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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 石岡君の「フルコースで対談を!」3 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

     
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 食に関する作品など私は書いたであろうか。必死で頭を巡らせていて思い浮かんだのは「数字錠」である。御手洗と知人と私とで銀座の高級フランス料理店で食事をしたことも書いた。あの時、私はフォアグラやトリュフを知ったのだ。
「数字錠でしょうか?」
 しかし越前は首を横に振る。
「いや、そんなタイトルではなかったな。タイトルそのものが食にからんでいたから、僕はよく覚えとる」
 そう言われて、私はハッと思い当たった。
「あ、最後のディナー…ですね?」
「いや、僕が見たのは、そんなタイトルじゃなかったな。何だ? そんなにいろいろ食について書いとるのかね」
「いえ、そんなことはないのですが」
「あるだろう。食についてタイトルになっとる本が。君は自分の本のタイトルもよく覚えとらんのか!」
「はい、すいません!」
 なぜ私が怒鳴られるのかわからなかったが、必死で謝り、そして考える。みるみる越前が不機嫌になっていくのがわかる。でも、他に食べることに関したタイトルの本など私は出していただろうか。わからない。まるでクイズだ。
「そうだ。思い出してきたぞ。たしか≠ネんとか食いとか言うヤツだった」
 それで私はやっと理解した。なんだかほっとする。
「もしかして∴テ闇坂の人食いの木でしょうか」
「おお、それそれ、それだ。食い物に関する作品は僕の専売特許にしておいてや」
「ええ、絶対大丈夫だと思います。その作品も含めて私の作品は、食べ物に関する重要性は低いですから」
 私は言った。
「なんだ。あれ、食についての作品ではないのかね。そうか、僕は中身はあまり読まんもんでね」
 オマール海老・帆立貝・白身魚のフリカッセが並べられる。私の胃袋はもうとっくにギブアップ宣言をしているが、せっかく和やかな雰囲気になってきたのに、またムードをぶち壊すようなことはしたくない。
「石岡さん。僕はね、家畜の肉は好かんのだよ」
 健啖家の越前は、オートマティック・システムが作動しているかのように、止まることなくフォークを動かしている。
「人間の食料になるために産まれ、生かされているという実像が、食欲をそそるロマンを感じさせないのだ。石岡さんはハンティングはおやりになる?」
「いえいえ、釣りもここ数年していません」
 越前はすると、豪傑笑いをした。
「おいおい、勘弁してもらいたい。釣りとハンティングでは、TVゲームと実際のレースほども違う。僕は先月もカナダでビッグ・ゲームをしてきてね。大きなヘラジカを仕留めたよ。今度拙宅に招待するから、戦利品をご覧に入れよう」
 私の頭の中に何かが沸いていたのだが、言語化しない。
「まあ話を戻せば、やはり野趣あふれる獲物の肉こそが、僕のエナジーの源かな。頭脳より、下半身方面のね、わははははははははは!」
 越前は赤い顔で大笑する。どうにもいいが反応しにくいジョークだ。ましてや同じ部屋の中に悦子もいるのだ。
「オホン。ところで石岡さんはワインについて造詣が深いとお見受けしたが」
 誰も笑わなかったので、越前は話題を変えてきた。
「ビンテージ(年代物)については、いかがかな」
 ワインについてなど、私はまったく話す事柄を持っていない。さきほどの失敗もあるし、 第一、一年に一本飲むか飲まないかという生活を送っている私が、ワインの何を語る資格があるというのだろう。
「いや、またワイン談義を吹っかけようというのではない。お互い、よわい50を越えればワインに関してもこだわりが出てくると思うが…」
 越前が畳みかけてくる。私は正直に告白することにした。それに私は、まだ50歳にはなっていない。
「あの、すみません。私はまだ49で…」
「ほう…」
 私が言い終える前に、越前の目がすうっと細められた。すると私の足はまたがくがく震えはじめた。生きている心地がしない。またしても私は、何か失言をしてしまったのであろうか。
「同じだ!」
 越前はいきなり相好を崩した。
「僕も49年産は気に入っておってね。あの年は同じ当たり年でも、いつも厳しいボルドーの白ワインにも高得点をつけられますな」
 なんだかわからないが、越前が喜んでくれたのならそれでよしとしよう。それにしてもこんなに極限的状況で食事をしていると、どんな料理が出てきても味をまったく感じない。 しかしいよいよメインディッシュである、蝦夷鹿のソテー狩猟者風が出てきた。
「このソースは最高だ!」
 ほとんど叫ぶように、越前が言った。
「フランス料理には、シェフの数だけソースの種類がある、という名言がある。いやあここのシェフもいい腕をしておるではないか!」
「はい、ありがとうございます」
 ギャルソンが深く頭を下げた。たしかに美味しい鹿肉だ。だが、私のほとんど余剰空間のない私の胃には、単なる負担にしかならない。ダメだ、意識を他に切り換えよう。うつむく私には関係なく、越前夫婦は大はしゃぎである。
「本当に美味しい。ソースのレシピを知りたいわ!」
「そうだ。ウチでも食べたいものだ。是非教えてくれ」
「いえ、それはちょっと…」
「何だ。やっぱり秘密なのかね」
 私の方はそれどころではなかった。こんな苦痛、家でまで味わいたくはない。
 それにしてもせっかく対談に臨んでいるというのに、あまりお互いの話が弾んでいるとはいえない。こんなもので、編集者は大丈夫なのだろうか。
「記事になるかな」
 思わず口に出してしまった。不安が先に立ったからだ。
「さすがですね。石岡先生」
 突然ギャルソンに呼びかけられ、私は顔を上げた。
「やあ、まいりました。よくこのソースの隠し味がよくわかりましたね。さすがに名探偵でいらっしゃる。おっしゃる通り、キジの骨を焼いて香味野菜と一緒に煮出しているんで す。野趣同士だとよく合いますから」
 越前と悦子が驚嘆のまなざしでこちらを見つめている。
「和牛フィレの炭焼きディアブルソースです」
「いや、あの、ぼくは」
 と言いかけたその瞬間、私の頭に閃いたことがある。まだ里美メモのキーワードを二つ残していたのだ。しかも、どちらもオーダーとは関係ない言葉なので、越前が私に好感を抱いてくれている今こそ使うべきだ。
「私は越前先生の初期の作品の、∴ォ党よ毒を垂らすなが気に入っています」
 私がそう言うと、越前は大きく目を開いて、それから小さく息を吐いた。
「それはなんとも珍しいなあ。あの作品を評価してくれる人間は少なくてね。大きな賞を取った直後の作品だったが、発表した途端、読者からも評論家からも駄作だと袋叩きに遭ったよ」
 しかし越前自身は思い入れが強く、自分のベスト3には必ず挙げているのだと私は里美から聞いていた。ともかくやっといい流れになってきた。これで最後のキーワードも口にできるというものだ。
「ジビエですね」
 さっきからずっと胸につかえていた言葉を、ようやく口にすることができた。野性の鳥や禽獣を好む越前に対して、フランス語で野禽獣を意味する<Wビエとさりげなく口にすれば、必ず喜ばれるはずと里美は言っていた。
「そうか。そんなことまで知っていたとは石岡さん、あんたも腰の低そうな見かけによらず、なかなか食えないお人だな」
 越前は、凄みを利かせた目で私を睨んだのだった。私はまた震え上がった。

つづく つづく
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