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頑張れ!石岡君
石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす 6 「石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす」7 優木麥 石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす 6

   
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 ほのかは与党の大物議員の娘……。
 意外な事実だった。稲垣重蔵は大臣経験こそないが、与党のキレ者として国民に広く顔の知れている政治家だ。50代で“ハナタレ小僧”と呼ばれる政界では、まだ駆け出しかもしれないが、討論番組では野党議員や名うての評論家を向こうに回して、丁々発止の論戦を展開する。その熱血ぶりと裏腹に、バラエティ番組やクイズ番組のゲストとしてさわやかでお茶目な一面も披露して人気を獲得していた。
 ニックネームは『イナジュウ』。クイズに正解すれば名門店のうな重が食べられるという番組で、稲垣は興奮のあまりに「い、いなじゅうが美味しいです」と答えて爆笑を誘った。彼の名前を略すと同じ響きになるのと、子供向けアニメの人気キャラクターに語呂が似ていることもあって『イナジュウ』は稲垣のあだ名として浸透していった。
「稲垣先生のご友人ですか」
 警官の物言いが変わった。先ほどまでは、私とほのかに対して違法取引の関係の疑いが見え見えだったのに、慇懃な態度である。
「あ、いえ、その……」
 私と稲垣に面識はない。確かに私は彼の顔も名前も知っている。もしかしたら、稲垣はミステリーの愛読者で、私の著作を読んでくれている可能性はゼロではない。だとしても、この時点では、まだ私と稲垣は友人同士と呼ぶのは無理がある。しかし、ほのかが渾身の叫びで父親の名前を出した以上、その効果を無駄にしてよいものだろうか。
 そんな私の心の迷いを、警官たちは最大限に好意的な解釈をしてくれたようだ。
「失礼いたしました。公務ですので、ご理解ください」
 敬礼すると警官は立ち去った。
 残された私とほのかは、しばらく無言だった。私の理由は、やましさはないとはいえ、警官に対してウソをついたことが気になったからだ。ほのかはファーコートのポケットに両手を突っ込んで下を向いていた。
 職安通りに出た。私は通りの名前には頓着ない人間だが、職安通りは知っている。最近の“韓流ブーム”で、韓国の俳優のグッズや映像を求めて、全国からファンや観光客が集まってくる場所で有名だ。ざっと見回しただけで、目に飛び込んでくるのは、ハングル文字や韓国料理屋の看板。本場に足を踏み入れたことがない私には、すでに韓国にいるような気分にさえなる。
 ふと私はほのかが焼肉を食べたがっていたことを思い出す。この通りなら、本格的な焼肉屋が目白押しだろう。夕飯を済ませた後にいろいろありすぎて、私も空腹を覚えていた。店員が鋏で肉をパチンと切ってくれる焼肉屋なんて、私は入った記憶がない。警官との不愉快なやりとりの後遺症を美味しいカルビで払拭しよう。
「やっぱり焼肉を食べるならここが一番だね」
 立ち止まった私は、努めて明るい声を出した。ところが、ほのかは顔を上げようとしない。代わりに声を発したのは別の人物だった。
「ふざけんじゃねーぞ」
 急に耳に飛び込んできた怒鳴り声に私はビクッと肩を震わせる。後ろを振り向くと、白いスーツにサングラス、角刈りの男が立っていた。暴力の気配が全身から漂ってくる。私は竦みあがってしまう。この明らかに私とは別の価値観で動いているサングラスの男の機嫌を損ねるような失言をしたのだろうか。
「1番じゃねーよ」
 サングラスの男はドスの利いた声で言った。
 私は頭を抱えて、その場にうずくまりそうになる。先ほどの「焼肉を食べるならここが一番」という発言が、彼の怒りを誘発してしまったのだ。大した根拠も、自信もなく口にしたのだが、焼肉を生業とする人々からは聞き捨てならぬ言葉といわれても仕方がない。
 私は全国の名だたる焼肉屋を制覇したわけでも、焼肉の専門家を自称できる立場でもなかった。その私が一番の焼肉屋を決めるというのは、思い上がりもはなはだしい。ましてや、まだこの職安通りの焼肉屋には一軒も入っていない。侮辱されたととられても仕方ないだろう。
「あ、あの……」
 恐怖のあまりに思わず私は「ゴメンなさい」と口から出そうになる。そのとき、サングラスの男は、私の視線を避けるように横を向いた。その右手には携帯電話が握られて、耳に伸びている。
「1番じゃねーんだよ。7番を買っとけって言っただろ。このボケ」
 男が怒鳴っている相手は、どうやら携帯電話の通話相手のようだ。私の焼肉発言なんて最初から彼の耳には入っていない。安心のあまり、膝から崩れ落ちそうになる。
「ビックリした?」
 ほのかが口を開いた。警官と別れて以来、初めてである。
「うん、驚いたよ。急に怒鳴られたから、ぼくのことだと思ってさ」
「違うわ。さっきの私の話よ」
「ほのかチャンの話…?」
 私は恐怖で麻痺していた思考能力を必死でフル回転させる。ほのかが自分の父親の名を口にしたことを思い出した。
「ああ、ビックリしたよ。稲垣先生の娘なんだね」
「信じる?」
 ほのかの目は笑っていない。
「うん。ぼくはホントだと思う」
 なにげない私の返事に、ほのかは執拗に絡んできた。
「どうして信じられるの? 私と石岡さんは知り合ったばかりじゃない。何の証拠もないのよ」
「そうだけどさ。君がお父さんの名前を出したとき……」
「出したときに、何よ」
 ほのかが噛み付く。出会ってからここまで攻撃的な彼女の表情を見るのは初めてだ。私は内心たじろぎながらも言葉を続けた。
「我慢できずに口にしたって顔だったから。言ってから後悔しているみたいだし。だから、本当の親子なんだなって信じられるよ」
 普段は鈍感な私だが、あの瞬間から今のほのかのしょげた様子まで流れを見ていれば、それぐらいは感じ取れる。
「石岡さんに何がわかるの?」
「えっ、何って。だから本当の親子なんだろうなって……」
「結局、うわべだけじゃない」
 ほのかが顔をこちらに向けた。突然の警官の職務質問という最大の嵐をやり過ごしたつもりでいたら、まだここは暴風地域だった。なぜ事態が急激に変化したのかわからず、私は面食らうしかない。
「お父さんの名前を出してからの石岡さんの態度、なんかおかしいよ」
「違うよ。さっきまで黙ってたのは、友達ではないのに、警察にウソを言ったから気になってたんだよ」
 事実だ。私にとって稲垣は、テレビで見かける話術の巧みな先生以外の何者でもない。
「みんな、そうなのよ。それまでは、私と普通につきあったり、話したりしてる癖に、お父さんの名前を聞いた途端に態度がガラッと変わるの。トラブルにならないように私を避けるヤツとか、露骨に取り入ろうとするヤツとか、スキャンダルを聞きだそうとするヤツとか。もうたっくさんなのよー」
 ほのかの魂の叫びだと感じた。彼女の20年の人生の間に、数え切れないほどの不快なやりとりが詰められているらしい。物心つく頃から、自分の父親が政治家であるなんて経験はしたことがない私には、正直言って見当がつかない。たぶん、今の彼女は“稲垣重蔵の娘”であると告知した相手には、思いのたけをぶつけないと気が済まないのだろう。ならば、こちらもすかしたりせず、正直に気持ちを見せるべきだ。
「ぼくはうらやましいけど……」
「えっ、何ですって」
「国のために働く、尊敬できるお父さんじゃないか」
 私の言葉にほのかは吹き出した。無知な相手を哀れむ笑い方だった。
「尊敬できるお父さん? 石岡さんはあの男を何もわかってない。体面ばかり取り繕って、保身に汲々としているつまらない人物よ」
 自分の父を貶める言い方を、私は看過できなかった。
「ダメだよ。お父さんを馬鹿にしたら。どんな問題があるか知らないけど、きっとほのかチャンのことを思って……」
「あいつは、アタシのことなんかどうでもいいと思ってる」
 私に向けたほのかの目には涙が溜まっていた。
「石岡さん、ホテルに行こう」
「えっ、ええ?」
 私の目が点になった…。
つづく つづく
…
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