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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡くん披露宴騒動記」4 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

   
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 壇上に立った里美は、予告通り私もまじえて歌いたい旨をマイクで告知した。この瞬間、私が面食らったのは周囲から巻き起こった嵐のような拍手だった。この拍手は期待なのか、私への憐憫なのか。
「さあ石岡先生、ステージへどうぞ!」
 司会者からも促され、私は頭を下げながら、やけくそで壇上へと向かった。里美はにこにこと私を隣に導き、歌詞カードを渡してきた。
「さあ歌いましょう!」
 そうだ、もう何も考えるな、私は自分に言った。とにかく祝福の気持ちを心に込め、力一杯歌おう。カラオケのイントロが鳴りはじめた。よしっ、私は思う。しかし、危惧していたことが、やはり危惧した形で起こってしまった。どうも私は、歌うのがみんなのペースよりも少々早いようなのだ。
 伴奏と合っているかどうかは、自分では判断できない。ただ、みんなが歌っていないのに、私だけが歌っていることがよくある。
「くちづけせよとはやしたてー」
 またもや私の声だけが場内に轟く。私はあっ、早すぎたのかと思い、もう一度くり返した。 「くちづけせよとはやしたてー」
 それでもまだみんなと合わないのだ。仕方がないのでさらにもう一度、同じフレーズをリフレイン。
「くちづけせよとはやしたてー」
 私はそもそも、伴奏を聞きながら歌うという習慣が昔からないのだった。しかし、ここでまた不可解な出来事が起こるのだった。若者たちのテーブルから、怒涛のような拍手と、 囃子立てる大声が聞こえてきたのだ。
「なんとまあ石岡先生。古風に見えて大胆ですねー。新郎新婦にキスのリクエストですか、 まいりましたね−」
 いきなりカラオケを止めた司会者が、苦笑しながら私に言った。
「えっ、いや、私はそんなつもりでは…」
 私はどうしていいかわからず、言った。
「くーちづけせよとはやしたてー」
 里美がマイクで、そのフレーズを何度も繰り返す。新郎や新婦の友人たちが、それに同調した。私はただ成り行きを見守っているだけだ。
 見つめあっていた新郎と新婦が、そのとき意を決したように立ちあがった。そして二人は唇を重ねあう。まるで映画のワンシーンのようで、美しかった。拍手が二人の粋な行動を称えた。
 ところが私はといえば、汗を拭っても拭っても止まらない。体中の水分がすっかり抜けそうだ。ハンカチがぐっしょりになったので、私はもう一枚のハンカチを探した。ハンカチを二枚用意してきていて本当によかった。ハンカチを探してズボンの反対側のポケットに手を入れると、一枚の紙が入っていたのに気づいた。取り出して広げると、それは今日するはずだったスピーチのメモだった。
 このとき、私は一種の使命感にかられた。こんな失敗続きの私だから、ここでせめてこのスピーチだけは読まなくてはと、そう思ったのだ。
「すみません、ちょっといいですか」
 私は、今日はじめて自分の意志で発言した。
「あれ、どうしたんですか、石岡先生」
 司会者が、列席者の気持ちを代弁する形で訊いてきた。
「実は、さっきするはずだったスピーチのメモが見つかったので、ここであらためてスピーチさせていただけないでしょうか。せっかく壇上にもいるし」
 なかば以上拒否されることを予想していた。今日の私がしでかしてきたことの数々を思えば、それが当然の反応だ。ところが私を包んだものは、好意的で温かい拍手だった。
「石岡先生、ではお願いします」
 列席者の反応を受けて、司会者が言った。
「先生、頑張ってね!」
 里美が、私の背中を軽く叩いて段を降りていった。それで私は、今度こそはスピーチの文章に集中した。
「正人さん、陽子さん、本日はおめでとうございます。スピーチをということですが、実は私は結婚した経験がないので、お二人の将来に有益なお話をする自信がありません。だからただ、私が今感じていることを素直に述べさせてもらえればと思います。
 人生で幸せなことは、かけがえのない何ものかに出会うことだと思います。かけがえのない人と出会うことで、かけがえのない時間を過ごすことができるんです。なんて素晴らしいことと、今は思えます。
 私自身は結婚こそしませんでしたが、今までにかけがえのない人と、何人も巡り合うこ とができました。今思えば、彼や彼女たちとともに過ごした時間こそが、私の財産となっています。私の気持ちや精神を、彼らが明るく、豊かにしてくれたんです。あれは、お金では絶対に買えない何かでした。だからぼくは、彼らと、彼らに出会わせてくれた運命に、 とても感謝しています。彼らに会えなければ、今のぼくはありませんでした。だからどうかお二人も、かけがえのない人と、かけがえのない人生を歩んでください」
 そして私がマイクから口を離すと、その日一番大きな拍手が会場を揺るがした。

 披露宴が終了し、式場を出るとき、私は内心びくびくしていた。出口で、列席者を見送る米太郎と顔を合わせなければならないからだ。数々の私の失態に対し、彼は腸が煮えくり返っているであろう。どうやって身を隠そうかと考えていると、めざとく私を見つけた米太郎が、足早で私に近づいてきた。万事休すだった。
「石岡先生!」
 いかつい顔で私の前に立ちふさがった米太郎は、そう言っていきなり私の手を掴んだ。
「ありがとうございました!」
 両手で私の手を押し頂くようにして、彼は何度も頭を下げる。目の前の出来事が把握できない私は、ただ為すがままだ。
「今日までワシは、儀式というもんはひたすら行儀よく、厳格に、正確に、規則正しく執り行うものと思っておった。それが今日はあんたのおかげで、結婚式から披露宴まで、予定の進行は全部ぶち壊しじゃ」
「すいません」
 私は身をすくめる。 「おまけに忌み言葉は次から次へと口にするし、ホンマになんととんでもない男だと最初は思っておった」
 言って米太郎は、キッと私を睨みつける。
「だがワシは、みんなの笑顔を見てしまった。娘夫婦の顔を見てしまった。陽子の…。本当にみんな、心の底から笑っておった。あんなに楽しそうにする娘の姿を見るのは、こんな小さな子供の頃以来じゃ。厳しく育てるつもりが、ただワシの考えを押しつけていただけなのかもしれん。子供らみんな、ただワシの顔色を伺っていただけなのかもしれんなあ、 そう思いましてな。そう思ってあんたを見てたら、ワシもおかしくってな。最後の方は一番笑っとったかもしれんよ」
 米太郎の目に、わずかに涙が光っていた。
「石岡先生、今日の披露宴のことは忘れません。あんたの言うとったかけがえのない時間 を、どうもありがとうございました」
 米太郎に深々と頭を下げられた私は、とにかく同じように頭を下げるしかなかった。彼が去った後、私の肩を叩く者がいた。里美だった。
「どう? 先生、これでもスピーチひとつで人の気持ちは変わらない?」
 里美の笑顔に、私は引き込まれそうだった。
「前言撤回する。でもまだ信じられないけど…」
「まだそんなこと言ってるんですかー?」
「だってぼく、ずっと生きた心地がしなかったんだよ。晴れの結婚式や披露宴を、すっかり台無しにしてしまったんじゃないかって」
「石岡先生は、人の大切なものを台無しにするような人じゃないわ。それは私が保証してあげる」
 そう言ってくれたときの里美の真剣な目が、しばらく脳裏に焼きついた。
「さあ二次会に行きましょう!」
「げっ、じょ、じょ、冗談じゃないよ…」
「イヤだなんて聞こえませんよー。だって今日の二次会、石岡先生抜きでは絶対始まらないわよー、絶対に!」
 仕方がない。私はもうしばらく里美の笑顔を見ていたかったから、おずおずとしたがった。
「いいけど、でももう絶対スピーチだけはごめんだよ」
「ハイハイ」
 私にとっても今日は、かけがえのない時間になりそうだった。

つづく おしまい
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