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頑張れ!石岡君
石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす 1 「石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす」1 優木麥 石岡君、歌舞伎町で朝まで過ごす 1

   
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 午前零時を回ってしまった。
 私はまだ新宿駅にいる。もう絶望的だった。電車で帰宅する道は閉ざされた。馬車道まで帰るためには、0時7分渋谷発の東急東横線に乗らなければならない。私は改札を通ることをあきらめた。
 日付が変わった。これからの選択肢はいくつかある。まずビジネスホテルにでも泊まること。多少、アルコールが入ったこの身体に熱いシャワーを浴びせて早く休みたい。あるいは、タクシーで帰るという選択だ。新宿から自宅まで乗ったことはないが、深夜料金でも1万円ぐらいだろうか。散財ではあるが、自宅のベッドの魅力にまさるものもない。
 それにしても、なぜこうなったのか整理してみる。
 きっかけは、編集者の石倉と会ったことだ。彼はある保険会社の発行する顧客向け季刊誌の編集を手がけていて、私はそこで1年間、といっても4回だがエッセイを連載した。元々、その手の文章は苦手な私だが、春夏秋冬それぞれの発刊時期にちなんでいれば何を書いてもいいと言われた気安さから引き受けた。デジタルコミュニケーション全盛期のつねで、事務的なやりとりはメールと電話で事足りる。顔を合わせようという話が何度かあったが、実現せず、季刊なので次回の仕事の接点は3か月先。結局1年間、石倉と直接対面せずに仕事が進んだ。
 今日、たまたま新宿まで出てくる用事があり、まだ帰るには早い時間だと思った私は、中野に事務所を持つ石倉に挨拶でもと連絡をした。すると、彼が「石岡先生に中野までご足労いただくのは恐縮です。私も新宿に出ますので」と落ち合った次第だ。まず驚いたのは、想像していたよりも石倉が年配の人物だったことだ。
 流行り言葉を時折混ぜたメールの文面から、私は石倉が30歳前後ぐらいだと思っていた。しかし、実際の彼は、ごま塩頭に口ひげを生やした初老の男である。
「石岡先生とそう変わらない年ですよ」
 喫茶店で型どおりの挨拶の後、エッセイの話から始まった会話は、同年代の回顧話につながっていく。昔見た映画やアイドル、流行モノの話まで、会話の種は尽きない。つきあう編集者も私より一回り、ふた回り年下の世代が増えている。必然的に、同年代の人間と話す機会がないので、ついつい熱が入った。
「石岡先生、せっかくですから夕ご飯も一緒にいかがですか」
「いいですね」
 どうせ、誰も私の帰りを待っているわけではない。歓談してみて石倉が好人物だと感じていた。喫茶店を出た私達は、歌舞伎町の一番街通りを歩く。両脇にはラーメン屋にゲームセンター、エスニックレストランが並ぶ。
「石岡先生は、あまり新宿には来られませんものね」
 物珍しそうにあちこちを眺めている私の様子を見て、石倉が尋ねる。
「ええ、たまに来ても『中村屋』でカレーを食べて、『紀伊国屋書店』に寄るのがお決まりのパターンです。歌舞伎町に来たのなんて、いつ以来だろう」
「昔ですか。じゃあ、かなり町並みが変わったでしょう」
「うーん、町並みよりも……」
 私は歌舞伎町には爽やかな思い出がない。
「強い印象に残ってることがあります。『スター・ウォーズ』のどれかを観に来たんですけど、映画館に近づくとものすごい行列だったんです。うわーと思いながら、その最後尾に並びました。でも、なんか様子がおかしいんですよ」
「ほう、何でしょうか」
「並んでいる人の平均年齢が異様に高いんですよ。年配の女性が多くて、どうもSF映画を観るような方々には見えない。確かめてみると、その行列は『杉良太郎ショー』の観客だっんです」
「ハッハハ。間違えて並んでしまったんですね」
「ええ、それで映画を観終わって、ご飯でも食べようとブラブラ歩いていると、オジサン達が寄ってきて」
「客引きですか」
「そういう存在に初めて会ったので、ビックリしました。『お兄さん、遊び? いいとこあるよ』って言うんです。必死で『すみません。急いでますから』と逃げました。だから、新宿の歌舞伎町というと怖いイメージがあったんですけど…」
 私は素直な感想を口にした。あれ以来、特別な用がない限り、歌舞伎町に足を踏み入れることはなかった。
「今は客引きも、いわゆる“立ちんぼ”という外国人娼婦も見かけなくなりましたね」
 石倉はどこかさびしそうな口調だった。日焼けした顔の女子高生が制服姿のまま、携帯電話で話している。
「ずいぶん……なんというか落ち着いた雰囲気になったなあと感じます」
「ええ、都知事が警察と連動して『健全化キャンペーン』を推進しましたからね。ほら、あそこにも防犯カメラがあるでしょう」
 石倉が指差した先で、カメラのレンズがこちらを向いている。
「ああいう街頭防犯カメラがあちらこちらに設置されています。警官の巡回も増えて、ずいぶん犯罪の抑制になったらしい」
「犯罪が減るのは喜ばしいですね」
 私の言葉に、石倉は複雑な表情を見せる。
「まあ、物騒な場所では困るけど、私としてはどちらかといえば昔の歌舞伎町のほうが好きですね。ザワザワした生の魅力を味わえました」
「なるほどね」
 私は適当に相槌を打つと、会話の接ぎ穂もなく、そのまま歩いた。
 豚しゃぶを食べながらの夕食は楽しかった。普段、酒を飲まない私も、石倉に勧められて、ついつい生ビールをお代わりしたぐらいだ。だが、日本酒を飲んでからの石倉は口調が豹変した。
「石岡先生、活字文化は決して死にませんぞ」
「えっ、あ、はい……」
「人は電子文字ばかりでは必ず物足りないはず。活字を渇望する人々はいます。そのために、石岡先生のような文士に、なお一層活躍してもらわねばならない」
「いやー、文士なんて大層な……」
「ご謙遜されるな。石岡先生には昭和の文士の良き雰囲気を感じられます。ウチの雑誌にご寄稿いただいたエッセイにもその香が端々に立ち上っておりましたぞ」
「エビフライが好きだとか、やっと『モーニング娘。』の全員の名前を覚えられたとか、そんなことをテーマに書いたのにですか」
「いかにも。石岡先生は平成の文士でござる」
 顔を真っ赤にして熱弁を振るう石倉の態度は、私には不快ではなかった。むしろ、好感を抱いて話を続けることができた。だからこそ、誘われるままに二件目のバーにつきあったのだが、石倉本人がその店で完全にダウンしてしまった。
「石岡先生、私は撃沈されました。すみません」
 カウンターで寝込みそうになる石倉をマスターの協力を得て、なんとか帰宅のタクシーに乗せたときには、すでに11時を大きく回っていた。焦った私は急いで新宿駅に向かったが、慣れていない新宿で、しかも夜だったため、一度ならず迷い、その結果、新宿駅に着いたときにはタイムアウトになってしまったのだ。
「タクシーで帰るか……」
 誰に言うともなく、私はつぶやいた。今からホテルに泊まるよりも、思い切って自宅に戻ったほうが安心だ。財布を確かめるとちょうど1万円札がある。しかし、1万円というのは、私のカンなのだから、手持ちの資金は余裕をもっていたほうがいい。そこでATMでお金を下ろすことにした。
 だが、どこで下ろせばいいのか。探すのにひと苦労である。新宿といえば、日本有数の町なのだから駅前にコンビニがズラリ並んでいてもおかしくないのに、全然見当たらない。ふと石倉と歌舞伎町を歩いていたとき、コンビニを見かけたのを思い出し、そこまで戻ることにした。
「お兄さん」
 女性の声が、私に向けられたものだと気づくのに時間がかかる。自分が『お兄さん』と呼ばれる年齢だとはまったく思っていなかったからだ。
「お兄さんたら」
 右肩を叩かれて、ようやく私が呼ばれているとわかり、振り返った。
「あら、いい男ねえ」
 声をかけていたのは、私よりも長く生きているであろう女性だった。スカーフで顔を半分隠しているが、手の甲には何本もの皺が刻まれている。
「お店を探してるのなら、安く飲めるところ知ってるわよ」
「え、いえ、急いでますから」
 早口で答えると、足早に立ち去ろうとする。しかし、女は何と私の腕にすがりついてきた。
「んじゃあ、私も急いであげるわ。元陸上部だったのよ」
 まるで二人三脚のように私と歩調を合わせる女は健脚だ。本当に陸上部だったのかもしれない。しかし、今の私には学生時代の彼女が何のクラブ活動をしていようと関係ない。
「お願いよ。一杯だけ飲んでってよ。一杯だけでいいから」
 右腕を引っ張る彼女をどうしたらいいのか。私は困惑するだけだ。しかし、これは、まだ騒乱の一夜の開幕に過ぎなかった。

つづく つづく
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