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頑張れ!石岡君
石岡君、生命保険を選ぶ 2 「石岡君、生命保険を選ぶ」2 優木麥 石岡君、生命保険を選ぶ 2

   
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 目玉焼きに何の調味料をかけるかと詰め寄られても、私はにわかには返答できない。思い出してみないとわからないのだ。
「さあ、石岡さん。答えてください。考えるような質問じゃないでしょう」
 浦木が血相を変えて私に迫る。片面焼きに醤油を垂らす彼と、両面焼きにソースをかける女性。私個人の意見としては、大した違いには思えないのだが、当事者にするとまるで異教徒同士のような対立ぶりだ。
「片面焼きか、両面焼きかについてですが……」
 うかつな答えは出来ない。どちらに味方しても問題がこじれるばかりだ。
「答えるのは難しいです」
「どうしてですか」
「なぜなの」
 若い男女は同時に声を発した。
「ぼくは黄身を食べないからです」
「な、なんですって」
 今度は若い二人が同じ言葉を発した。まるで共通の敵を見つけたかのようだ。
「黄身を召し上がらない? なぜです」
「白身は脂肪分がほとんどない良質なタンパク質だからですよ。年齢的なこともあり、コレステロールも気になりますしね。なので、ぼくはゆで卵にして白身だけを食べるようにしています」
 以前、TV番組でスポーツ選手がそうやっているのを見たことがある。
「き、黄身はどうしてるんですか…?」
「知人の女性がお菓子を作るのに提供していますね」
 もちろん、私が並べているのは嘘八百である。しかし、どう話しても角が立つ問題なら、いっそのことこれぐらい極端な話をするほうが場が収まると考えたのだ。
「信じられない。黄身なかりせば…黄身思うがゆえに……ああ、黄身死にたもうことなかれ…」
 女性は頭を抱えてうわ言のように意味不明の言葉をつぶやき始めた。
「では、その白身を召し上がるときには、何の調味料を使われるのです? やはり、醤油ですか」
 浦木はかろうじて私に質問を続ける。その答えもすでに用意してあった。
「塩です。白身にひと振りして食べます。美味しいですよね」
 最後の希望も打ち砕かれ、浦木はうなだれてしまった。すでに女性のほうは黙々とハンバーグを口に運んでいる。紛争は収束したと考えていいのだろうか。二人の若者によかれと思い、私としては喧嘩を未然に防いだつもりである。そして、その通夜の席のような昼食が終わった後、浦木が私をカフェに誘ったのだ。
「もしかして石岡先生ではありませんか?」
「え、ええ…」
「やっぱりそうでしたか」
 ショックから立ち直ったのか、浦木に笑顔が戻っている。
「さきほどのお話で先生だと確信いたしました」
 なぜゆで卵の白身を塩で食べれば私だとわかるのかは理解不能だ。
「どうでしょう。せっかくのご縁ですから、お茶でもご馳走させていただけませんか?」
 私は浦木の申し出を断れなかった。動機はともかく、彼を意気消沈させた負い目もある。それで、二人でシアトル系のカフェに入ったのだ。

           ●

「母ガニの失敗の原因は何だと思われますか?」
 浦木の「サルカニ合戦論」はまだ続いていた。正直なところ、私は眠気さえ感じている。
「性悪のサルにだまされ……」
「いえいえ、違います」
「えっ?」
「性悪な人物はいます。世の中にはそういう人物が一定の数はいるんです。そして、虎視眈々と狙っている。性悪のサルと接触してしまうこと。これ自体は避けられません」
「うまくだまされ…」
「だまされることもありますよ。相手は手練手管だ。オニギリを掠め取ることもするだろうし、実っても自分が登れない柿の種を渡されることもある」
「では……」
「母ガニの完全なる失敗、それは危機管理能力のなさです」
 浦木の話にがぜん熱がこもりだした。
「世の中に生きていれば、何があるかはわかりません。アクシデントというのは、予想外な形で襲ってきます。素人を食い物にする悪党だって数限りない。そんな世の中で生活するのだから、危機管理は必要。つまり、備えあれば憂いなし、転ばぬ先の杖ですね」
「はあ……」
 この話はどこを目的地に向かっているのだろう。
「ズバリ、母ガニは生命保険に入っているべきだったんです」
 浦木はここぞとばかりに強調した。私は突然、民話にふさわしからぬ単語を出されて、何が何やら把握できない。
「もし、母ガニが然るべき生命保険に入っていれば、不慮の死を遂げた後でも、子ガニに対して何の問題もなかったはずです。そうは思いませんか、石岡先生」
「いや、その……」
 そもそもの前提が民話の話であり、カニが生命保険に入るという発想は、今まで考えたこともない。たぶん、私はこれから先も考えはしないだろう。
「たとえばですね。当社のハチハリクリウス保険でいえば……」
 浦木はカバンから分厚い書類やパンフレットを取り出した。
「う、浦木さん…」
 私は純粋に恐怖心と警戒心から声をかけた。このまま彼のペースに乗っているとあまり好ましくない状況になりそうだ。
「何ですか?」
「いま当社のとか、保険とか言われましたよね」
「そうです。当社のハチハリクリウス保険の由来というのは、サルカニ合戦から来てるんですよ。つまり、性悪のサルへの復讐に、子ガニに力を貸したものたちをモチーフにしました。蜂、畳針、栗、臼です」
「いや、そういうことではなくて……ちょっとおかしいと思うんですけど…」
 私は必死に抗弁する。民話の分析が、生命保険の話になるなど誰が予想するだろう。私はあくまで知り合った若者と楽しい会話をしたかったのだ。営業の一環として誘われていた事実は、こちらの心を少なからず傷つけられている。
「おかしいと思われますか?」
 浦木が怪訝な顔をした。私は退くわけにはいかない。
「ええ、おかしいですよ」
「仕方ないでしょう」
 浦木の顔に笑みが戻る。
「まさか、社名に牛糞なんて入れられませんよ」
「はっ?」
 今度は私が怪訝な顔になる番だった。
「さすがは博学な石岡先生。確かにご指摘の通り、子ガニに協力したものの中には、牛糞もいました。だけど、イメージの問題もありますので、やはりハチハリクリウスにさせてもらったんです」
「いや、そういうことがおかしいという話ではなくて……。いいです。わかりました。とにかく、ぼくは保険には入りません」
 私は結論を口にした。もはやこの流れが、生命保険への勧誘であることは明白である。情にほだされて説明だけでも聞くことは、お互いの時間のムダであろう。最初にきっぱりと意思表示をする事が大事である。また、気の弱い私のことだ。浦木の話を聞いたら、つい申し込んでしまう可能性も否定できない。
「石岡先生は何か勘違いをしておられます」
 浦木の笑みは消えなかった。
「私がこれからするお話は、石岡先生のためにではありません」
「と言いますと?」
「石岡先生のお子様のためです。あれだけサルカニ合戦の子ガニの不幸な例をお話したじゃないですか。何もお感じにならないのですか。先生は不死身ではないのですよ。今後20年間で起こるすべての危険を知ることもできないでしょう。であれば、不慮の事故で亡くなられたときに、石岡先生のお子様が……」
「ぼくには子供がいません」
 息を吸い込んで私はそう宣言した。事実なのだから躊躇なく言える。浦木は瞬間怯んだ様子を見せたが、すぐに反撃を開始する。
「奥様なら放って置いていいとお考えですか? なぜです。大人だから、先生が亡くなった後は、自分で生活していけと突き放すおつもり……」
「ぼくは結婚していません。独身です」
 再び私はぴしゃりと口にした。へこむだろうと思われた浦木だったが、さすがにプロは百戦錬磨である。軽く深呼吸をすると体制を立て直してきた。
「私が申し上げているのは、ある種の比喩です。先生のお子さん、奥様は現実としてはいらっしゃらないかもしれません。でも、私が強調したいのは、悲しむ方が皆無なわけはないということです。それは身内に限定されません」
「さあ、どうでしょうか」
 私がこの世ならぬ場所に行くことになったとき、悲しんでくれる人はいるだろうか。いないと言い切るほど、私は周囲の人の思いをないがしろにしたくないが、他の人に比べれば薄いかもしれない。
「いますよ。確実にいます。それはファンの方です」
 浦木は自信タップリにそう言った。

つづく つづく
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