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頑張れ!石岡君
石岡君、護身術を習う 3 「石岡君、護身術を習う」3 優木麥 石岡君、護身術を習う 3

   
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 武芸の達人と誤解されている。
 これは、私の人生でも1、2位を争う大きさの誤解ではないか。今までは巨匠だとか、流行作家だとかという類いの誤解を受けてきた。一応、ミステリーを長く書いて生業としている以上、もしかしたらありうる範疇の誤解だ。しかし、武芸の達人などという勘違いは、私の人生のどこをどう引っくり返しても結びつかない。
 そもそも私は引ったくり事件に遭遇したことを契機に、護身術を勧められて、この「九割安心道」に足を運んだのだ。それが何の因果か、道場主の宍戸からは「是非、石岡先生に一手ご教授ください」などと言われている。
「本当に勘弁してください。ぼくはしがない作家で、自分自身の身を守ることさえ覚束ない始末です。今度生まれ変わるときは、カタツムリがいいと思っているぐらいですし……」
「先手無しの精神ですな」
 宍戸が感銘を受けたようにうなずく。私には意味がわからない。
「つまり、自ら仕掛けることはなく、ただひたすら相手の攻撃によってのみ、火の粉を払うというお心づもりとお見受けします」
 そんな高尚なことを考えたことはない。痛い目に遭いたくないし、厄介事は避けたい。でも、願った通りには進まないのが人生だ。私は火の粉を被って火傷をくり返してきたといえる。
「とにかく、護身術の教えを請いたいのはぼくのほうなんです」
 私は強調した。初期の目的を達成しなければ、何のためにこの道場に来たのかわからない。
「わかりました。石岡先生がそれをお望みなら、従う以外ありますまい」
 宍戸は正座したまま背を伸ばす。ようやく、私は技を授けてもらえるようだ。 「では、着替えてまいりますので……」
 私と編集者の沢野が立ち上がろうとすると、宍戸が「あいや、待たれよ」と制する。
「その必要はござらん」
「えっ? でも私服で取っ組み合うのは……」
「いやいや、九割安心道は護身術。その本質は、日常生活において、いかに心身を守るかにあり。よって日常の衣服そのままで動けなければ意味がない」
 言われてみればそうかもしれない。胴着で身につけたワザは、私たちのような素人ではとっさの場面で使えない気がする。
「しかも、日常と変わらぬ場面でワザ、動き、平常心を発動できねばならん」
「はい」
 私と沢野は正座したまま、大きく返事をする。やっと師範と生徒らしい関係になった。
「稽古で10のワザを使えても、実戦で3の力しか発揮できない者よりも、稽古でも実戦でも5の力を発揮できる者のほうが優れていると言える。そこで、これから行なう九割安心道の稽古は、実戦そのものと考えていただきたい」
「は、……はい…」
 なにやら、怪しい雲行きになってきた。
「今からお二人には、外へ出て普段と変わらぬ生活を送ってもらう」
「え、ええ……」
 それは単なる日常生活であって、どこが稽古なのかわからない。
「ただし気を抜きなさるなよ。いずれかの場面で、この宍戸信玄が刺客よろしく襲いかかっていく」
「えっ、ちょっと待ってください」
 そんなマネをされたらひとたまりもない。私は何のワザも習っていないのだ。日常生活のどこかで襲撃されるなど、とても生きた心地がしない。
「ワザも使えませんし、とてもムリです」
「実際に、悪人に襲われると想定するのだ。自分は技が使えないので、他の人を襲ってください、などと申し出るかね」
「いえ、それは……」
 確かに言い訳が通用することはないだろう。
「必死の心で反撃するはずだろう。ならば、これも同様と考えなさい。稽古でありながら、実戦でもある。それが九割安心道の極意じゃ」
 大変な一日が始まったと考えるしかない。

                             ●

「食事をしていきましょうよ石岡先生」
 沢野が何度もそう誘う。しかし、私は辞めましょうと答えて、商店街を歩きつづける。
「お昼御飯をまだ召し上がってないじゃないですか」
「とても食欲なんてありません」
 私の正直な気持ちだった。宍戸は「本日の正午から明日の正午までの間に襲撃する」と予告していた。師範が生徒に日常場面で襲いかかる。信じられない状況だが、宣言している以上、まぎれもなく宍戸は実行するのだろう。そう考えると、早く自宅に戻って、家中の鍵をかけて寝てしまいたい。
「でも、明日の正午まで食事をとらないわけにもいかないじゃないですか。最初に食べておいたほうがいいですよ。長丁場ですからね」
 沢野はどこか楽しそうだ。襲撃されるのが私だけで、自分は対象外だから気楽なのだろう。私は少しカチンときた。
「習う先生の選択に問題があったんじゃないかな。こんな荒っぽい指導は聞いたことがない。日常で襲撃なんて、許されないよ」
「まあまあ、石岡先生。宍戸師範の指導は異端ですけど、その分実践的なモノが身につくと評判なんです」
 沢野が憤慨する私をなだめるように言う。
「とにかく食事をしましょうよ。ほら石岡先生、そこの中華料理屋はワンタンメンが美味しいので有名なんです」
「だけど、今とてもそんな気分じゃ……」
「ずっと気を張り詰めててもしょうがないですから」
 沢野に背中を押されるようにして私は中華料理屋に入る。ランチタイムを過ぎていたこともあり、すでに店内の客は閑散としていた。
「ワンタンメン二つにギョーザと春巻き、ください」
 本心から沢野はワンタンメンが食べたかったらしい。彼の無邪気な笑顔を見て、私の気持ちも少しだけほころんだ。
「このワンタンの具は5つとも違うんですって」
「へー、楽しみだね」
 私は気持ちをワンタンメンに切り替えることにした。そう思うと空腹を意識する。
「はい、お待たせしました」
 ワンタンメンの丼がテーブルの上に載る。香ばしいスープの湯気に、私は一瞬、自分の状況を忘れた。
「じゃあ、いただきまーす」
 まずスープに口をつけようとした私は気がついた。レンゲがない。目の前を見ると、沢野にはレンゲが付いている。
「忘れたんでしょう」
 すでに沢野はワンタンメンを食べることに夢中だ。仕方なく私は手を上げて、ウェイトレスを呼ぼうとする。
「すみませーん」
 その振り上げた手に何かがぶつかった。
「いった……」
 私は後ろを振り向くと、エプロン姿の宍戸が立っている。彼は私の背後から手刀を振り下ろしていたのだ。たまたま私が手を上げたため、その手がぶつかった形になった。
「し、宍戸さん……」
「ま、まいりました」
 宍戸はその場に手をついた。私は当たった上腕部をさすっている。
「さすがは石岡先生。私の殺気に気づいておられたのに、みじんもそうと感じさせませんでした。いやあ、この宍戸、まだまだ自分の未熟を悟らされた次第」
「いえ、それは別に……」
「しかし、あきらめませんぞ」
 宍戸は顔を上げた。
「まだ明日の正午までは時間があります。その間に、石岡先生の隙を突いて必ず一本取ってみせます」
「あ、あの……」
 宍戸は走り去った。どちらが師範でどちらが生徒なのかわからなくなっている。ただ、私が今夜眠れないことだけは確実だ。
つづく つづく
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