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頑張れ!石岡君
石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす 3 「石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす」3 優木麥 石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす 3

   
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 「朝までコースでよろしくねイッシー」
 アマミの言葉は誘いでも、お願いでもない。もはや、確実に迫り来る未来を口にしている。なぜ全身から力が抜け、泥人形と化した石倉が再び盛り場に舞い戻ってくるのか。なぜ、一刻も早くシャワーを浴びたい私がほんの5分前に知り合ったアマミと痛飲しなければならないのか。この理不尽な問いに対する答えは、たったひとつだろう。
 ここが歌舞伎町だからか。
 約600m四方の、この眠らない街こそ日本最大の歓楽街。
 普段こういう場所に訪れることがないからか、私は落ち着かない。この場に身を置くことの違和感を強く覚える。しかし、同時に日常では意識することのない滾りのようなものを胸の奥にわずかに感じていた。
「どうしたのよイッシー、怒ってるの?」
 アマミが再び腕をからめてきた。強い香水が鼻をつく。
「そうじゃないんだけど、あそこの角の立ち食い蕎麦屋さん……」
 私の指差す方向をアマミが見る。
「テレビの警察の24時間モノで、酔っ払い同士が喧嘩して、相手の若いサラリーマンがお腹を刺されて、ひどいことになってた」
 当時、テレビ画面を眺める私は完全な傍観者だったが、あんな悲惨な事件が度々起こる場所なのかと思い、慄然としたものだ。その事件現場の前に私はいる。興奮に似た精神状態が脳内に次々と衝撃的な映像を思い出させる。
「あと、あの路地では麻薬の取引が行なわれていたし……」
「ダメよ!」
 出会ってから初めてアマミは鋭い声で怒鳴った。目に真剣さが宿り、頬も厳しく引き締まっている。
「ここでは、人を安易に指差したり、麻薬なんて言葉を使ったらダメ」
「いや、ぼくは誰かを指差したわけじゃなくて……」
「誤解されるマネをしちゃダメなの。とにかく、私の言うことを聞いて。でないと、今度は自分が犠牲者としてテレビに映っちゃうわよ」
 最後の言葉にえもいわれぬ真実味を感じた私は、口を閉じる。周囲を見回したアマミは、誰の注意も引かなかったことを確認する。すぐに私と腕を組むと「行きましょう」と歩き出す。しばらく、無言で歩むと、彼女はつぶやくように言った。
「4000軒以上……」
 左側に新宿区役所の噴水が見えた。その縁に腰掛けたスキー帽を被った若い男が携帯電話のボタンを操作している。
「飲食店と風俗のお店、合わせて4000軒以上。それが歌舞伎町なのよ。通り過ぎる人の数を入れれば、1日に50万人の出入りがあるらしいし」
 1日50万人。私が知る限り、その数字は人気テーマパークの平均的な1日の入場者数の約10倍に値する。
「今じゃあ、国も人種もバラバラの人も多いしね。それだけ集まってきたら、シッチャカメッチャカでしょ。ましてお酒を飲んで、女が加われば、揉め事が起きる確率も上がるってわけ。でも、嫌いじゃないの。私はそんな歌舞伎町がさ」
 その言葉に、私は思わずアマミの横顔を見る。彼女の目尻や頬は皮膚が弛んだのでも、ゆるんだのでもなく、積み重なってきた人生経験の証に感じた。
「なに? 私、変なこと言った?」
「いやあ、あの……さっきの電話の相手。石倉君って言うんだけど、彼も同じことを言っていたんだ」
 石倉は「ざわざわとした生の感覚が味わえる歌舞伎町が好きだ」と言った。
「あらあら、なおさら会うのが楽しみね。とにかく、いろいろあるところなのよ」
 アマミは私の腕から手を抜くと、タバコをくわえる。
「欲望渦巻く街さ。ここに来るとみんな、素の自分になりやすくなるのかもね」
 私よりも頭ひとつ大きい黒人のボーイが「楽しいですよ」と目の前の店のトビラを示す。私は手を振って歩き続けた。
「いいのよ、いちいち反応しなくても」
 隣のアマミが面白がっている。
「だけど、なんか無視して通るのも悪い気がして……」
「そんな律儀なことをしてるから、悪い女に引っかかるのよ。私みたいにさ」
 アマミが自嘲気味に笑う。
「あなたは悪い女なんかじゃないよ」
「えっ……」
 私の言葉が意外だったのか、アマミは足を止めてこちらを見た。
「だって、歌舞伎町が好きなんでしょう。自分が商売している場所が好きな人は、そこに来る人にひどいことなんかしないはずだから」
 アマミはしばらくあらぬ方向を見ながら、タバコを吹かしていた。やがてこちらに、さきほどと変わらない笑顔を見せる。
「イッシーは純粋なのね。一瞬、私さあ、なんか大学入学で地方から上京してきたばかりの学生さんを相手にしてる気分になっちゃった」
「それでもいいよ」
「何を言い出すの」
「渋谷や原宿が若者の街だというよね」
 私はアマミの吐き出す煙からさりげなく顔をそむける。
「でも、ぼくにとっての青春の街は、やっぱり新宿なんだよね」
 遠い追憶に浸りそうな自分を私は必死でとどめる。
「アマミさんは、新宿に長いの?」
「もうかれこれ、ン十年ってとこね。まあ、そこの具体的な数字はいいじゃない」
「ええ、もちろん……」
「そうだ。なんで歌舞伎町って呼ぶか知ってる?」
「いいえ」
「戦後にこの辺を復興しようとしたとき、歌舞伎劇場をつくって娯楽の街にする計画があったからなの。頓挫したみたいだけどね」
「とにもかくにも娯楽の街にはなったんだね」
「そうね。まあ、そういうことかも」
 私の傍で大学生らしき集団が、青ざめた表情の女性を介抱している。
「さあて、じゃあ飲みに行かなきゃね」
 歩道の吸殻入れに吸殻を捨てると、アマミが進行方向を手で示した。私は先ほどから考えていたことを口にする。
「飲みには行くよ」
「うんうん。じゃあ……」
「だけど、その前にお金を下ろしてきたい」
 石倉も来るし、飲み明かすときに、懐の心配をしながらでは興ざめである。
「お金を下ろしたらすぐに行くから、どこのお店?」
 私の言葉に、アマミの笑みは曇っていた。
「本当に戻ってくるのイッシー。ごまかして、そのままサヨウナラって作戦ぽいけど」
「そんなウソはつかないよ。さっきまでは帰るつもりだったけど、もう飲むことを決めたから」
 アマミの口が「ほう」と動く。
「その心境の変化の原因は?」
「歌舞伎町が好きな二人と話せるから。石倉君とアマミさんから、もっと歌舞伎町の魅力を聞きたい」
 虚をつかれた感じのアマミは私の顔を見つめていると、バッグに手をやり、ゴソゴソと動かす。取り出したのは、名刺だった。
「私は、このお店で待ってるわ。きっと来てね」
「うん、わかった」
 受け取った名刺には『イモーレ』という店名と住所、電話番号が書いてある。 「いい名前だなあ」
「奄美大島の言葉で『ようこそ』という意味なの」
「『イモーレ』は、ようこそ。あ、アマミさんの源氏名て、もしかして奄美大島の……」
 アマミははにかみを見せる。
「そうよ。私は奄美大島の出身。でも、もう東京で暮らしている時間のほうがはるかに長いけどね」
 私の胸一杯に大きな期待が膨らんだ。
「すぐにお金を下ろしてくるから。今夜は歌舞伎町の話と、奄美大島の話をいろいろ聞かせてよ」
 この時点での私は、ほんの10分ほどで『イモーレ』に行けると思っていた。時刻はちょうど午前1時。しかし、不夜城である歌舞伎町では、この時間はまだまだ宵の口であることを思い知らされることになる。

つづく つづく
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