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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡くん披露宴騒動記」1 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

   
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黒無地のスーツを着るのはいつ以来だろう。何年か前の、お世話になった出版社社長のお通夜まで遡るかもしれない。そう考えて私は、この晴れやかな場にふさわしくないそういう考えを、すぐに頭から叩きだした。聖壇の前では牧師が聖書を引用して、結婚に関するありがたい説教を聞かせている。そう、私は結婚式に出席しているのだ。新婦側の出席者の一人としてである。といっても私は、新婦の「明石陽子」とは、今日を入れてもたった三回の面識しかない。新郎の「桶井正人」にいたっては、今日が初対面だ。不義理とそしられても、よほど親密な相手でない限り慶弔関係には足を運ばなかった私が、本日この場にいる理由は、例によって里美である。
私が落ち着かないのは、当事者であるその里美がまだ式場に姿を見せていないからだ。式は滞りなく進行している。私は不作法にならないよう気を使いながらも、頻繁に後ろを振り返っていた。一刻も早くドアを開け、里美が入ってくることを願っていたのだ。式もクライマックスを迎えようとしている。そのとき、ドアが開いて茶色いスーツ姿の里美が姿を現した。式の進行の妨げにならないよう、彼女は後ろの席に座ろうとしているようだ。私の席は前から三列目なのでわかりにくいのだ。喜びのあまり私は、自分がここにいることを知らせようと思い、手をあげた。するとまさにその瞬間、聖壇の牧師はおごそかにこう言ったのだ。
「この二人の結婚に異議のあるものは、いますぐ手をあげ、名乗りでなさい」
式の進行が止まった。それどころか、チャペル内の時間自体が凍りついたように停止した。里美が懸命に口パクで、「下げて、下げて、手を下げて!」と訴えている。周囲の視線が、突き刺さるような勢いで私に集中していたので、私はようやく事態に気づいて手を下げた。そして、
「すいません!」
と叫んでいた。神聖な空気は完璧にぶち壊され、宴会場のような爆笑が続いて湧き起こった。

「はなはだ僭越ではございますが、一言ご挨拶させていただきます」
披露宴が始まってからも、しばらく私はうつむいたまま顔を上げることができなかった。結婚披露宴という特別な席でなければ、全力疾走で退散したい気分だ。さっきの式が終ると、「先生、すごく顔色が悪いわよ」と心配してくれた里美だが、すぐに「でも、今日は重大な使命がありますからね」と加えることも忘れていない。今日の私には、逃亡できない理由があるのだ。
青い顔をしながらも私は、続く披露宴の席に着かなければならなかった。それも新婦側の主賓席だ。周囲にいるのは県会議員や有名企業の社長、国立大の大学教授ばかり。風格と威厳がモーニングコートを着たような彼らに囲まれ、私はさらに萎縮していた。披露宴はすでに媒酌人挨拶やケーキ入刀などがすみ、新郎が勤務する企業の社長のスピーチにと進んでいる。
「石岡先生、あの、サインいいですか?」
自分に言われていると気がつくまでにかなりの時間がかかった。声の方向を振り向くと、艶やかな和服姿の若い女性が二人、色紙を片手に立っている。
「先生のファンなんです。今日はお会いできてもう感激しちゃって。ホテルの売店で色紙、買ってきたんですよー」
笑顔で話す彼女たちの気持ちは、それは涙が出るほどありがたい。達筆とは到底言いがたい私の字だが、何枚だって謹んでサインを進呈しよう。だが、今はタイミングが悪い。出席者たちの歓談タイムにおけるスピーチとはいえ、それが名だたる企業の社長では、厳粛なるセレモニーの真最中と大差がない。
「あ、あの…あ、あ、あとで…」
小声を搾り出し、懸命に私は訴えたのだが、彼女たちは手強く、
「先生―、ねー、お願い。ね、一枚だけ、お願いしますー」
と全然引き下がらない。
「21世紀をになう若者としての期待と…」
スピーチ中の社長が、案の定こちらを、チラチラと不機嫌そうな目で見ている。私は覚悟を決め、震える手で彼女の色紙にサインを書いた。
「あ、“アキコさんへ”って、入れてくださーい」
希望をかなえることが、もっとも早くこの窮地を逃れる道だと信じるほかない。ああ終ったと私が思ったら、彼女はこう言った。
「あと、先生の座右の銘もお願いしまーす」
そんな高尚なモノは私にはない。とりあえず“無病息災”と書き添えた。出るとき見かけたカレンダーにそう書いてあったのだ。
「…ということで、はなはだ簡単ではございますが、私のお祝いの言葉に代えさせていだきたいと存じます。ご静聴ありがとうございました」
彼女たちが自分の席に戻る頃、社長の挨拶も同時に終了した。マイクをスタンドに戻す社長の目が、私を強く睨んだように見えたのは、はたして気のせいなのであろうか。
司会者が話しだした。
「新郎正人さんの勤務先であるDGソフトの代表取締役、篠原様から祝辞を頂戴いたしました。さて、それでは新婦側からも、主賓の方よりご祝辞を賜りたいと思います」
いよいよだ。私の心臓の鼓動が加速した。
「ご出席の皆様のほとんどがご著書をご覧になったことがおありでしょう。人気作家でいらっしゃる石岡和己先生です!」
大きな拍手が起こったが、私のいる主賓席で音が出るほど手を叩いている人間は皆無であった。アルコールはまったく口にしていないのに、私は顔を真赤にして立ち上がった。前進する足取りはフワフワと、まるで無重力の月面を行くようだ。
そもそも私がスピーチを引き受けたのは、渋々というより否応なくである。里美から知人の明石陽子の結婚式に出席してほしいと頼まれたとき、当然私は辞退した。しかし里美は強硬だった。
「これは人助けなのよ、先生!」
彼女は強い口調で言った。
「どうして?」
里美の説明では、陽子の実家は運動靴の靴紐の卸を手がけ、国内のシェアでトップを争う埼玉県でも有数の名家らしい。政財界との付き合いも広く、陽子の上の二人の姉は格式のある相手を夫に選んだ。しかし彼女はそんな因習に縛られた生き方を嫌い、自ら就職先を探し、結婚相手も恋愛によって選んだ。そんな姿勢が陽子の父の逆鱗に触れ、結婚を認めるどころか、一時は勘当騒ぎにもなりかけたが、理解ある母親や姉夫婦のとりなしによってようやく結婚式の運びとなった。とはいえ、頑ななまでの父親の心が変わったわけではない。渋々了承したというだけだ。
「そこで石岡先生の出番なのよ」
里美は言う。
「どうして?」
私は先ほどの質問をくり返す。
「陽子と正人さんは、本当は親しい人だけを集めてパーティ形式で質素にやろうと決めていたんだけど…。お父さんが結婚披露宴を堅苦しくやることだけは譲らなかったの。だから、威厳とか格式なんかとは無縁な石岡先生が、自由に生きる人生の素晴らしさや、因習にとらわれない生活の楽しさみたいなことを、その席でスピーチしてほしいのよ」
「げーっ、ちょっと待ってよ、僕はスピーチまでやるの?」
「もちろんよ。陽子のお父さんは文学が好きなので、作家の先生の言うことは無下にしないはずだから…」
「そんなの無理だよ。自由に生きる人生の素晴らしさなんて、ぼく知らないよ。第一今までいっぱいスピーチ聞いてきたけど、感銘を受けたことなんか一度もないし、そんなことで人に影響を与えるなんてできないよ」
「先生、私はスピーチをお願いしているつもりはないの。人助けをお願いしているのよ」
今私は激しく後悔している。でももうすべてが遅すぎた。すでにマイクの前に立ってしまった。だいたい私のような口べたな者が、スピーチで一言二言話したくらいで、人の人生観なんかが変わるはずがない。
「さあ、大作家の石岡先生の名スピーチに耳をお傾けください!」
よけいな煽り文句を司会者が言ったため、場内は深夜の墓場みたいに静まり返った。私の手はずっと小刻みに震えたままだ。怖いほど真剣な目が、こちら集中している。だが、さっきの結婚式での汚名を返上しなければ、もう里美や陽子に二度と顔向けができない。私は一週間前から練りに練ってきたスピーチ文を書いたメモを内ポケットから取り出し、おごそかに読んだ。
「このたびは、誠にご愁傷様でございます」
声まで震えないようにと、必死で平常心を保とうと努力する。
「心からのお悔やみを申し上げます」
場内がざわめき始めた。私はメモの文章を目で追うので精一杯だ。
「生前、多大な恩恵を受けましたにも関わらず、薬石効なく…」
さすがの私も、そこまで読んでとてつもない失敗に気づき、放心した。これは以前、亡くなった社長の通夜に出たとき、遺族に挨拶するために書いたメモであった。この黒無地のスーツは慶弔の兼用で着用しているため、こんなアクシデントが起きたのだ。

つづく つづく
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