島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
頑張れ!石岡君
石岡君、湖の怪物を探す 1 「石岡君、湖の怪物を探す」1 優木麥 石岡君、湖の怪物を探す 1

   
…
「オジイチャンを救ってください」
 真奈美の目は涙に濡れていた。女子高生が私に頼み事をすることは、時々ある。ケータイのカメラで写真を撮りたがったり、エレベーターで操作盤の近くに立っている私に「5階をお願いします」と言ったり、フリーマーケットで「詩集を買ってください」と頼まれたりした。しかし、祖父を救って欲しいと言われたのは初めてだ。近藤真奈美は感極まったのか、目頭をハンケチで拭う。見つめているわけにもいかず、私は視線を彼女からそらした。すると、ファーストフードの店員や他のテーブルの客が、興味深げにこちらを見ているのがわかる。たしかに、年配の男と、セーラー服姿の女子学生が意味深な雰囲気で座っている図は、人の目を引いてしまう。
「真奈美ちゃん、お爺さんを救うって、どういうことなの」
 多少は周囲の目を気にしながら、私は彼女に尋ねた。
「ガ・ジアスにとりつかれているの」
 真奈美は謎の単語を口にした。〃ガ・ジアス〃とは何だろう。最近の若者には、という言い方はしたくないが、私には理解不能の言葉をよく使う。つい先日まで〃あけおめ〃の意味がわからず、里美から「あけましておめでとう」だと聞いて、ビックリしたものだ。
「ガ・ジアスって何?」
 わからない以上、私は尋ねるしかない。
「千龍湖に住むという怪物…」
 真奈美は真顔でそう答える。意味を聞いても私にはまったく把握できない。
「怪物…?」
「そう。長野県にある千龍湖には、昔から竜神様が住むと言われていて、江戸時代の文献にも人や家畜を襲ったと記されているんです」
「ああ、なるほど……」
 都市伝説の類だろうか。私は、怪物やお化けの話が好きではない。なぜなら、そんなものがいると信じたら、毎日の生活が怖くなるからだ。
「その竜神様が、ガ・ジアスなの?」
「オジイチャンはそう信じているわ」
 真奈美の長いまつげから涙が滴り落ちた。私は彼女との出会いを回想する。

                            ●

 私が早朝に起きるのは珍しい。取材をしなければならないとか、原稿をその日中に片付けなければならないなどの特別な目的がない限り、私が早起きすることはないからだ。でも、その日は特別な目的はなかった。何となく気分的に早く起きてしまったのだ。それで、散歩をすることにした。
 マンションを出ようとドアを開けたとき、階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。その方向に目をやると、一人の少女がこちらに向かってきた。あまりに爽やかな朝にふさわしい場面なので、実際の風景と思えなかったほどだ。
「おはようございます」
 少女は、私に朝刊を手渡した。新聞を配達しているのだ。私は自分の家に新聞を配っているのが、ティーンエイジャーの少女だと初めて知った。
「頑張ってるね」
 早朝で気分が高揚していたこともあっただろう。私は、思わず声をかけていた。私の部屋のドアを通り過ぎようとしていた彼女は、クルリと振り返る。
「ありがとう、石岡先生」
 私はドキッとした。自分の名前を呼ばれたからだ。だが、考えてみれば、彼女は私の家に朝刊を配っているのだから、名前を知っているのは当たり前である。
「寝癖がついてるよ」
 彼女はクスクスと笑った。私は髪の毛に手をやる。寝起きだったので、そんなことにも気づかなかったのだ。
「私、近藤真奈美って言います。よろしくね」
 真奈美は手を振って新聞配達に戻る。私は清々しい気分だった。その日から、私には密かな楽しみが増えた。徹夜した朝は、真奈美が配る朝刊を手にして、彼女と挨拶し、その新聞に目を通して寝ることにしたのだ。といっても、私が徹夜することなど十日に一度あるかないかぐらいだった。
 ところがある日の朝、まだ眠っている私はチャイムの音で起こされる。ドアを開けてみると真奈美が立っていた。
「朝早くからゴメンなさい」
 真奈美の表情は憔悴しきっていた。私は一度に目が覚める。
「先生に相談があるの。配達が終わったら、時間をください」
 彼女のただならぬ様子に私は一も二もなく応じる。そして、再び真奈美が私の部屋を訪れたので、場所を近所のファーストフード店に移したのだ。

                            ●

「オジイチャンは、ガ・ジアスの存在を信じていて、もう一度見たいと…」
 真奈美の話は突拍子もなかった。千龍湖に住むという竜神ガ・ジアスにとりつかれた彼女の祖父が、私財を投げ打っているらしい。
「私のお母さん、お父さんは何度も注意したんだけど、オジイチャンは聞く耳をもたないの。だから、最近では相手にしていない。でも、オジイチャン、体を壊していて、もう無理が利かないのに……」
 ついに真奈美は顔を覆った。私は言葉が出ない。祖父の身を案じる孫の姿は美しい。
「だから、私は決めたの」
 真奈美の目には毅然とした決意が宿っている。私は大きくうなずいた。
「そうだね。君が本気で諌めれば、お爺さんだって、耳を傾けてくれるさ」
 私は彼女の目をまっすぐに見つめる。
「それで、大人の口添えが必要だと言うなら、及ばずながら力を貸すよ」
 こんなにも健気な孫の言葉も聞けないのなら、私は真奈美の祖父に強い口調で諭そうと決めていた。
「違うの」
 真奈美は首を横に振る。
「えっ、違う?」
 私には、彼女の言わんとしていることがわからない。
「余命幾ばくもないオジイチャンに、私はガ・ジアスを見せてあげたいと思ってるの。それが願いなのよ」
 真奈美はきっぱりとそう言った。私は目を見開いて、しばらく言葉を出せない。予想外というより、誰だって「湖の怪物」を祖父に見せたいとは考えないだろう。私は恐る恐る彼女に申し出る。
「だ、だけどさ。ガ・ジアスなんて…いない、でしょ?」
「石岡先生!!」
 悲鳴に近い言葉だった。店内の人間が一斉にこちらを見る。私は慌てて、興奮する真奈美を抑えた。
「ちょっと、真奈美ちゃん…」
「いくら、石岡先生でもそれだけは、絶対にオジイチャンの前で口にしないでください」
「う、うん。わかったから…」
「ガ・ジアスをもう一度見ることが、オジイチャンの生きがいなの。もう、今のオジイチャンを支えているのはその一念だけなの」
「わかったよ。ゴメンね」
 私が同意すると、ようやく真奈美は落ち着いた。しかし、私はどうすればいいのだろう。ガ・ジアスを見せるなんてことが現実に出来ようとは思えない。
「真奈美ちゃんは、お爺さん思いなんだね」
「両親は忙しくて、私はいつもほったからし。だから、近所のオジイチャンの家で夕御飯とか一緒に食べてたの。そのときに、いつもオジイチャンはガ・ジアスの話をしてくれた。青年だった頃のオジイチャンが、一度だけ見たんだって」
 私とて、にわかには信じられない。しかし、祖父を思う真奈美の純粋な気持ちは汲み取ってやりたい。
「事業に失敗して、親友に裏切られ、婚約者にまで去られたオジイチャンが、自分の身を裁こうと長野県の千龍湖に行ったの。そしたら、ガ・ジアスが飛び跳ねるのを見たんだって…。確かに龍に似た姿だったんだって…。絶望していたオジイチャンは、その神々しい姿を目の当たりにして、もう一度頑張ろうと決めたって言うの」
 真奈美は懸命に説明する。うんうんとうなずきながらも、私は何かの見間違いだと半ば以上確信していた。特別な精神状態のときは、幻を見るものである。 「先生は疑ってるでしょう」
 突然、真奈美が鋭く突っ込んできた。演技がうまくない私の表情から、不信の気配を感じたに違いない。
「いや、そんなことは……」
「石岡先生も他の人たちと同じね」
 真奈美は悲しそうな顔をした。私は身を乗り出して首を振る。断じてそんなことはないのだ。だが、いくら何でも、この段階で無理に信じようとするのは難しい。
「証拠があるのよ」
「えっ…?」
「オジイチャンはね、ガ・ジアスのウロコを持っているの」
つづく つづく
…
TOPへ ページトップへ

Copyright 2000-2003 Hara Shobo All Rights Reserved