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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡君、ミステリーシネマに出演」2 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

     
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 撮影現場の雰囲気は重くなる一方だった。ただでさえNGを量産している私が勘違いから引き起こした失態により、完全に緊張感が削がれてしまった。私は監督や主演のルウをはじめスタッフに平謝りに謝った。ただ一人大笑いしていたのは里見である。
「石岡先生、傑作だったわ。小鉢持って<`ャンジャ持ってきてだって。もうサイコー! 面白い!」
「何もおかしくないよ。君がヘンな智恵を吹き込んだんじゃないか」
 バツの悪くなっている私は、能天気な里美の態度が恨めしい。
「だって、先生は役者としてここにいるのよ。スタッフが片づけなんか頼んでくるわけないじゃない!」
 里美は笑いつづけていた。
「石岡先生、ちょっといいですか」
 なんと監督が私の側に立っていた。
「あ、監督。さきほどは本当にどうも…」
「ああいえいえ、もうその件については結構です」
 ベレー帽を被り、サングラスをかけ、肩にはセーターを羽織ったその姿は、まさに絵に描いたような監督の出で立ちだ。
「それで先生のご出演シーンについてご相談なんですが」
「ハイ、何でしょうか」
 私は背筋をピッと伸ばす。
「セリフに関してはお得意ではないようだから、カットさせていただいてよろしいでしょうか。今回は演技に集中していただきたいと思いまして」
「ええ、それはもう…」
 内心ではセリフだけでなく、出演自体をカットしてほしいと思っていた。
「焼肉屋に潜入しているジュリエットが、石岡先生のテーブルの脇を通る瞬間、事件の謎について閃く。そういう流れで行こう。先生はチャンジャを美味しそうに食べていただければそれでOKです」
 最初からそうしてくれればなんの問題もなかったのだ。
「はい。わかりました」
 ようやくこの地獄から脱出する光が見えた。もうセリフもない。ただチャンジャを食べればそれでよいのだ。英断を下してくれた監督に感謝したい。
「よかったわね、先生」
 里美も喜んでくれている。
「監督。百々先生がお見えになりました」
 助監督が監督を呼びに来た。監督は足早に私たちのテーブルから立ち去る。
「へえ、百々先生が来るんだあ」
 予想していなかった原作者の来訪に対して、どうやら里美は胸をときめかしているようだ。しかし、私にはミステリー作家の大先輩の目の前で、しかも彼女の原作の作品で演技をしなくてはならず、余計なプレッシャーのかかる要素が増えてしまう。
「お疲れ様です」
 沈うつなムードが漂っていた現場がにわかに活気づいた。スタッフが次々とセットの一角に集まっていく。
「私たちも行った方がいいんじゃない」
 里美に促されて、私も席を立ち、みんなの輪に加わった。
「みなさん、ご苦労様でございますね」
 名探偵ダイエット・ジュリエットの事件簿の原作者、百々さゆりは齢七十を越えているはずだが、表面的にはそう見えなかった。というより、私には幼児向け番組に出てくる動物を模した着ぐるみが歩いているのかと錯覚した。この年代の女性にしてはかなりの恰幅である。さらに彼女の全身を覆っている高価なアクセサリーの数々が、目に見える大物感を助長している。
「威厳あるわね」
 里美が感心したように言った。
「この第三巻目にあたる『失恋はコチジャンの味事件』には特別な思い入れがありますのよ。だから、クライマックスシーンの出来上がるところを是非とも拝見したいと、プロデューサーにおねだりしちゃいまして。本当はオジャマなんでしょうけど…」
「いいえ、滅相もございません。このようなむさくるしい現場に足をお運びいただきまして、スタッフ一同恐縮しております。何かお気づきの点がございましたら、どんどんご指摘ください」
 いつのまにかベレー帽とサングラスを外した監督が深深と頭を下げている。その心情は察するに余りある。百々さゆりはこのダイエット・ジュリエット物だけでなく、TVドラマや映画の原作となるドル箱作品の生みの親なのだ。機嫌を損ねないように恭しく迎えるのは必然といえた。
「主演のジュリエットをやらせていただいております。野々宮ルウです。よろしくお願いします」
 関係者に連れられてルウがさゆりに挨拶した。
「あらあ、あなたは私の若い頃にそっくりねえ」
 さゆりの言葉をジョークと勘違いしたルウのマネージャーが笑い声を出した瞬間、彼女に睨まれて沈黙する。
「ダイエット・ジュリエットは若いときの私がモデルなのよ。だから、あなたはハマリ役だわあ。サリーは感激よ」
 <Tリーとはさゆりの愛称か。握手した手を引いて、さゆりはルウに抱きついた。親愛の情を示すためか執拗なまでに頬擦りをくり返す。まるで生き別れになっていた祖母と孫が出会ったかのようなシーンだが、残念ながら私の見る限り、ルウとさゆりの外見で共通する部分はまったくないようだ。ルウはぎこちない笑顔を浮かべながら、失礼のないよう最小限の動きで大先生の体から離れる。口さがない噂に過ぎないが、なにしろこのさゆりは、愛くるしい生き物が生理的に嫌いらしい。とくに嫌いなのはハトだというほど徹底している。
「次はどこのシーンの撮影かしら」
「ハイ。終盤の焼肉屋でジュリエットが事件解決の鍵となるチャンジャの言葉を聞くシーンです」
 監督の説明にさゆりは鷹揚にうなずいた。
「それはいいところに来合わせたわ。隅っこからプロのお仕事を拝見させてちょうだい。楽しみだわね」
「お任せください。よし、百々先生もいらしてるんだ。巻きでいくぞ」
 監督の掛け声を合図に、スタッフたちは自分の持ち場に戻る。がぜん気合の入る空気の中で、私の胸には不安が大きく膨らんでいた。そんな私の心を里美は敏感に察してくれる。
「先生、また取り越し苦労してるでしょう」
「いやあ、だってもうNGは出せないから、胃が痛くなってきたよ」
「ダメ。もっとリラックスして。楽しもう」
「絶対ムリ。あんな大物の先生に見られてたら、生きた心地がしないし」
「何を言ってるの。作家石岡和己だって負けてないわ。作品に出演できる分、ビジュアルでは圧勝よ」
 そんな会話を交わしながら、私たちは元いた焼肉店内のセットのテーブルに戻る。まもなく助監督の声が響いた。
「もろもろよろしければ、行きまーす。シーン48 テイク8 用意スタート!」
私は必死でチャンジャを食べた。今回はそれだけに集中できるのだから、笑顔も忘れない。適度に間があいたことによって、私の舌とノドも多少回復していた。いいペースで箸が進む。店員姿のルウが私たちのテーブルの脇を通りかかる。
「チャンジャ…」
 ルウがつぶやくようにセリフを言った。もちろん、私はチャンジャを食べつづけていて、彼女の演技の邪魔はしない。
「そうか。わかったわ。事件の謎が解けた」
 エプロンを外したルウは、カメラに向かって見得をきる。
「犯人の悪行、私がリバウンドさせてあげる!」
 このポーズと決めのセリフが名探偵ダイエット・ジュリエットの毎回の見せ場になっているのだ。私はチャンジャを食べる。むせてないし、笑顔も絶やしてない。
「カーット! オッケー!」
 ついに待ちわびた監督の声が聞こえた。今日は、この言葉をどれほど聞きたかったことだろう。やはり慣れないことに手を出すものではない。ミステリーシネマに出演したなどと御手洗が聞いたら何を言われるか恐ろしい。
「先生、お疲れさま」
 里美の満面の笑みが見られて、私の喜びも倍加する。
「石岡先生、大活躍でしたね」
 近くに立っていたルウが少女の顔で私を労ってくれた。
「ちょっとよろしいかしら」
 不吉な声だった。言うまでもなくさゆりだ。隅の椅子から立ち上がった原作者が険しい顔でまっすぐこちらに向かってくる。ざわめいていた現場が急速に静まっていく。
「百々先生、どうかされましたか?」
 監督も専用チェアから腰を上げるが、さゆりは構わず私のテーブルにやってきた。何かまた私が失態をしでかしたのだろうか。
「先生、私が至らなかったでしょうか?」
 心配そうなルウに目もくれず、さゆりは私に視線を据えたまま立ち止まる。私の膝はいまにも震え出しそうだ。解放感が一気に抜けている。サンタクロースが来たと思ってドアを開けたら秘密警察が立っていたような気分だ。
「あなた、お名前は?」
 さゆりが詰問調に問いかけてきた。私はバネ仕掛けのように立ち上がる。
「石岡です。石岡和己と申します」
「では、石岡さん。あなた、さきほどの演技についてご自分ではどう思ってらっしゃるの?」
 色眼鏡の奥からギョロッとした目が私を睨んでいる。
「は、はい。そうですね。その…」
 私の演技の何がさゆりの機嫌を損ねたのだろうか。いい演技とはどういうものかもわからない私に判断できるわけもない。
「百々先生、石岡先生が何か?」
 異常事態を感じた監督も側に駆けてきた。他のスタッフは成り行きを息を潜めて見つめている。
「私は石岡さんに聞いているの。さあ、お答えなさい。今のあなたの演技はご自分でどう評価しているのかしら」
 ああ、私が何をしたというのか。だから、あんなに出演は嫌だと断ったではないか。いずれにせよ、なんだかわからないが、私がさっきの自分の演技について何か言わなければこの場が収まらないようだ。
「未熟だったと思います。お恥ずかしい限りです」
 さゆりは私の言葉を聞くと、額に皺を寄せた。
「さきほどの演技は、ご自分では未熟だとおっしゃるのね」
「ハイ。すみません」
 私は頭を下げた。役者として使いものならないと激怒したさゆりから降板を言い渡されるなら、それも仕方がない。
「石岡さん、あなたって人は…」
 さおりの唇がわなわなと震えだした。

つづく つづく
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