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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡くん披露宴騒動記」2 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

     
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自慢ではないが私はもの持ちがよく、どんな紙くずもすぐには棄てられない。すぐにメモを丸め、 内ポケットを探るが、肝心なものは見当たらない。ざわめきが激しくなっている。額から ドッと汗が吹きだし、私はおぼれるものが掴む藁のように、マイクの心棒を掴んだ。
「す、すみません。結婚式でスピーチをするのははじめてなもので…その…アガッてしまいまして…」
 なかば気を失いながらそう謝罪すると、不思議な現象が起きた。場内のざわめきの半分くらいが、徐々に笑いにと変わったのだ。なぜなのかはわからない。だがいずれにせよ私は、メモなしで何かは話す必要があった。しかしスピーチ向きの言葉など、完全に脳から消えている。
「あ、あの、実は…私、新郎にお会いするのが今日がはじめてでございまして…いえ、新婦の陽子さんとは三回目なんですが…」
 と、どうでもいいような言い訳を始めてしまい、すると今度は明らかにそれとわかる形で笑いが起きる。
「え、えーと…」
 私は言葉に詰まった。もともとカンペ頼みでこの場にのぼってきたため、メモがないのでは気の利いた言葉など浮かばない。すると恐ろしいほどの沈黙になり、それが続いた。場内が一心に私を見つめている。私は何でもいいから言葉を言って、この場から逃亡することだけを考えた。
「どうか、お幸せに!」
 そう早口で言うと、私はそそくさと壇上から逃げた。罵声を覚悟して首をすくめた私だが、場内からは笑いに交じり、少なからぬ拍手も巻き起こった。
「いやあ、最初はビックリさせられましたが、簡潔で、それでいてユーモアに富んだスピーチでしたねー。石岡先生、どうもありがとうございます!」
 どうやって自分の席に戻ったのか記憶がない。主賓席に戻ったとき、周りの人間がみんな陪審員に見えたことを憶えている。私は彼らの審判を受ける被疑者の気分だったのだ。 しかし予想していたような罵声や非難めいた言葉を浴びせられることもなく、縮こまりながらも私は、席に着いて大きく息を吐いた。
 歓談の時間が続く中、何も手をつけないのは非礼に当たるという気持ちのみによって、私は最小限の料理を口に運んだ。食材から吟味された最高級の料理なのだろうが、味などほとんどわからない。
「石岡先生」
 低い声に呼びかけられて振り向くと、黒羽二重、染め抜き五つ紋の羽織と着物に、仙台平の袴を着けた年配の男が立っていた。髪は白く、口もとには武将のような髭を蓄え、眼光は鋭い。背は私よりも低く、痩せてはいるが、私の十倍以上の貫禄をかもし出していた。
「石岡先生ですな」
 剣術道場の師範代から稽古の指名を受けたような気分になり、私は「ハイ」と言って、背筋を伸ばした。
「陽子の父親の米太郎と申します」
 合点がいった。彼こそ、今日の結婚に最後まで反対し、私が説得するように里美に頼まれた相手なのだ。噂どおりの厳格な人物に見えた。
「本日はお忙しいところを、娘のためにご出席いただき、誠にありがとうございます」
 重々しく頭を下げられ、思わず私は起立して一礼を返した。
「さあ、まずは一献」
 米太郎は手にしたビール瓶を私に掲げてみせる。私は義務のような心持がして、下戸の身ながらも、自分のグラスをぐいと無理して空けた。
「見事な飲みっぷりですな」
 私が両手で捧げるグラスに、米太郎はシトシトとビールを注いでくれた。
「ワシは不勉強でしてな」
「はあ…」
「石岡先生はどんな作品を上梓されておられるのですか?」
 私は返答に困る。本のタイトルを並べても、多分米太郎はわからないはずだ。
「推理小説を少々…」
「ほう、つまり娯楽小説ですか?」
 少し馬鹿にしたように、米太郎は言った。
「はあ、そうなんです」
「なるほど。では今後も精進されるとよろしい」
 何がなるほどなのか、一礼すると米太郎は隣の席へと移っていった。緊張感がほぐれたが、ふと大事なことを思い出した。この結婚披露宴に参加している理由は、あの米太郎にいささかでも柔軟なものの見方なり、人生観なりを感じてもらうためではないか。しかもその手段であったスピーチを大失敗してしまった今、さきほどの直接対面は千載一遇のチャンスであった。とはいえ、ではどうすればよかったのか。もはやスピーチの文面など、私の頭の片隅にもない。そのうえ米太郎なる御仁はカタブツの典型で、説教めいた私の話になど耳を傾けるはずがない。里美や陽子との約束は果たせなかったが、最初から私は乗り気ではなかったのだ。この結果も予想された範疇で、もう仕方がないと自分を納得させた。
「さあ、ご歓談が続いておりますが、ここでご出席のみなさまより、お祝いの催しものを披露していただきます」
 司会が再びマイクを取る。本能的に私は、悪い予感を抱いた。
「新郎の同僚の方々にご登場いただきましょう!」
 壇上に五人ばかり男が上った。全員「結婚応援団」なるタスキをかけ、スーツの上からカラフルなハッピを着ている。
「どおもー、みなさん、こんにちは−。ブルース・ブラザースでーす!」
 リーダー格の男が外れた調子でそうマイクにがなりたてると、周囲の男たちが手にしたタンバリンを叩いたり、口笛を吹いたりする。
「今日は幸せなお二人のために、あいうえお作文をやろうと思いまーす。イエーイ!」
 実はこのとき、≠いうえお作文なるものが何なのか、私はまったく知らなかった。
後で里美に説明してもらったのだが、ある単語を一語ずつ分解して、それぞれの語を文頭にして、テーマに合わせた一文をつくるというものらしい。いずれにせよこの披露宴のときの私は、そんなルールなど全然知らなかったことだけ、憶えておいていただきたい。
「まずは自分からいきまーす。桶井正人の≠ィ!おおしく見えるけど」
  ここで騒いだのは、またしても壇上後方にいる四人だけだった。そのためリーダー格の男は、自分たちの出しものが列席者たちにあまり好意的に受け入れられていないと判断したらしかった。そこで、座を盛り上げるため、壇上から降りてとんでもない真似をしてくれた。一直線に私に向かってやってきて、ぐいとマイクを突きつけたのである。
「ハイ、では石岡先生、桶井正人の≠ッ!」
「は? 何のことですか?」
 もう一度言うが、そのときの私はまったく≠いうえお作文など知らなかったのだ。ましてや自分にお鉢が回ってくるなど、予想だにしていなかった。
「先生、けですよ。け!」
 場が白けることを嫌うのか、リーダー格の男は語気を強めて私に迫った。
「先生、≠ッですったら!」
 私は事情が呑み込めず、とりあえず両手で自分の髪の毛に触って見せた。若者たちの席から笑いが起きる。ところがリーダー格の男は、顔を真っ赤にしてほとんど怒った。
「違いますよ。桶井正人の≠ッです!」
 あまりの剣幕に私は怯え、取り乱しそうな気持ちをかろうじて抑えながらこう訊いた。
「毛を触るんですか?」
 どうすれば彼が納得するのか、私には皆目見当もつかない。
「勘弁してくださいよ石岡先生」
 勘弁してほしいのはこっちだ。
「ほら、早く桶井正人のけに引っかけて!」
 桶井正人の毛に引っかける…? 今新郎の席にすわっている彼の髪の毛に、何かを引っかけるということなのだろうか。とにかくわからないのだから訊くしかない。
「引っかけるって…、何を?」
「何でもいいんですよ、好きなテーマで」
 リーダー格の男は、今にも私に噛みつきそうな剣幕で言う。好きなものを新郎の髪の毛に引っかける? 急にそんな余興に巻き込まれるのは迷惑千万だ。通常のときであればあくまでも辞退しただろう。だが今の私には負い目があった。本来の役割であるスピーチを失敗したばかりか、厳粛なムードに水を差すような狼藉をいくつもしでかしている。ならば、求められた余興には喜んでつきあう義務があるかもしれない。そう納得した私は、すっくと立ち上がった。ただ新郎の髪の毛に何かを引っかける≠ナも何がいいのだろう?
 そのとき、場内から声が飛んだ。
「テーマは景気にしてください!」
 なるほど…とそのときの私は納得したものだ。披露宴というこの華やかな場で、目の前にあるもっともおめでたいもの、それはウェディングケーキ。
 私は覚悟を決めた。いままでの失点をカバーできるように、今度こそ腹をくくって頑張ろう。桶井正人の毛に好きなものを引っかけるなんて、何の意味があるのかよくわからない。だが最近の流行りなんだろう、きっとおめでたい意味がこめられているのだろう。以前御手洗に聞いたことがある。ネイティヴ・アメリカンには、<|トラッチといって相手への親愛の情を示すために、あえて自分の持ちものでもっとも高価なものを壊す風習があるとか。ギリシャではお祭りのとき、食事をした皿を、何枚も床に叩きつけて割るとか。
 私は足早にウェディングケーキに近づくと、塔のようにそびえるクリームにぐいと手を入れた。最近は入刀の部分以外は作り物のケーキも多いようだが、このケーキは全部本物であった。高いのだろうなーと、私は思った。
「あっ! 先生、どうなさいました?」
 いま思えば、司会の叫び声など私の耳には入っていなかった。手に一杯の塩を撒く力士の水戸泉のように、私はクリームだらけの右手を掲げながらメインテーブルに近づいていった。
「あっ、先生、いったい何をなさるんですか?」
 このときの私の思いは、ただ余興に忠実でありたいとの一念だった。
「結婚おめでとう!」
 そういう言葉とともに、入念にセットされた新郎の髪の毛に、私はケーキのクリームを投げつけたのだった。会場中が息を呑み、新郎の桶井正人は放心して私を見つめていた。

つづくつづく
…

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