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頑張れ!石岡君
石岡くん披露宴騒動記 1 「石岡君、ミステリーシネマに出演」1 優木麥 石岡くん披露宴騒動記 1

   
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「先生、泣いているの? それとも笑ってる?」
 対面に座る里美が心配そうに私の顔を覗き込んだ。今の自分がどんな表情をしているのか、私自身にもわからない。頭の中が真っ白になりそうな状態で、ただひたすら目の前に突きつけられた命題を果たそうとしている。すなわち、小鉢に山盛りになったチャンジャを食べきることだ。ご存知ない方のために説明しておけば、チャンジャとは韓国の料理で、鱈の腸と胃袋のキムチ漬けである。味に関しては、とにかく辛い。いわゆる激辛の部類に入れて間違いない。その激辛料理を何の因果か私は三十秒ほどの時間内にすべて平らげなければならないのだ。それも、笑顔でという条件付きである。自分でも泣いてるのか、笑っているのか判別不能になるのは大目に見てもらいたい。
「頑張れ、頑張れ、もうちょっと」
 里美が小声で応援してくれた。カメラに背を向けている彼女の顔は撮られていないので、口を動かしても問題ないのだ。しかし、私には笑顔でチャンジャを休まず口に放り込むことしか許されない。里美の肩越しに目線を移せば、カメラマンや監督、照明スタッフやストップウォッチを片手にした女性、さっき私もお世話になったメイクなど十数人の人間が息を殺してこちらを見つめている姿が確認できる。
 もうおわかりだろう。私は不本意ながら役者デビューをすることになった。それもVシネマにだ。事の発端は、前回の越前武彦との対談にある。雑誌の企画のはずだったのに、何がなにやらわからぬうちに対談自体がなかったことにされたのだが、どういうわけか私が「大食い」である噂だけが流布されてしまったのだ。確かにあの対談の席では、通常よりもボリュームのあるフランス料理のフルコースを食べきったが、多分に特殊事情による産物である。たとえるなら、後ろから人食い鮫が迫ってきたので、無我夢中で何キロも泳げたことに似ている。普通の状態で「さあ、泳いでください」と促されても、五十メートルも泳ぐ自信はない。
 そんな次第だから、最初から「大食いの役」として依頼が来ていたら、一秒も考えずに辞退していただろう。だが、依頼時には「画面の隅で女性と談笑しているだけのエキストラみたいな役です」という話だったのだ。本来、華やかな場所への露出を好まない私だが、里美の方が乗り気になってしまった。
「先生、出ようよ。『名探偵ダイエット・ジュリエットの事件簿シリーズ』ていまスゴイ人気があるのよ。きっといい記念になるわよー」
 知り合いの女性を同伴してほしいという依頼に敏感に反応した里美の熱意と、ミステリー業界の大先輩である百々さゆりの作品という面も考慮して、渋々ながら私は出演を了承した。
 ところが、いざ撮影現場に来てみると、当初私が描いていたイメージとだいぶ違っていたのである。まず私の役どころだが、焼肉屋の隅の席で女性と座っていることまでは最初の依頼通りだ。しかし、そこでひたすらチャンジャを食べつづけなければならないなんてことは、全然聞いていなかった。
「このダイエット・ジュリエットの事件簿シリーズは、容疑者がみんな大食いというお約束があるんですよ」
 助監督が、控え室で私に説明してくれた。
「えっ、あの…私は容疑者の役なんですか?」
 それも知らなかった。ワンシーンしか出演しないのだし、単なるエキストラだと思っていた。
「容疑者です。でもご安心ください。もちろん真犯人ではありませんから。何人かいる容疑者の一人というだけです」
「そうですか……。でも……容疑者なのに出番がワンシーンで、セリフもなくていいんですか?」
 はばかりながら私もミステリーを書くものとして、つい気になる点を口にしてしまった。決して深い考えがあったわけではなく、思わず口に出たという類の条件反射だったのだが、助監督は要求と勘違いしてしまったらしい。
「あ、そうですね。これは気がつきませんでした。すぐに監督と相談しますから。そして、セリフをご用意して、ご出演のシーンも増やしますので…。本当に申し訳ありません」
 恐縮して頭を下げる助監督を見て、私は大いに慌てる。
「いえいえ、そういうつもりでは…」
 その後いかに私がエキストラ的扱いを好んでいるかをとうとうと説明しても、助監督の誤解は解けず、当初予定になかったセリフを足されるはめになったのだ。
 私は最後のチャンジャの塊を噛まずに飲み込む。やっと食べきることができたと安堵感さえ覚える。なにしろ、このシーンの撮影はもう六回目なのだ。
 最初はあまりの辛さに顔をしかめてNG。次は、笑顔だったが、食べるのが遅くてNG。三回目、四回目、五回目は食べるスピードを上げたらむせてしまってNG。そして今、ようやく小鉢に盛られたチャンジャをすっかり食べきったのである。笑顔の里美が小さくガッツポーズをしてくれた。さあ、セリフを言って終わりにするぞ。
「ジュリちゃーん、チャンジャン、ジャンジャを持ってきて」
「カーット!」
 監督の鋭い声が飛んだ。
「センセイ、反対だ!」
 緊張していた空気がいくらか弛緩した。助監督が必死の形相で私のところに駆け寄ってくる。
「石岡先生すみません。いまお噛みになってましたね」
 私はその指摘を否定する。
「え? 噛んでません」
 そのためにろくに噛まずに呑み込んだのである。
「いえあの、お噛みになったと思うんですけど…」
「噛んでないですよ」
 私は公衆に対するエチケットは守ることにしている。
「先生、違うのよ。セリフをトチッたという意味なの」
 里美が助け舟を出してくれた。
「あ、そうなんですか」
「そうです。すみません。私の言い方がマズくて」
「あ、いえ、私の方こそ」
 私は自分の失敗に赤面した。
「先生。正確なセリフは『ジュリちゃーん、ジャンジャン、チャンジャを持ってきて』です。よろしくお願いします」
 そうだった。何とも滑舌の悪くなりそうなセリフである。
「ハイ、準備OKなら行こうか!」
 監督の声が響き渡る。次の撮影は七回目。チクチクと心臓が痛くなってきた。いくら素人出演とはいえ、これだけNGを連発しては居心地が悪い。
「石岡先生、頑張ってクダサーイ。ナイススマイルでしたヨ」
 アメリカ人のADポールが、新たなチャンジャの小鉢を私の前に置きながらウインクしてきた。私は強張った笑みしか返せない。またゼロからこの辛さの塊を食べるのかと思うとさすがにげんなりである。
「先生、あともう一歩だから頑張って!」
 里美が励ましてくれるのは嬉しいが、ヒリヒリした私の舌はギブアップ寸前だ。
「お水を飲んだら、辛さが和らぐんじゃない」
「そうしよう」
 まさに私が水の入ったコップを口元に運んだ瞬間。
「飲むな!」
 投げつけられた怒声に、私はピクッとして動作が止まる。怒声の主は監督だった。サングラスの奥からピリピリした感情が私に浴びせられている。助監督が走ってきた。
「すみません石岡先生。水分を摂られますと、汗をかきやすくなります。そうしますと絵的にお見苦しくなるため、撮影が終わるまでお控えいただけますか」
 専門家からそう言われては、私は「ハイ」とうなずくしかない。水が飲めないとわかると、急に舌とノドの焼ける感覚が強くなった。あわれに思ったのか、それとも監視せねばと感じたのか、助監督はそのままカメラに見えない位置から私を見守っている。
「シーン48 テイク7 用意スタート!」
 カチンコの鳴る音とともに、私はまたもや猛然とチャンジャを食べはじめた。こうなったら一刻も早くこのシーンを撮り終えるしかない。ワンシーンのみの出演だから、ここさえうまく進行すれば、私はもうお役御免なのだ。辛さなど感じるな。呑み込みつづければ、道は開かれる。
「先生、わらって。わらって」
 ささやくような助監督の声が聞こえた。極端に思考能力が弱まっている私の頭脳が、微力ながら反応する。
「わらって、わらって…」
 その時私は、撮影前に控え室でした里美との雑談を思い出した。
「映画の人たちには業界用語というのがあるんだって」
「へえー、どんな使い方をするの?」
「言葉の前後をひっくり返して話すの。たとえば六本木なら<Mロッポンだし、ご飯を食べることを<Vーメ、飲みに行くのは<~ーノ。あとはお金の単位をドイツ語で数えるのも特殊よね。一万円なら<cェーマン、二万円は<fーマンって言うみたい」
「なぜ?」
「他の人が聴いても意味がわからない言葉を使っていると、自分たちが特別な業界にいるっていう優越感に浸れるんじゃない」
「そういうもんかなあ。僕には理解できないよ。でも、撮影のときにそんな言葉をみんなに使われたら混乱するなあ」
「私がついているから大丈夫よ。でも、これだけは覚えておいて。≠らってと言われたら、それは笑顔になってという意味ではなくて、そこを片づけてという意味なの」
「≠らってが片づけてなのかい?」
「そう。そこをわらっといて、みたいに使うらしいわ」
 辛さと緊張で朦朧としている私にしては、よくぞ思い出したと誉めてやりたい。里美にも感謝する必要があるだろう。まさにここぞという場面で役に立ったといえる。私は≠らわなければならないのだ。もちろん、撮影現場であるここで指す≠らうという行為は、片づけるということだ。片づける対象は、言わずと知れたチャンジャの小鉢だろう。ここを勘違いしないようにやらなくてはならない。客が自分で空いた皿を片づけるなんて、まるで学生寮の食堂か、社員食堂である。たしかここは高級焼肉店という設定だったはずだが構わないのだろう。いずれにせよ今度こそ、NGにならずに撮影を終えたい。
「先生わらって。わらってください」
 助監督の声をしっかりと聞きながら、私は必死の思いで椅子から立ちあがった。頭はもう何も考えていない
「ジュリちゃーん!」
 叫びながら私は、食べ終わった小鉢を持って雄雄しく前進する。すると里美までが驚いた表情で私を見つめた。
「ジャンジャン、チャンジャを持ってきて!」
 言えた! ついに言えたぞ! 内心で快哉を叫びながら、右手に箸、左手に小鉢を持った私が主演女優野々宮ルウ扮するジュリのそばまで行くと、火がついたような喧騒が巻き起こった。
「カァーットカット、おいおい、どうしたんだい先生!」
つづく つづく
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