島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
頑張れ!石岡君
石岡君、限定販売にハマる! 2 「石岡君、限定販売にハマる!」2 優木麥 石岡君、限定販売にハマる! 2

   
…
「ホームズのフィギュアなのかい?」
 早朝の横浜駅のホームで私は大声を出す。考えてみれば、今日の目当てのフィギュアがどんなシロモノなのか確かめてなかった。そもそも何を買うという熱意とはほど遠い気分で今回の限定販売へ参加することに決まったからだ。しかし、我が敬愛するシャーロック・ホームズのフィギュアなら話は別である。その事実をもっと早く告げられていれば、今日の寝起きもさわやかだったに違いない。
「あれ、言ってませんでしたっけ」
 通話相手の稲田の声のトーンは変わらない。私は自分自身のはやる気持ちを少し抑えることにした。確かにホームズフィギュアには多大な興味があるが、あまり稲田にこの興奮が伝わるのはよろしくない。あくまで無理やり早朝につきあわされているというスタンスを保ったほうが、この先を考えれば賢明だろう。
「聞いてないよ。ぼくは何を買うのか知らされないままだったんだから……」
「すみません。ダリアン製菓から発売される『よみがえる名探偵フィギュア』シリーズの第一弾で、シャーロック・ホームズなんです」
 稲田の言葉を聞くと、そっと携帯電話を耳から離した。生唾を飲み込む音を聞かれたくなかったからだ。今の私はときめいていた。先ほどまでの面倒なことに巻き込まれた気分は吹き飛んでいる。とはいえ、まだ稲田にこの胸の高鳴りを悟られたくない。あまりにはしゃぐと、私が食玩の限定販売自体に食指がそそられたとカン違いされ、今後も早朝に狩り出されかねず、油断は禁物だ。
「そうなんだ。ホームズフィギュアなら……」
「石岡先生は、いまどの辺ですか。早く来ないと限定発売分が手に入らないかもしれませんよ」
「えっ……もうそんなに並んでるの?」
 私の胸に不安が膨らむ。せっかく行くのなら、その“限定発売分の空家の冒険バージョン”とやらを手にしなければ損だ。稲田との電話を切ると、到着した電車に飛び乗った。


 渋谷駅のハチ公口を出て、件の百貨店へと向かう。まだ見ぬホームズフィギュアに私の胸はときめいていた。子供の頃に親しんだホームズの本には、読み手のイメージを膨らめてくれる挿絵が何枚も載っていたものだ。その絵こそが、シルクハットにフロックコート、パイプをくわえたイギリス紳士であり、名探偵ホームズ。私はそのフィギュアを手に出来ることの喜びに満たされていた。早起きを強要された不快感は吹き飛んでいる。  都会とはいえ、早朝の新鮮な空気を吸いながら前進すると、目指す百貨店が見えてきた。時刻は、まだ6時過ぎ。コンビニ以外の店が開いていない渋谷駅周辺だが、異様なまでに人が集まっている一角があった。私はこれと同じ風景を以前に見たことがある。プロ野球が華やかりし時代。日本シリーズのチケットの発売日に、売り場から連なる人の列。海外の人気アーティストの来日公演で東京ドームに押しかけた人の波。私の目の前では、過去と同様の行列が出来上がっていた。
 もしかして、いや、これが今日の10時開店の「ホームズフィギュア」の限定発売を待つ客の集団なのだろう。その人数の多さは、私の想像をはるかに超えていた。
携帯電話が鳴る。もちろん、稲田だった。
「石岡先生、いまどこですか?」
「渋谷に到着して、行列の後ろにいるよ」
「もう並んでるんですね」
「いや、まだだけど。これから……」
「早く並んでください。始発組がドンドン並んでしまいます。限定発売分が手に入るかどうか瀬戸際ですよ」
 稲田の剣幕に押されて、私はすぐに列の後ろに並んだ。すると、携帯ゲームをしていた若者が面倒臭そうに振り向く。
「ここは列の最後じゃないけど……」
「えっ、そうなの?」
 若者は、私の後ろを指差す。道路を挟んだ向こう側には、長い列が見えていた。つまり、百貨店からつながるこの行列は、道路によって分断されているのだ。私はため息をつくと、道路の反対側にある列の後ろに並んだ。


「整理券番号は何番ですか?」
 稲田はホットコーヒーを啜っている。私も同様だ。寒空の下、2時間並んだ後の熱いアメリカンは最高である。8時を過ぎて、あまりに行列の人数が多いため、通勤通学の妨げになると判断した主催者側が整理券を配ったのだ。これで、あとは開店後に買いに行けば品物は手に入るはずだ。
「986番だね」
 信じられない話だが、あの行列は1000人以上並んでいたことになる。いや、私の後ろにもずいぶん並んでいたから、どれぐらいか見当もつかない。
「よかったじゃないですか。『空家の冒険バージョン』は手に入りますよ。たしか限定1000個になりましたから」
「嬉しいなあ」
 私は心から喜んでいた。あんな思いをして限定発売が手に入らなかったら救われない。
「でも、ホームズフィギュアなんてオマケになる世の中になったんだね」
「デキはいいですよ。写真を見ますか」
 稲田はカバンから雑誌を取り出し、テーブルに広げた。
「おおー、これだね」
 カラフルなページには、ホームズのさまざまなフィギュア写真が掲載されている。
●「四つの署名」バージョン
●「赤毛連盟」バージョン
●「銀星号事件」バージョン
●「まだらの紐」バージョン
 などとタイトルと共に並べられていた。
「名前があるのにフィギュアがないものや、フィギュアはあるのに名前はないものがあるね」
「事前にすべての情報がわかったらつまらないじゃないですか。箱を開けて新鮮な驚きとか味わいたいし……」
 なるほどと私も思った。昔、駄菓子屋で紐つきクジを引いたとき、全ての景品まではわからないところが面白かったりしたものだ。
「稲田君はホームズは好きなの?」
「まあまあですかね。有名な作品は読んでると思います」
 そう言うと、稲田は一枚の写真を指差した。
「このホームズが犬と挌闘しているフィギュアは、バスカビル家の犬、でしょうね。わかりますよ」
 その言葉に私は不敵に笑った。
「それは違うかな」
「えっ、じゃあ何なんですか?」
「バスカビル家の犬に出てくる魔犬は、黒い犬なんだよ。でも、その写真の犬は違う。だから、たぶん『ブナ屋敷の怪』だね。ブナ屋敷の主が飼っていた獰猛な犬をクライマックスでけしかけられるシーンがあるから」
「おー、すごいですね。さすがは石岡先生」
「いやー、まあそれほどでもないけど……」
「じゃあ、この『まだらの紐バージョン』で、ホームズが鉄の棒を持ってるのは、何の意味があるんですか」
「ああ、これは鉄の棒というか、暖炉の鉄の火かき棒なんだ」
「どうして、そんなモノを……」
「実は、まだらの紐事件の依頼者は美しい女性。彼女は田舎からわざわざロンドンに出てきて、ホームズに相談をするんだ。そして、事件の捜査をホームズが引き受けて、安心して彼女が帰った後、なんと凶暴なロイロット博士という人物がやってくる。ホームズに事件に介入するな、と脅すわけ。そのときに、自分の力を誇示するために、暖炉にあった火かき棒をくの字に折り曲げちゃうんだ」
「へえー……」
 稲田に感心されると、私は気分がいい。
「ところが、ホームズはその火かき棒を元のようにまっすぐ戻す。このフィギュアはそのシーンを表現してるんだね」
「でも、どうせフィギュアにするなら、もう少しカッコいいシーンのほうがよかった気がしますけどね」
 私も同感である。ホームズフィギュア限定発売まで、あと30分を切った。
つづく つづく
…
TOPへ ページトップへ

Copyright 2000-2004 Hara Shobo All Rights Reserved