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頑張れ!石岡君
石岡君、選挙出馬を要請される 1 「石岡君、投資について考える」2 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

   
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 青空とソメイヨシノの下で飲むビールは美味い。もちろん私は下戸でそんなにイケるクチではないが、勧め上手な人々から紙コップに何杯も注がれている。
「石岡先生、堪能してますか?」
 雅代が黄色い液体を注ぎながら言った。私は笑顔でうなずく。
「ええ、最高の気分です」
 見事に咲いた桜の木を見ると、自然と気持ちが高揚し、また和やかな気分になる。これは私の中の日本人のDNAの為せるワザなのかもしれない。
「こんな毎日が続いたらいいと思いませんか?」
「それはもちろん願いますよ」
 素直な気持ちを口にする。
「10年後も20年後も、こんな日を迎えたいと思いますよね?」
「そうありたいですね」
「それでしたら……」
 雅代は人差し指を立ててウインクすると、バッグから書類を取り出した。
「株式投資が一番です」
「へっ…?」
 唐突な言葉だった。花見酒に酔いしれ、身も心も開放的になった私だが、いっぺんに現実に引き戻された感じだ。たとえるなら、一面のラベンダー畑に思わず寝転がったら、突然ここは毒蛇の巣だと聞かされたのに似ている。
「あ、あの……」
「石岡先生は、投資についてどうお考えなのですか?」
 先ほどビールを注いだ笑顔と変わらないが、雅代の目が真剣味を増している。
「どうって……あまり考えたことはないです」
「いけませんわ。それは、すこぶるいけないことですわ」
 雅代は私を諌めるように何度もくり返した。
「将来の不安を解消したいと思いませんか」
「うーん……」
「生涯現役を志されるのは結構です。でも、体力的な問題も生じてきますしね。浮き沈みの激しい世界。失礼ですが、いつまでも一線で活躍できる保証はないではないですか」
 脅すような雅代の口調に、私は少しカチンときた。
「ですけど、ぼくが一人食べていくだけなら申し分ないだけの……」
「蓄えがおありですか? その発想では近い将来、地獄を見ることになります」
「そんな言い方をされたら……」
「まあ、お聞きください。石岡先生は、現在は不自由なく暮らせていて、お立場もおありだから危機感がないだけです。ですが、人の一生にはさまざまなリスクがあります。病気、ケガ、あるいは予想もしないようなアクシデントに巻き込まれるかもしれない」
 雅代は目を吊り上げて、恐ろしげな形相で語る。花びらが私の目の前をハラハラと舞い落ちた。こののどかな風景の中で、なぜ悲観的な未来の話に耳を傾けなければならないのか。私はため息をつく。
「失礼ですが、石岡先生は妻帯されていませんよね」
「ええ、まあ……」
 事実だから否定しようがない。しかし、その後に雅代が言いそうな言葉が予想できたので、不愉快だった。
「何かあったときに、詰まるところ頼りになるのはお金ということになりますよ」
「そうかもしれませんけど……」
「銀行預金では、利殖になりません。定期預金の金利が0.0…まあ、口にするのもイヤになるほど低金利です。超低金利ですよ」
「はい……」
「石岡先生、投資して利殖をお考えください。それは、先生のようなお立場にある方の義務なんですよ」
「いや、義務は大げさじゃないですか」
「何をおっしゃいます。いま日本が底の見えない不況に陥った一因は、富裕な人々が消費を控えたからです」
「ふ、富裕…?」
「言うまでもなく、石岡先生は富裕側。勝ち組のリッチマン。しかも、養うべき家族もいらっしゃらないにも関わらず、ひたすら貯蓄に励んでいるだけ」
「ひ、非難されることでしょうか。それじゃあ、ぼくがまるで私腹をこやす悪の庄屋みたいな言い方を……」
「その一面があることをご自覚ください。本来、お金は天下の回りモノでなければいけない。ところが石岡先生に流れたお金は滞留している。流れが淀んでいるんです」
「淀んでいるって、そんな……」
「現実から目を背けないで。今こそ闘志で投資です」
「闘志で投資…?」
「ええ、タンマリ投資ネットワークのキャッチフレーズなんですけどね。とにかく、石岡先生、生きている間にお金を使わなきゃ意味がないでしょう。棺桶の中に貯金通帳を入れてもあの世では使えませんよ」
「そりゃ、そうですけど……」
「健全な利殖に、健全な精神が宿るんです」
「わかりました」
 ついに私は根負けした。このまま責めつづけられるよりも、多少なりと彼女の投資の話を聞くほうを選ぶ。


「株式投資は、資本主義社会におけるブルジョアの聖なる義務です」
 雅代は喜々としてパンフレットを広げた。
「優良な株式会社の株を持つことで、社会貢献を果たすことができる。それに日本ではあまり意識されませんが、本来、株式会社で一番エラいのは株主であり、従業員ではないんです」
「は、はあ……」
 早くも激しい後悔に襲われている。桜の効果でクイクイッと進んでいた酒のペースがピタリと止まった。喉を潤すためにビールを口に運ぶが、まるで味を感じない。誰でも興味のない投資のレクチャーを受けていたら、苦痛の時間に変わってしまう。
「以前は、ひとつの会社が株式上場するまでには20年、下手をすると30年という年月が必要なぐらい、審査も厳しかったんです。しかし、法律が改正され、ベンチャー企業であっても上場できるようになりました。つまり、名うての大企業でなく、これから飛躍が期待できる会社の株を持てるんです。しかも……」
「あ、あの……塩崎さん、すみません」
 たまらずに私は遮った。
「株はやる気がありません。申し訳ないですけど……」
「どうしてですか?」
「だって、株は損することもあるじゃないですか。値動きするんでしょう。高くなったり、安くなったり……」
「もちろん短期的にはデコボコはあります。でも、銘柄を選びさえすれば、長期で保有する限り、大損をする可能性は低く抑えられるんです」
「ウーン、でもシロートですからね。株を持てといわれても……」
 早くこの話にケリをつけて、もう一度お花見を楽しみたかった。
「私は石岡先生の気持ちを尊重したい」
 横から口を挟んできたのは、投資マネージャーの河野だった。先ほどまで、雅代扮する魔女の脇で悪霊のコスプレをしていた人物だ。
「初心者が投資に対して求めるものは、安心感だと私は痛切にわかります。石岡先生が株式投資に抵抗感を抱くのは当然の心理。塩崎君、株式投資を勧めるのはあきらめたまえ」
「ですが、マネージャー……」
「顧客に強制してはいかん」
 雅代は不満げにパンフレットを閉じる。私は河野の英断に拍手を送りたかった。彼が私の言いたいことを代弁してくれた。さすがに年季の入った上司は、心得があるようだ。これで私もようやく心置きなく花見気分に浸れそうである。
「石岡先生、まだ彼女は不慣れなものですから、お許しください」
「いえいえ、ぼくは有意義なお話を聞かせていただきました」
「初心者である先生に対して、株式投資を勧めるのがそもそも間違いの発端です」
「あはは、そうですよねえ」
「石岡先生にふさわしいのは、投資信託です」
 河野の言葉に、私は口にしていたビールを少しむせてしまう。どうやら、投資の話が沙汰止みになったわけではなく、新たな敵が登場しただけのようだ。
つづく つづく
…
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