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頑張れ!石岡君
石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす 9 「石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす」9 優木麥 石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす 9

   
…
「君のお父さんを歌舞伎町に連れてくるよ」
 私はもう一度くり返した。ほのかの顔が私の真意を測るように見つめている。大物政治家の稲垣重蔵。現在、午前2時過ぎ。そして、場所は新宿歌舞伎町。これだけの悪条件が揃っていながら、なぜ私が無謀な約束を結んでいるのか。
 その答えは、目の前にいる稲垣の娘、ほのかにあった。彼女のささくれだった気持ちにひとしずくでも潤いを与えられたら、そのチャンスがあるのなら、やってみる価値があると信じたい。
 人の視線をはばかることなく、真剣な視線を浴びせられてほのかは私から顔をそらす。
「やめてよ、くだらない無理するの」
 彼女の唇がわなわなと震える。しかし、先ほどまでの怒りや、行き場のない悲しみのためではなく、伝わってくるのは戸惑いである。ほのかと出会ってから、初めて私の言動が彼女の想定の範囲を越えた。
「来るわけないわ。恥をかくだけよ」
 ほのかはポケットからタバコの箱を取り出すと一本口にくわえた。せわしない動作で火をつける。
「タバコは身体に悪いとか、やめなよとか言わないでね」
 釘を刺されるまでもなく、成人しているほのかの嗜好に介入する気はない。
「石岡さんとお父さんは知り合いでも何でもないじゃん。こんな時間に、ノコノコここまで来るわけないわ」
「そんなこと、やってみなければわからない」
「わかるわよ!」
 ほのかが怒鳴る。タバコが口から道路に落ちる。彼女は苛々したしぐさで、まだほとんど吸っていない吸殻を踏みにじった。
「アイツは絶対に来ない。なぜなら、何の得もしないのなら、自分でティッシュ一枚取るのもめんどくさがる人間だもの。政治家のことがわかってないわ石岡さん。こんな夜中に叩き起こして歌舞伎町まで呼ぶことができるのは、派閥の長か、地元の有力者だけよ。そうじゃないなら、お金を積むしかないわね」
 嘲りの言葉だったが、ほのかの表情は悲しみに満ちていた。私には、彼女のひと言ひと言が、まるで泣き声に聞こえる。しばらく吠えたいだけ吠えさせる。ひとしきり喚いたほのかは低い声で言った。
「なんで黙ってるの」
「聞けば聞くほど、やる気が出てくるよ」
 普段の私ではありえないほどポジティブな発言だ。
「もう一度言う。ぼくは君のお父さんをこの町に連れてくる」
 私は両拳に力を込めて言った。彼女より、まず自分に言い聞かせなければならない。
「もちろん、できないかもしれないよ。だけど、さっきは君の頼みをきくと言ったのに、ぼくはやってみる前から断った。なんかね、なんかそれは違うと思い直したんだ」
「おかしいわ石岡さん。そんなキャラじゃないくせに…」
 誰よりも、自分自身がそう思う。今夜の私は何かに駆り立てられている。それは、この歌舞伎町という町の力なのだろうか。
「やってみてダメなら、納得いくんだ……たぶん」
「熱血教師の真似?」
 ほのかの皮肉や茶々に対して私は一歩も退くつもりはない。
「君には、自分のお父さんを“アイツ”なんて呼んでほしくない」
 私の言葉に、ほのかは無言でそっぽを向く。抵抗と拒否、そして困難が待ち構える未来が見えるのに、私の気持ちは萎えなかった。怯まなかった。
「とにかく、ぼくはやってみるから。ほのかチャンはここで待ってて」
 私はアマミからもらった名刺を差し出した。終電を逃した私が、路上で出会った水商売の女アマミ。彼女の店で故郷の奄美大島や、古き良き歌舞伎町の話を聞かせてもらうはずが、妙な成り行きになっている。
「なんか怪しそうな店ね。『イモーレ』って」
 ほのかは素直に名刺を手にした。
「奄美大島の言葉で『ようこそ』って意味さ」
「詳しいのね」
「いやあ、ぼくも行ったことはないんだけどね」
「どっちの話?」
「どっち?」
「行ったことがないのは奄美大島なの? このお店なの?」
「両方だよ」
「えっ…?」
「あ、いや、店に着いたら、アマミさんという人に、石岡の連れだと言ってくれれば大丈夫だから」
 アマミは驚くだろうが、お客が増えることを迷惑がりはしないはずだ。これみよがしにため息をついてから、ほのかは渋々といった様子でうなずく。
「ふーん、まあ期待しないで待ってるわ」
「それじゃあ、あとでね。お父さんと行くよ」
 私は手を振りながら意気揚々と、深夜の職安通りを走った。


「なんてバカな約束をしてしまったんだろう……」
 自分がうかつな性格だと、今夜ほど思い知らされた夜はない。
「どうして、こんな大事なことを忘れていたんだろう…」
 ほのかと別れてから、強烈な後悔が私を襲い、うずくまりたいほどさいなまれていた。その原因は、大きく二つだ。
 まずひとつめは言うまでもなく、稲垣重蔵を歌舞伎町に連れてくるなんて実現不可能な約束をしたこと。勢いで請け負うには許容範囲に限度がある。面識もない与党の大物代議士が私の言葉を信じて、歌舞伎町に足を運ぶ可能性より、まだアフリカゾウを連れてくる可能性のほうが高い気さえする。
 そして、ふたつめの後悔の原因は、ほのかから財布を取り戻すことを忘れたことである。元々、彼女が私の財布を盗んだことから始まった話なのに、肝心要の用件を済ますことなく、厄介ごとばかり背負ってしまった。
(アマミの店に、財布を取りに行こうか…)
 それが妥当な選択である。賢い道である。何しろ財布がなければ、具体的な行動が一切不能なのだ。しかし、あれだけの啖呵を切ってしまったため、何の成果もなく、ほのかと顔を合わせるのは気まずい。そのうえ、これは不思議な感覚なのだが、今さら財布を返してくれと私から言い出しにくい雰囲気である。
 もちろん誤解しないでほしいが、このまま財布を盗んだ事実を不問にするという意味ではない。それには、早々に決着をつけなければならないのだが、できれば穏やかな形で済ませたいという気分なのだ。そんな出口のない思考の迷路を辿っているとき、携帯電話に着信があった。ほのかかアマミかと思って即座に出る。
「もしもし石岡です」
「ああ先生。すみませんでした石倉です」
 相手は、編集者の石倉だった。そもそも、今私がこの窮地に陥っている遠因は、彼にある。気分よく飲めたことは事実だが、ほどよく切り上げられなかった結果、終電を逃してしまった。さらにタクシーで帰宅したはずだった石倉なのに、再び歌舞伎町に戻ってきたらしい。
「何度かお電話したんですが、お出にならなかったので……」
「ちょっと取り込み中だったので、すみません」
 警官の職務質問を受けたり、ほのかと揉めたりと携帯電話の着信に気づかない要因はいくつもあった。
「私、もう歌舞伎町に舞い戻っております。石岡先生はどちらですか。なにか、いいお店があるとかおっしゃってましたけど……」
 石倉と話したことが遠い昔に思えてくる。あのときの私はまだ、財布も盗られず、稲垣重蔵を連れてくるなどという約束もしていなかった。そんな事情はつゆ知らぬ石倉の能天気ぶりに私は疲れがドッと出る。
「あの、石倉君。悪いんだけど、今夜は飲めそうにないんだ」
 飲み直すなどもってのほかだ。
「どうなさいました。ご気分でも悪くなりましたか」
「いや、やらなきゃならないことができちゃったんだ」
「緊急の原稿ですか?」
「そうじゃないけど……」
 私は口を濁す。今の状況を一から説明する気力はない。
「本当にお疲れですね。どんなことですか。おっしゃっていただければ、私も力になりますけど……」
 石倉は善意で申し出てくれたのだろうが、今の私には何の慰めにもならない。断って「いいよ」「言ってください」と押し問答するのも面倒くさいので、思い切って打ち明けた。
「まあ、いきがかり上、代議士の稲垣重蔵を歌舞伎町に連れてこなきゃならなくなってね」
 自分で話しながら、途中で笑いそうになる。無茶にもほどがある条件だ。さすがの石倉も絶句するだろう。ところが、通話相手から返ってきた言葉は、私の予想を遥かに越えていた。
「わかりました。お力になれると思います」
つづく つづく
…
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