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頑張れ!石岡君
石岡君、早朝番組のコメンテーターに
なる 5 「石岡君、早朝番組のコメンテーターに なる」5 優木麥 石岡君、早朝番組のコメンテーターに
なる 5

   
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 あの男の力を借りるしかない。私はそう確信していた。もちろん不本意である。ラジオ番組出演で、自分の意志と反対に毒舌コメンテーターのレッテルを貼られたのは、あの男のせいでもあるからだ。しかし、もうそんなことは言っていられない。出演4日目の明日の朝は、与党の幹事長、雁沢誠二と対談なのだ。もはや、遅刻や失態、失言が許されるレベルではない。今度こそ心身ともにベストコンディションで臨む必要がある。私の場合、たとえ、そこまでの状態に整えても、まだ不安のほうが大きいのだ。
「私の力を信じてくださって光栄です石岡先生」
 スリープカウンセラーの横河は、白衣姿で大きなバッグを二つ持って現れた。私が力を借りようと決めた相手は、彼である。とにかく眠りたい。この3日間のラジオ出演が不調に終わった最大の理由は、私の不眠だ。キチンと眠れてさえいれば、あんな醜態をさらすことはなかったと断言できる。いや、まあ私のことだから、万全を期してもなお失態を見せる可能性は何割かは残るが、それでもあそこまでのひどさではなかっただろう。だから、今夜こそキッチリと熟睡する必要がある。とはいえ、ここまで狂ってしまった睡眠リズムを一晩で元に戻すことは不可能。わずかでも修正する力を持っている人間といえば、このスリープカウンセラーの横河しかいない。
「お任せください」
 横河は自分の胸を誇らしげに叩いた。
「現代に蘇った砂男が、石岡先生を快眠の園にお連れしましょう」
「砂男…?」
「ドイツの民話に出てくる、眠りの精です。子どもの目に砂をかけて眠らせてしまう能力を持っているんですね」
 そんな簡単に眠れるなら、私の目にも砂をかけてほしい。
「まずは前提から確認しましょう。この3日間、石岡先生は疲れを溜めすぎました」
「あ、はい……」
「通常の疲労度を1とすれば、その3倍は疲れているはずです」
 数字で表されると、どっと疲労度が増した気分だ。
「ですから、その疲労を取り去るために必要な睡眠時間は、9時間」
「はい……」
「ラジオ出演が、午前5時からと考えると、脳の活性度から言って、その3時間前には起床しておきたい。すると2時起きがベストです。起床の9時間前ですから、午後7時には眠っていたい。寝床に入って30分後に眠るとするなら、ベッドに入るのは今夜の6時30分にしましょう」
 胡散臭い部分もある横河だが、さすがに専門家らしく眠りに関するスケジュールを決めてもらえると私は安堵感を覚える。
「就寝の3時間前までに食事を済ませる必要があります。石岡先生、今夜の夕食は、3時30分までに終わらせてください」
「ゆ、夕食が3時半までに……ですか」
 人によっては遅い昼食と呼んでおかしくない時間だ。
「私を信じてください。今度こそベストスリープをプレゼントします。まるで生まれ変わったような気分になりますよ」
 もう私としては、彼を信じるしかない。電話が鳴った。里美だった。
「ねえ石岡先生、今夜空いてない? ちょっと聞いてもらいたい話があるの」
「こ、今夜かあ……もう少し早い時間なら……」
「いいわよ。夕方の時間帯でも。横浜駅の近くに小粋なフレンチのお店を見つけたの」
「いや、夕方っていうか……」
「私から誘ったから、ご馳走させてね。じゃあ6時に……」
「ゴメン、里美ちゃん。もう少し、早い時間にならないかな」
「えっ、5時とか?」
「もうちょっと早く……」
「忙しいならハッキリそう言えばいいじゃん。なんで、わけのわからない理由で断ろうとするの?」
 受話器の向こうの里美は明らかに怒っていた。だが、私は彼女の気分を害すつもりもないし、せっかく誘ってもらった以上、夕食を共にしたかった。単にその時間を私の予定に合わせてほしいだけである。
「そんなつもりはまったくないんだ。ただ2時半から食べたいんだけど……」
 3時半までに夕食を終えるとしたら、妥当な時間である。とはいえ、通常のサイクルで生活している人からすれば、非常識な時間に感じるのも事実だ。
「ありえないわ。2時半なんてランチタイムじゃないの。3時までがランチタイムなら、ラストオーダーギリギリよ」
「いや里美ちゃん、実はぼくは早く寝なくちゃならないから……」
「早いと言っても限度があるわ。わかりました。それでは、おやすみなさい」
 里美がガチャンと電話を切る。快眠のためには、かくも大きな犠牲を払わなければならないのだろうか。
「立派でしたよ石岡先生」
 横河が拍手していた。
「睡眠を取ることは、時間を確保することです。睡眠に合わせたリズムで生活をすることです。その覚悟がおありになる」
 私は明日にでも、里美に謝ろうと思っていた。
「眠りの妨げの原因の一つは、視覚刺激です」
 私はパソコンとテレビを禁じられてしまった。1日2日の話だから我慢できない話ではない。
「お風呂から出たら、これに着替えてください」
 彼が差し出したのは、袖口からゆるゆるのパジャマである。
「睡眠中は身体を拘束しないことが好ましい」
「はい……」
 今の私は患者のようなものだ。“主治医”である横河の指示には従わなければならない。
「就寝前に最適の温かいカモミールティーを用意しておきます」
「すみません」
「石岡先生、すべては、あなたのぐっすりのためですよ」
「はい。よろしくお願いします」
 今の私にとって最大の敵は不眠なのだ。


「どうしても眠れないんです」
 とうとう私はドアを開けて、リビングに出てきた。横河の指示はすべて守った。それなのに、布団に入って目を閉じても、眠れないのである。
「い、石岡先生……いま何時だと思ってるんですか」
 ソファでテレビを眺めていた横河は唖然とした顔で私を見る。置時計の針は、午前1時を指していた。午後7時から午前2時まで9時間たっぷり眠るはずが、すでに破綻してしまった。当初の予定では、あと1時間後には目を覚まさなければならない。ところが、私はまだ一睡もしていないのだ。自分でも恐ろしくなるが、ベッドに入ってから8時間余り、悶々と寝返りを打ちつづけていたことになる。
「もっと早くおっしゃっていただかないと……」
 横河が渋い顔である。出演すべきラジオ番組は、あと4時間ほどでスタートする。ここに至っては、眠れたとしても熟睡ではなく、仮眠に等しい。
「どうすればいいでしょうか」
 私は急激に不安に襲われた。あと数時間で、与党の大物と対談しなければならないのである。しかし、自分の身体だから確信できる。睡魔が襲うピークは、その辺りになるだろう。最悪の事態である。
「このまま起きていたらダメだよ」
 横河はミルクを火にかける。
「とにかく1時間でも2時間でも脳と身体を休めて、ね」
「しかし、もう気が高ぶって、高ぶって……」
「大丈夫。何も考えないで。ただ眠りましょう」
「無理です。ぼくはもう……」
 私は、ソファに腰かけて頭を抱えてしまった。


「石岡先生、朝ですよ」
 優しく肩を叩かれて、私は目を覚ました。まだソファに座っていた。いつのまにか抗い難い眠気に包まれ、眠ってしまったらしい。
「寝起きは新鮮な水が一番美味いですよ。身体が水分を欲していますからね」
「ありがとうござ……ちょっ、ちょっと待って。いま…何時?」
 私は早まる胸を押さえながら、置時計に目をやる。午前7時を回っていた。
「よ、横河さん……」
「何でしょうか?」
「なんで、起こしてくれなかったんですか…」
 私はめまいがしそうだった。与党の幹事長、雁沢との対談をすっぽかしてしまったのだ。しかも、寝過ごしたために。
「ご安心ください」
「これが落ち着いていられますか」
「幹事長の出演は延期になりました」
「えっ……」
「政務次官の汚職が発覚したそうで、その対処で急きょ、幹事長は出演を取り止めたんです」
「じゃあ……ぼくは…?」
「ラジオ局から電話がかかってきましたが、私が『幹事長が出演しないなら、ウチの石岡も出ません』と断っておきました。何よりも睡眠が大事ですからね」
 もはや何が最悪の事態なのか、その判断すらつかなくなった。いよいよ、明日が5日目。最後のコメンテーター出演である。
つづく つづく
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