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頑張れ!石岡君
石岡君、護身術を習う 2 「石岡君、護身術を習う」2 優木麥 石岡君、護身術を習う 2

   
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道場の看板には「九割安心道」と書かれていた。雑誌編集者の沢野に連れられて、私が足を運んだのは、日暮里駅からかなり歩いた位置にある雑居ビルの5F。同じフロアには海外からの輸入ビデオ店や、占いの館が並び、怪しい雰囲気をかもし出している。
「ここですよ。石岡先生」
 沢野はとても嬉しそうだ。以前も彼のこんな笑顔を見たことがあった。私を「銃の使い方を教えてくれるいい先生がいらっしゃるんです」と誘い、元傭兵の教官の下に弟子入りさせたときだ。基礎から徹底的にやるというその教官は、私を腕立て伏せや走り込みなどでしごき、あと一歩で脱水症状になる寸前まで追い込まれた。そんな私に対して、沢野は「ありがとうございます。いい絵が撮れました」と笑みを浮かべて言ったのだ。私はあのときの地獄を思い出して、身がブルッと震える。やはり、彼の口車に乗ったのは間違いだったのではないか。
「世の中のアクシデントは九割は自分の努力で守れる。ただあとの一割だけは、運命に身を委ねるしかない。というのが、この九割安心道の教えなんです。現実的でしょう」
 沢野は道中、何度も私に見せたパンフレットを読む。
「ねえ、沢野君。よく考えてみたんだけどね」
 私は道場に入る前の最後の抵抗を試みた。
「護身術を習うというのは、ぼくには有効でない気がするんだ」
「どうしたんですか石岡先生。ここまで来て」
「たぶん、ぼくの運動神経では、その九割安心道のひと通りの基礎が身につくだけで何ヶ月もかかると思う。しかも、定期的に通うことができてという前提だ。それを考えると、もっと現実的な護身の方法があると思うんだけど……」
「たとえば、何ですか」
「よくあるだろ。女の人が持ってる防犯グッズみたいなヤツ」
 私は必死で舌を動かした。
「すごい音で鳴るブザーとか、スタンガンとか」
「石岡先生、私がここにお連れしたのは、別に先生に武道の達人になっていただきたいわけではありませんよ」
 沢野が諭すように言う。
「確かに防犯グッズを携帯するほうが手軽でしょう。しかし、身を守る意識が研ぎ澄まされるとは思えません。大事なことは、いざという場面で、自分の身に対してどれだけの機転を利かせられるかじゃないですか」
 沢野の言葉は説得力を持っている。
「インスタントな方向に流れるのはやめてください。とにかく、身を守る心構えや、危険を避ける基礎知識を知るだけでも意味があるじゃないですか」
「ま、まあ、言われてみれば……」
「とにかく、もう道場の前まで来てるんですから、先生の話だけでも聞いてみましょう。どうしても石岡先生に合わないと感じられたら、それで結構ですから」
 そこまで説得されては、さすがに帰るとは言い出せない。私はうなずくしかなかった。
「ありがとうございます。では、早速、道場の門をくぐりましょう」
 沢野は九割安心道の道場のブザーを押す。しばらく待つが返事はなかった。
「あれ? 休みの日じゃないと思うんですけど」
 ドアの貼り紙で道場の開業時間真っ只中であることを沢野は確認する。ふと私はこのチャンスを生かそうと考えた。
「沢野君、臨時休業なんだよ。仕方ないじゃないか」
「いえ、でも昨日の電話では確かにこの時間を指定してきたんですけどね」
「急用だよ。仕方ないって」
 私はさっさと歩き去ろうとした。何度かブザーを押していた沢野も無反応なのを確認すると、仕方なく私に従う。そのとき、道場に隣接する占いの館から年配のオトコが現れた。その扮装は、まるで中世の伝道師のようだ。
「探し物ですか?」
 髭をうごめかせて、上目遣いにこちらを見ている。沢野が対応した。
「いえ、あの……隣の道場を訪ねたのですが…」
「おー、みなまでおっしゃるな。九割安心道の創始者である宍戸先生の居所を知りたいのであるな」
「は、はい…」
「では、占ってしんぜよう」
 占い師が印を結ぶように手を合わせたとき、あわてて私は止めに入った。
「ちょっ、ちょっと待ってください」
「何かね」
 流れを中断された占い師は明らかに不服そうな目でこちらを見る。
「それは、無料ですよね?」
「な、何を言うんです石岡先生」
 沢野が私の腕を掴んで制す。目当ての相手が不在で困っている私たちに占い師が好意で居所を教えてくれる。それをなぜジャマするのかと彼は言うのだろう。しかし、私はこういう場面に悲しいほど遭遇してきた。失礼かもしれないが、やはり確認しておかなければ私の不安が治まらないのだ。
「アッハハハ」
 突然、占い師が笑い出す。私と沢野は事態を成り行きを見守った。
「お見事。合格ですぞ」
 占い師が帽子を取ると、弁髪が露になった。
「あ、これは宍戸先生」
 沢野が大声を上げて頭を下げる。占い師の正体は、我々が今日会うはずだった九割安心道の創始者、宍戸だったようだ。それにしても、沢野のうっかりぶりにも困ったものだ。弁髪を見なくても、顔で判別つきそうなものである。
「自分の身を守る基本の第一は、油断をしないこと。これに尽きるのです。その意味では、編集の沢野さんはうかつでしたな」
「恐れ入ります」
「あらためて、石岡先生は大したお方だと感服しました」
 宍戸に誉められて、私は気恥ずかしくなる。単に貧乏性と疑い深いために、口を挟んだに過ぎなかったからだ。
「さすがは、銃を手にした暴漢数人に囲まれて動じなかったお方だ」
 私はずっこけそうになった。話がドンドン膨らんでいる。スクーターに乗った引ったくり犯にバッグを取られただけなのだが、このままでは傭兵部隊をひとりで相手にしたというところまで行き着くかもしれない。
「護身術を習いたいという人は数多いが、単に人と戦う技術を身に付けたいだけという短絡的な発想が少なくない。しかし、いくら腕に覚えありという状態になったとしても、実践の場でモノを言うのは胆力。心が入っていなければ、ワザを振るうことなどかなわぬ話です」
「まさに、おっしゃる通りです」
 沢野は感心してうなずいていた。
「ですから、ウチは護身術ではなく、九割安心道と、あえて“道”を名乗っております。では、道場にお入りください」
 宍戸に促されて、私たちはようやく道場へと足を踏み入れた。

         ●

「さて、まずは石岡先生が遭遇した修羅場のお話から伺いたい」
 十畳ほどの部屋に案内された私たちは、宍戸と対座している。道場の壁には「安心立命」と書かれた額が飾られている。
「あの…修羅場とおっしゃいますと?」
「暴漢数人と立ち回りをされたと聞くが」
「とんでもないです。そんなことはしていません」
 私はここぞとばかりに否定する。
「そんな深刻な事件ではないんです」
「謙遜して語らずですか。なるほど。ますます感服します」
「あ、いえ、そう言う意味ではなくて……」
「しかし、虎の子の100万円を奪われたのでしょう?」
「まさか、そんな大げさな金額ではありません」
 被害総額は1920円。あまり、盗まれた盗まれたと騒ぎ立てる金額ではないと思っていた。しかし、私の言葉に、宍戸と沢野が同時に「おー」と声を漏らす。私と彼らとの間に何か大きな勘違いがあるようだ。
「あの、誤解されているようなので申し上げますが……」
「みなまでおっしゃるな。世の中には、針ほどの体験をさも丸太のように語る輩が多いのだが、石岡先生は武勇伝を吹聴することを固く辞される」
 感に堪えないような表情をしていた宍戸は、突然ガバッと私の前に両手を着いた。
「この宍戸信玄。なんとも、なんとも感服いたしました。私が石岡先生にワザを教えるなど身のほど知らずもいいところ。是非、先生から一手ご教授ください」  妙な展開になってきた。私は頭を抱えたくなる。
つづく つづく
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