
「承知してますよ」
 福助に似た顔をほころばせて溜来は私の肩を叩く。昨日の記者会見前、溜来にだけは私が代理を勤める事を明かしたのだ。彼には教えておかないと『ミステリーマスク』の正体を大塚と知る以上、声や話し方でバレると言われたからだ。
「まだ大塚君とは連絡がつかないの?」
 溜来が秘書の若宮を見る。彼女は首を横に振った。私自身、記者会見終了後から何十回、大塚の携帯に電話をかけたかわからない。しかし、一度としてつながらなかった。
「連絡をくれてもよさそうなのに……」
 ついつい恨みがましい口調になる。大塚は昨日「明日の朝には必ず帰る」と明言していた。現在、午前8時。
「まあ、私も数多くの格闘家を見てきましたからね。彼らのメンタリティには理解を示しますよ」
 溜来はコーヒーを啜る。茶粥の後、コーヒーと言う感覚は、紅茶党の私には理解不能だ。
「試合直前にケガなんかするとね。とにかくそのことにしか頭が回らなくなるんだよね。ただでさえナーバスな状態なのに、拍車をかけてしまう。だから、腰痛の治療に専念したいという大塚君の気持ちの現れでしょう。連絡がないのは、順調にいっている証拠かもしれない。ただ……」
 私などより何百倍も格闘家について熟知している溜来の言葉にホッとしかけたが、最後の言葉が気にかかった。
「ただ、なんですか」
「いや、やめておきましょう。石岡先生に余計なストレスを与えても無意味ですし」
「気になるじゃないですか。言ってください」
「では、ごくたまにあるケースとして聞いてください。格闘家は豪胆に見えて実は非常に繊細な一面を持ち合わせている。試合当日に朝起きて左足からベッドを降りると決めている選手がうかつにも右足から降りてしまうと、それだけで気持ちに陰りが出るとかね。だから、試合までに綿密な計画を立ててトレーニングして、食事、睡眠とキッチリこなしてやっと本番に臨む。ところが、今回の大塚君のように試合直前になって予想外のアクシデントが起きた場合、ハンディを負って勝負をするプレッシャーに耐えられなくなる選手もいるんです」
 私の中の不安が一気に膨れ上がった。
「そ、そういう選手はどうしますか?」
「試合放棄ですね。もちろん私のところにはもっともらしい理由をつけてきますよ。足首を捻ったとか、脳波に異常があったとかね。でも、本当の理由は戦意喪失です。ベストコンディションで戦えないことに恐れをなしての敵前逃亡」
「だ、だけど、そんなことは許されませんよね。選手は戦うべきでしょ? カードだって発表しているし、お客さんは楽しみにしてきてるわけじゃないですか」
 思わず私はまくし立てていた。
「それが正論ですけどね」
 溜来は意味ありげに笑った。
「しかし、格闘技って闘志の萎えた選手に戦いを無理強いしても、いい結果が生まれることはないんです。好勝負は望むべくもない凡戦が関の山。いやいや、凡戦ならまだしも、ゴングが鳴ってすぐにダウンされたり、ケガをアピールしたりで、実質的な試合放棄をされることもしばしばですよ」
 溜来は窓の外を眺めて、言葉を切った。脳裏には、今まで注目されていながら凡戦に終わったカードや、無気力試合と酷評された勝負が浮かんでいるのだろう。 「だから、私は気持ちが萎えた、と感じる選手には無理強いしないことにしました。その代わり、その後は試合を組まない。海外選手であれば、日本には呼ばない。厳しい姿勢を打ち出すことで、プロ意識を高めています」
「お、大塚君は違いますよ。そんな臆するタイプじゃないはずです」
 私は自分に言い聞かせるように叫んでいた。ノートパソコンに打ち込んでいた秘書の若宮がクスリと笑う。
「私もそう思っています。今回の暴君竜戦になみなみならぬ熱意を感じたので、対戦を決めたのですから」
 無名の格闘家である大塚は、暴君竜の妹の恋人。兄に結婚を承認してもらうことが目的で、元横綱との無謀と思える試合に志願したのだ。
「大塚君はこの試合に賭けているのですから」
「でも、熱しやすいということは、冷めやすいかもしれない」
「溜来さん……」
「人の心はうつろいやすいということです。いずれにせよ、私はそんなに気に病んではいません」
「ですよね。大塚君は必ず帰ってきますから」
 私はメロスの帰りを待ちながら磔にされているセリヌンティウスの気分である。溜来は何かを言いたげに口を動かそうとしたが、ふと言葉を飲み込んだ様子だ。 「カリカリしても始まらない。今日は誰にとっても大勝負なんです。ゆったり待ちましょう。まあ、名古屋から新横浜までは1時間半もかかりませんからね。最悪、午後に向こうを出ても夕方には間に合いますよ」
「そうですね」
 コスチュームなど試合準備はセコンド陣が用意している。大塚の留守番電話に、このホテルに宿泊しているとメッセージに残したので、直接ここに来るつもりかもしれない。
「ただお昼過ぎに計量があるんです」
「は、はい……」
「その時間に大塚君が戻っていなかったら、また石岡先生に『ミステリーマスク』を演じてもらいたい」
 私は必死に断る理由を探した。
「でも、計量は対戦相手に体重を知らせるための公式な儀式ですし……」
「それは階級の厳密性が問われる試合の場合です。250キロの暴君竜と比べれば、大塚君や石岡先生が何キロだろうと何の違いもありませんよ」
「は、はあ……」
 到底、納得はしていないが、私は承諾するしかない。大塚がそれまでに来る可能性は高いと考えればいい。
「秘書の若宮君を残します。何かあれば彼女に言付けてください。ただし、大塚君が戻るまではこの部屋から出ることを禁じます。いいですね」
 溜来は部屋を出て行った。ふと私は、監視付きでスイートルームに監禁されている気分になった。なんて大晦日なんだ。

つづく つづく
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