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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 石岡君の「フルコースで対談を!」1 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1
   

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「トゥール・ダルジャンか、マキシムあたりを用意してくれたら、舌の回りも違うのだがね」
  廊下に声が響いたとき、私は必死で覚えようとしていたメモをポケットにねじ込んだ。 メモの内容は、対談に臨む私に、里美がつくってくれたアンチョコである。
「チェイサー、悪党よ毒を垂らすな、フリット、ア・ラ・カルト、ジビエ」
 メモに並んだこの五つの言葉こそ、フランス料理に舌鼓を打ちながら大物作家と対談するという、私にとっては強烈な離れ業を成立させるキーワードなのだ。いかにも大食漢だと周囲に宣言しているような巨体を左右に揺すりながら、越前武彦が部屋に入ってくると、 私の緊張は極に達した。椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がると、まだ越前がこちらに目を向ける前から何度も何度も頭を下げる。足がちょっと震えた。
「あ、越前先生。こちらが今日の対談のお相手の石岡和己先生です」
 自分を先導してきた編集者からそう紹介されても、越前はそっけなく「あそう、よろし く」と低い声で唸っただけだ。私が「いえ、こちらこそ、本日はですね…」と考えてきた挨拶を述べようとする前に、越前はさっさと私の前を離れていった。
「それで、こちらが越前先生の奥様の悦子夫人です」
 しっとりとした和服に身を包んだ小柄の女性が、丁寧に腰を折る。
「越前の家内でございます。今日はどうぞお手柔らかにお願いいたします」
 私は恐縮した。
「是が非でもと請われるので無理して体を空けたんだからね、実りある時間を過ごしたいもんだ。料理には期待しているよ。建物はちゃちで目の保養にもならん」
 越前がわめくように言った。
「心得ておりますとも先生。お任せください。さあ、とりあえずお席に。あ、石岡先生も」
 私にはついでのように編集者は言い、それでも促されるままに私は席に着いたが、釈然としない思いが湧いている。(ああやはり、断るべきだった…)
 国際サスペンス小説界の第一人者…というより、無頼派として高名な「越前武彦」と対談してほしいという依頼の電話は、馬車道の自宅に直接かかってきた。基本的に私は対談やインタビューなどの創作活動以外の露出は断ることにしている。幸いなことに出版業界に籍を置いてから年月だけは長いため、そうした私の姿勢は周囲にそこそこ知れ渡っており、その手の話に関しては最初から対象外だった。たまに事情を知らない一般誌から話が来たとしても、私の担当編集者の段階で丁重にお断りさせてもらっている。ところが、ごく稀に、どうして調べたのか私の自宅の電話に直接依頼の電話をかけてくるケースもある。もちろん、その際もありったけの理由を動員してお断りするのだが、依頼内容がインタビ ューではなく、対談であれば葛藤を禁じえないのだ。とくに「越前先生が石岡先生の作品に大変興味を抱いておられまして、是非一度お食事でも共にしながら創作論を語り合いたいとおっしゃっていますので…」などと言われれば、私としては断る理由がなくなる。いやそれでも1回目は、受話器を持ちながら平身低頭してようやく断ることに成功したのだが、それから二日もしないうちに、同じ編集者から二度目の電話がかかってきたのだ。
「石岡先生、今度創刊する新雑誌の目玉の一つですので、何卒よろしくお願いいたします」
 まるで先日の電話のやりとりはなかったかのような物言いだった。
「それで、先日のご相談の件なのですが、先生にいかほど謝礼をお支払いさせていただければよろしいでしょうか?」
 私は飛び上がりそうになった。言うまでもないことだが、対談を断ったとき「ギャラ」の話などまったくしていない。しかし私の断り方がまずく、相手はお金でゴネていると勘違いしてしまったのであろうか。ともかく結論から言うと、私は対談を承諾した。引き受 けた後も、何度キャンセルしたかったかわからない。相手が怖い越前先生と聞くと、昨日などキリキリと胃が痛くなったほどだ。
 そして迎えた対談当日。赤坂にあるフランス料理のレストラン「ジャミラ」に足を踏み入れてからの私は、緊張感でガチガチだった。とくに越前が私との対談など全然望んでいなかったことがわかってしまってからは、いますぐにも帰りたい気分で一杯になった。
「いらっしゃいませ」
 対談場所である個室にギャルソンが入ってきた。私の胸にさっきとは別の緊張が張り詰める。電話で編集者は「最高級のフランス料理をご用意しますので…」と言っていたが、 私にとっては苦痛なだけだ。いままで何度かそういう店で食事した経験はある。しかしそのほとんどが、御手洗かレオナのように、万事を心得ている相手と一緒だったのだ。初対面の、しかも気難しそうな偉い人と対談するだけでも気苦労が相当なのに、フランス料理にまで気を回さなければならないとは、まったくゾーッとする話だ。
「アペリチフか。私はキールをもらおうか」
 越前は慣れた口調で注文する。
「お客様は?」
 ギャルソンが私に顔を向ける。ドクンと鳴る自分の心臓の音が聞こえた。何を言えばいいのかさえよくわからない。こういうときは、越前の真似をするに限る。
「えーっと…じゃあ、僕はアペリチフを」
 ギャルソンの額に刷毛で一撫でしたような皺が浮かんだ。私は必死の願いを込めて相手の目を見つめていた。
「わかりました」
 私は心底ホッとする。出足から失敗しては、この先思いやられるからだ。
「ほう、たいしたもんだ」
 吠えるような声を上げたのは越前である。
「名探偵さんはこの店の常連と見える。アペリチフの一言で、飲みたいものが出てくるなんてね」
「い、いえ、あの、ぼくは名探偵では」
「あそう」
 私は何か失策をしでかしたのだろうか。越前の言葉にはところどころに皮肉の棘を感じる。
「先生、お料理の方はいかがしましょうか」
 ギャルソンが言い、越前はメニューに目を移す。当然私の前にも差し出されたのだが、 受け取って眺めても何の料理なのかさっぱり見当もつかない。「Entree Choix」 とか「Poisson ou Viand」などの意味不明の言葉が、私の脳をクラクラさせる。
「そうだな。前菜は南瓜のスープと、フォアグラのソテーのトリュフ風味と、オマール海老・帆立貝・白身魚のフリカッセぐらいでいいか。メインディッシュは蝦夷鹿のソテー狩猟者風と、和牛フィレの炭焼きディアブルソースをもらおうか」
 再び私の番である。まずは第一のキーワードを使おう。
「ア・ラ・カルト(献立表から自由に選んで注文する)ですか」
 一瞬、その場の全員の動きが止まったように感じた。
「えっ?」
 もう恥も外聞もない。
「僕も越前先生と同じで結構です」
 驚くべきことが起きた。越前が私を見て、はじめて笑ったのだ。
「嬉しいね石岡先生。つきあってもらえるとは思わなかった。僕はガキの頃から大メシ食らいで、同じ量を食べてくれる人にはなかなか出会えないんだよ。楽しみだなあ。あなたの食べっぷりがさあ」
 銀歯まで見せて不気味に微笑む越前を見ているだけで、私の胃袋はキューッと音を立てて萎んでしまう。まだ何も口にしていないのに「ご馳走様でした」という言葉が飛び出しそうだ。
「よし、じゃあ今日のワインは石岡さんに選んでもらおうか」
 越前がとんでもないことを言いだした。
「いいえ、僕はまるで門外漢ですから、どうか越前先生にこそ…」
 私は首をすくめ、必死で言った。
「ハハハ、ご謙遜されるな。この店には足しげく通っておられるのでしょう。どうかオススメの逸品を賞味したいものですな」
「石岡先生、ここは越前先生がああおっしゃっておられますので、どうぞ、どうぞ」
 ここぞとばかりに編集者が言う。私はワインなど知らないし、こういう雰囲気が大の苦手だ。しかし、最初は険悪に見えた越前との関係が徐々に良好の方向に向かっていることも事実である。それが料理を媒介としている以上、とてもではないが、「この店に来るのははじめてでざいまして」とは切り出せない。ましてやフランス料理を食べた経験は数えるほどしかないなどとのたまえば、次の瞬間には越前の態度はまた威圧的で、人を見下したものに変わるであろう。それでは対談がぶち壊しだ。
「お選びください」
 ギャルソンが冷ややかな態度で、こちらにワインリストを差し出した。すでに四の五の言えるタイミングは過ぎている。私はガンが発見された自分のレントゲン写真でも受け取 るかのように震えながら、ワインリストを手にした。案の定、ワインの名前はフランス語で書かれており、私には1行も読めない。もっとも日本語で書いてあっても事態は大して変わらないが…。
 苦肉の策で、値段を判断基準として選ぼうと思ったが、値段も書いてない。ええい、やんぬるかな! と一番上に載っている名前を指差した。
「これ…戴けますか」
 その時のギャルソンの表情は、あたかも私が「ツチノコの蒲焼が食べたい」と言った時のようだった。かける言葉もなく、私たちはお互いを見つめあったまま、異様な数秒が過 ぎた。
「承知いたしました」
 意を決したように言い、ギャルソンが足早に立ち去る。すると越前が、ブルドッグが好物を目の前にした時のような顔になって、私に微笑みかけてきた。
「いやあ、こりゃ楽しみですな。これでも僕は世界中を旅して、あらゆる珍味とされるものを味わっていてね。アマゾンでお化けみたいなナマズを塩焼きにしたり、殺したばかりのアザラシの生肉を食いちぎったり、オーストラリアでは何種類かの虫をオヤツ代わりに口に入れてきた」
 聞いていて、私は気持ちが悪くなった。
  「もし死ぬまでひとつの献立しか食べられないのなら、迷わずに私はフランス料理から選ぶね。食いもんに贅沢することが一番の道楽なんだ。着るモンやクルマにカネをかけるなんてね、貧乏性でしかないよ。¥チえものにカネを使ってこそ贅沢だ。そうは思わんかね、石岡先生」
「は、はあ」
   私は何と返事をしていいのかわからない。これは対談なのだから、もっと活発に対話しなければならないのだろうが、どうにも話が噛み合わない。いやあ今度私も虫をひとつ、 と言う気にはなれない。
「ただね、そんな僕も食には神聖なルールを課しているよ」
 私は「ハイ」とうなづいて聞くしかない。
「絶対に残さないということだ。どんなにカネをかけて、料理を並べても構わないが、手 をつけたのに残す輩を僕は許さない。女と一緒に食事して、そいつがそんな罰当たりなマネをしたら、ヴィヴィアン・リーでも僕は説教するね」
 私はゾーとして、目の前が暗くなった。残すことができない!
「アペリチフをお持ちしました」
 ギャルソンが越前にキールを、そして私の目の前に置かれたグラスには…。
「こ、これは、何ですか…?」

つづく つづく
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