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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡君、コンビニ店長になる」2 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

     
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 なぜ私がコンビニの店長をしているのか。その発端は、陽気の良さに誘われ、いつもの馬車道の散歩コースから外れて足を伸ばしたことから始まる。喉が渇いた私が目に止まったデイリーYに入り、ペットボトル入りののほほん茶をレジに持っていったときだ。
「石岡先生じゃねえですかい」
 店主らしき男が私の顔を見るなり、満面に笑みを浮かべて素っ頓狂な声をあげた。
「はい…?」
 思いもかけず自分の名前を呼ばれた私だが、相手の顔に見覚えはない。
「『リカーショップ オオトモ』のオヤジですよ。お忘れとは殺生ですなあ。以前、よく洋酒の名前をお教えしたのに、用が済んだらお見限りというわけですかい」
 ようやく合点がいった。私は自分が経験した事件を作品にまとめるとき、詳細に記録した当時のメモを基にしている。ところが年月を経ると、関係者の台詞や事件現場などの膨大なデータの中に私自身には正誤の判別がつかない固有名詞も出てくる。たとえば自分がそれほど嗜まないため、酒の銘柄などはその典型だ。そこで、近所にある酒屋に「私は作家をしている石岡というものですが…」とちょっとした取材をしたことがあった。ここはそのときの店だったのだろう。酒屋からコンビニに変わっていたので私にはわからなかった。
「あっ、あのときの…。どうも、その節はお世話になりました」
「いえいえお安い御用でさあ。近所でたまに先生の姿はお見かけしてたんですけどね。可愛い娘さんとご一緒だったので、声をかけるのは控えておりまして。いやあ、売れっ子の作家センセイはうらやましいですなあ」
「いえいえ、違うんです。彼女は…」
 私との関係を誤解されるのは、里美にとってはた迷惑だろう。
「おっとご安心ください。私も野暮は言いませんや」
「いや、そういうことではなくて…」
 私もどう説明すればいいのかわからず小さな声になる。近所に住んでいながら、すっかりご無沙汰していたことも何となく負い目に感じられる。できれば早々に立ち去りたいのだが、のほほん茶の会計に取りかかってくれないので、私はレジの前から離れられない。
「こちとら貧乏ヒマなしというヤツで。酒屋は食いっぱぐれはないんだが、大儲けもない。そこで一発コンビニに商売替えしてみたのですが、実入りは上がっても人件費だの、ロイヤリティだので大変ですわ。ハハハハ」
「そうですか。それはそれは…」
 私はこういういわゆる世間話というものにうまく対応できない。
「先生の作品にはコンビニは出てこんのですか?」
「いや、たまには…」
 私の答えを聞いた店主の口がにゅーっとサンショウウオのように広がった。
「それは都合がいい。アッハハハ」
 まるで私はチョウチンアンコウの触手の先の発光器に吸い寄せられた小魚になった気がした。
「実は明日、家内を歌舞伎座に連れて行ってやるんですがね。バイトのシフトがうまくいかず、息子を一人で切り盛りさせなきゃならなくて。どうしたものかと頭が痛かったんですわ。アハハ」
 私がハチだとしたら、すでにウツボカヅラの捕虫袋の中に落ちて消化液を浴びせられているのだろう。
「どうです石岡先生。ウチの店で一日だけコンビニ稼業をやってみませんかい? 小説を書くときにリアリチーが出ますぜ」
 あのときの私は店主の毒気に当てられたというか。ただうなずくことでその場を立ち去りたかったというか。少々弁解させてもらえば、店長などという大役だったら引き受けなかっただろうということだ。
 実際のコンビニ業務だが、勝一のサポートもあって、どうにかこうにか形にはなってきた…気がする。思ったほどの喧騒は起こらず、夕方前になると一旦客足が途絶える。落ち着いたところで私は勝一に謝ろうと思った。
「あの…勝一クン…」
「なんですか」
「いや、その…ごめんなさいね。いろいろ迷惑をかけてしまって…」
 私はペコリと頭を下げる。
「よしてくださいよ。迷惑だなんてことないですから」
「でも、レジで手間取ったり、卵を台無しにしたり…」
「それは一生懸命やった結果じゃないですか」
 勝一は私の言葉を遮って、強い調子で言った。
「石岡店長は本当にマジメに取り組んでくれてるし」
「でも、生卵を加熱すると爆発するなんて知らなかったなあ」
「電子レンジの中では、生卵の内部の水分が急速に蒸気になるんです。蒸気になった水分は、当然ながらどこか出口を求めます。でも、卵は殻に包まれているから水分は蒸発しません。そのため、卵の中の圧力が高くなって爆発してしまうんです」
「へぇ…」
「一応、僕は理工系なんです。それにしても石岡先生って不思議な人ですよね」
「えっ、どうして?」
「僕はそう思います。だって、コンビニのレジ作業って結構ピリピリした部分があるんですけど、石岡先生がやると、お客さんもみんな和むっていうか。幸せな感じがします」
「自分ではわからないなあ」
「もしかしたら、こういう仕事に向いているかもしれませんよ」
「そんなことはないよ。ぼくは接客は大の苦手なんだから。自分が客の立場でもうまくいかないくらいでさ」
優柔不断で、人見知りの激しい私は、デパートやブティック(考えてみたら元々そんなに行くことはないが…)のように入店と同時に「何をお探しですか」と店員が迫ってくる店では落ち着いて買い物ができない。早く何を買うかを決めないと、その店員に悪いのではと焦ってしまう。
 以前、白いハンケチを買おうと入った紳士洋品店で、店員が勧める話にうなずいていたら、採寸されて一着十五万円のスーツを生地から仕立てられそうになったことがある。どうしようかと青くなっていると 「携帯電話用の内ポケットを無料サービスでお付けしますよ」といわれたので、「携帯電話を持ってないからいいです」と逃げるように店を出たものだ。このときは購入未遂で済んだが、断りきれず無用の品に代金を支払った経験は数知れない。
お茶の葉が欲しくて入ったお店で五千円もする茶香炉を店員が勧めてきた。私が遠回しに茶香炉には興味がないと伝えたら、その女性店員は「何をおっしゃってるんですか。日展に出品される先生の作品ですよ」と血相を変えたので、慌てて買ってしまった。一度も使ったことがないその茶香炉は馬車道の部屋に飾ってあるが、以前原稿を取りに来た編集者の一人が「これは何時代の土器ですか?」と訊いてきた。他にもトイレを借りたくて釣り道具屋に入ったら店主から「人生を三倍楽しむためには釣り道楽が一番」という講釈を延々と聞かされ、挙句の果てには六万円の電動式リールセットを買わされてしまった。もちろん、それ以前もその後も私は釣りなどしない。
「何も買わずにトイレだけ借りるのは失礼だなあと思ったんだけど…。でもね、さすがにその店主が主宰している『親子キス釣り大会』への特別参加は必死で辞退したよ」
「アッハッハッハハ」
 私の話を聞いた勝一は海老のように腰を屈めるほど笑った。
「先生の話は面白すぎますよ。もうサイコー」
 そのとき、自動ドアが開いて何人かのお客が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 勝一と私はほぼ同時に挨拶する。こんな小さなことが私には新鮮で嬉しかった。しかし、すぐに勝一が声を潜める。
「先生、あれを見てください」
 彼は今入ってきた客をさりげなく目で示す。そこにはフルフェイスのヘルメットを被った女性がいた。雑誌コーナーで女性ファッション誌を読んでいる。
「やっぱり、注意したほうがいいですよね」
 勝一は私に確認するように訊いた。コンビニでは通常、防犯上の理由から「フルフェイスでの入店はお断りします」と張り紙がしてある。だとしたら、ここは一応「店長」である私が行くべきだろうか。
「いらっしゃいませ」
 勝一はレジ作業で忙しそうだ。お昼に私が最初に会計した女性がまたリンリンミント飴をまとめて買っていた。以前レオナから、アメリカのコンビニでは従業員が銃を常備している店が珍しくないと聞いたことがある。しかし、ここは日本だ。あのフルフェイスの女性が銃をぶっ放す危険はないだろう。”一日警察署長”が難事件の捜査指揮をとった話は聞かないが、コンビニの一日店長は立派に業務を成し遂げるぞ…たぶん。
「すみません。お客様…」
 私がなけなしの勇気を振り絞って声をかけることができたのは、相手が女性だという点も大きい。さすがにいきなり暴力に訴えることはないはずだ。彼女はこちらに身体の正面を向けた。
「申し訳ございませんが、店内ではヘルメットをお取りください」
 予想外の事態が起きた。彼女は私の言葉に素直に従ってヘルメットを脱いだのだ。
「どうも、すみませ…」
 頭を下げようとした私は相手の素顔を見て硬直する。
「ゴメンなさーい。先生がムズカシイ顔してるからおかしくて」
 なんとフルフェイスのヘルメットを被っていた女性は里美だったのだ。
「勘弁してねー、ネッ?」
「あきれた。もう本当にあきれたよ」
 昨夜、コンビニで働くことになったてん末を里美に電話で話していた。そういえば、彼女は「陣中見舞いに行くね」といってくれたのだ。
「怒らないで。ハイ、約束した陣中お見舞い」
 里美が差し出したのはシュークリームだった。
「ありがとう。それにしても、その格好は?」
 私は彼女がバイクのヘルメットを持ってる姿なんてはじめて見る。 「学校の友達から借りたのよ。ちょうどこの近所に住んでいたから。もちろん女性のね」
「別に訊いてないよ」
「それじゃー、頑張ってね、店長さん」
「えっ、もう帰るのかい」
 私は急激に寂しさを感じる。
「うん。司法試験の勉強があるから、ね」
「ああ、君も頑張って」
 手を振りながら里美が去っていくのを見送った私は、世界でただ一人このコンビニに取り残されたような気分になった。
「石岡先生」
 勝一が私の傍らに寄る。
「可愛い人ですね。どういうお知り合いなんですか?」
「いや、ただの近所づきあいだよ。さあさあ、仕事仕事」
 私は早く話題を切り替えようとする。
「あっ、誤魔化しましたね。じゃあ、カップ麺の棚出しをお願いします」
「ハイ」
 私が仕事に取り掛かろうとすると、勝一が呼び止めた。
「石岡先生と僕がやりとりするのに”ハイ”とお返事していただくのは、ちょっと心苦しいんですけど…」
「そうかなあ。自然だと思うけど…」
「こうしましょう先生。二人の間の合図みたいな感じで決めるんです。たとえば…、ハイのときは『OK』と…」
 勝一はまず頭上で両手を組んで丸を表すポーズをすると、左手と左足を斜め横に突き出した。つまり、最初の丸が『O』で、次が『K』を表すボディランゲージというわけらしい。
「ちょっ…ちょっと待ってよ」
「それで、いいえのときはこうです。ワンポーズで『NO』って」
 勝一は右手を肘から直角に上にあげ、逆に左手は肘から直角に下に向けた。これが『N』を表しているのだろう。まるで埴輪を思わせるポーズである。
「じゃあ、一緒にいきますよ。せーの、オッケー」
 勝一は再び大きく描いた両手の丸から、片足立ちのKをつくる。まるで保育園のお遊戯だ。とても私はつきあえない。
「お願いします先生。僕だって恥ずかしいんですから」
「じゃあよそうよ。なんか変だもの」
「ダメです。僕は先生に”ハイ・イイエ”と答えられるのはツラいですから。お願いします。仕事だと思って。ネッ? いきますよ。オッケー」
 まだ私は動けない。
「お願いします先生」
 勝一は深々と頭を下げた。私の心が揺れ動く。その一途なまでの姿勢に、真摯な気持ちを感じたのだ。実際、私がいろいろと足を引っ張ったせいで勝一の今日のコンビニ業務に負担をかけている。だが、彼は嫌な顔ひとつせずに年上の私が気を使わなくていいような心配りをしてくれているではないか。それなのに、私は何だろう。この提案を拒んでいるのは、ポーズが恥ずかしいという理由だけだ。仕事の一環だと考えれば、なにほどのことがあるだろうか。私の中で劇的に何かが弾けた。

つづく つづく
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