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頑張れ!石岡君
石岡君、喫茶店マスターになる 3 「石岡君、喫茶店マスターになる」3 優木麥 石岡君、喫茶店マスターになる 3

   
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「世界の四大文明にシブヤ文明も加えられるべきなんです」
 講義までは望んでいなかった恵司は閉口していた。だが、彼が篠山の演説に捕まっていれば、洋子との離婚協議も棚上げになる。私はすばやく店を出ると、二階へと上がっていく。個室の客、宮古の注文はアメリカンコーヒーではなかったのだ。心臓発作で倒れている沢井を煩わせるわけにはいかないので、私はチャイムを鳴らすことなくマンションに入る。リビングのドアの前に立つと、中からTVのバラエティ番組の音声と、沢井の笑い声が聞こえてきた。私はドアをノックする。ややあって、沢井の声が返ってくる。
「は…い」
「あの、臨時でマスターをやってる石岡ですけど」
 TVが消されてから「どうぞ」の返事があった。私がリビングに入ると、ソファに沢井が胸を押さえて苦しそうな表情で寝ていた。
「だいぶ元気になられたようですね」
 私は皮肉を言う。
「いえ、まだ少し、胸に違和感が……」
「今、TVを見てませんでしたか?」
 私の詰問に、沢井は激しく反応した。
「うっぐわー、苦しい。ニトロを…医者からは服用に気をつけるように言われているけど、疑われるぐらいなら……」
「わかりました。ぼくの勘違いです」
 暴れる沢井を私は必死で止める。それに二階に上がったのは、彼の様子を確かめにきたわけではない。
「実は、宮古さんが見えたんですけど、アメリカンを持っていったら違うと言われまして…」
 彼女とのやり取りの一部始終を説明した。
「なるほど。持っていったアメリカンを一目見て違うといったんですね。それなら、カプチーノです」
「難しそうですね」
「大丈夫ですよ。まずエスプレッソコーヒーを煎れて、泡立てた牛乳を盛り付け、シナモンパウダーで仕上げればいいだけです」
「そのカプチーノをいつも飲んでいたんですか?」
「ウーン。曜日によってカプチーノの日もあったので、今日がそうなんでしょう」
 私はさらに詳しくカプチーノの作り方を沢井から教えてもらった。

                                 ●

「それは事実と違いますよ」  私が店内に戻ったとき、カウンターでは恵司と篠山の激しい"古代シブヤ文明"論争が火花を散らしていた。一方的な講義のはずが、恵司が反撃に出たのだ。
「違わんよ。それなら、君には高さ2.5メートル、重さ3トンの石像が存在することを解明できるというのかね」
 上機嫌だった篠山が口角泡を飛ばす勢いでつっかかる。だが、恵司はいたって冷静だった。
「JR渋谷駅の南口にある"モヤイ像"はイースター島の謎とは関係ありません。1970年に東京都の新島が観光のPRにと設置したんです。それもモヤイというのは、助け合いを意味しているわけで……」
「君は政府の発表を鵜呑みにするのか。それは真実を覆い隠したい陰謀に決まっとる」
「そんな陰謀だなんて大げさな…。実際、竹芝ターミナル入り口にも、蒲田駅東口前にも"モヤイ像"はありますし…」
「えーい、小癪な。それなら、とっておきの新事実を披露しよう。学会に発表する前だが、仕方あるまい」
 篠山は居住まいを正した。
「私の古代シブヤ文明論を証明するのは、銀座線のシブヤ駅にある」 「あの地下鉄の…?」
「無論。第二次世界大戦前、日本にある地下鉄は、浅草駅とシブヤ駅を結ぶ銀座線しかなかった。しかも、そのシブヤ駅は、山手線よりも上に作られている」
「それが何か…?」
「不思議に思わんかね。なぜ、国内初の地下鉄の駅を、シブヤだけ地上三階につくるのかね。答えはひとつ。シブヤのあの地域には聖なる古代遺跡が数多く眠っている。だから、地下を掘り、遺跡を破壊するわけにはいかなかったのだ」
「違います」
「何だと」
「銀座線の渋谷駅は、地下鉄の路線を敷くときから山手線や、地下鉄以外の私鉄と連携を考えて、最初から三階建ての駅ビルを建てたからです」
 やりとりを聞いていた私は、恵司の博学ぶりに感心した。
「えーいマスター。飲み物を早くほしい。喉が渇いた」
 劣勢の篠山だったが、顔は楽しそうである。自説に真面目に反論してくれる恵司が好ましいのだろう。
「あ、僕たちのアイスコーヒーはまだでしょうか?」
 控えめに恵司が催促してきた。当然である。彼ら夫婦が店に入って、もうかれこれ三十分以上が経過している。だが、ここは心を鬼にして粘りつづけるしかない。できるだけ離婚協議を長引かせなければならないのだ。
「すみません。あの…ちょっと…切らしてまして……」
 私は恵司たちに頭を下げた。
「えっ、アイスコーヒーですよ。何がないんですか? 作り置きの分?」
「いえ、あの…」
 恵司に突っ込まれて、私は返答に窮する。コーヒーはあるし、氷がないというわけにもいかない。私は苦し紛れに口を開いた。
「恥ずかしい話なんですが、ストローを切らしてるんです」
「ええー!」
 予想外の答えだったのだろう。恵司は目を白黒させている。
「じゃあ、他の飲み物に替え……」
「いいじゃないの。私はアイスコーヒーが飲みたいわ」
 妻の洋子が恵司をなだめる。以心伝心で、私の時間引き延ばしの意思を読んでくれているのだ。
「そうだとも。まだ古代シブヤ論争に終止符は打たれていないぞ」
 篠山の発言も援護射撃になってくれた。
「わかりました。とにかく、なるべく早くお願いします」
 恵司は渋々うなずく。すまなさそうに一礼した私は、まず宮古のためのカプチーノ作りに取り掛かった。

                                 ●

「えっ、カプチーノでもなかった?」
 私の報告に、沢井は驚いていた。実際、四苦八苦してようやく出来上がったカプチーノを宮古に差し出すと、またもや悲しそうな顔で「いつものをお忘れになったんでしょうね」と言われてしまったのだ。慌てて二階に駆け上がってきたのだが、沢井は難しい顔で考え込んでいる。
「あのう、沢井さんはシャワーを浴びてらしたんですか?」
 さすがの私も非難めいた口調にならざるを得ない。私がリビングに入ったとき、ちょうど沢井はバスタオルを巻いた姿でバスルームから出てきたのだ。
「今はそんな瑣末な問題にとらわれている場合じゃないでしょう」
 強気に言いながらも沢井は私から目をそらす。本当にリラックスした急病人だ。
「もしかしたら……」
「何ですか?」
「でもまさか…。いや、それしかないな」
 一人で納得している沢井が恨めしく思えてくる。
「教えてください」
「たぶん、鍋焼きうどん…ですよ」
「えっ!」
 夏真っ盛りで、半袖で街を歩いていても汗が流れてくる時期に、よりによって鍋焼きうどん…。
「いや、去年の今ごろ、常連さんを集めて"ガマン大会"を開催したんです。店内に暖房を利かせて、厚着をした参加者が鍋焼きうどんを食べるというイベントだったんですけど…。当然、その日も宮古さんは個室にいらして。確か『楽しそうね。次は私も参加させてくださいな』とおっしゃったんですよ」
「それにしても、この猛暑の最中に鍋焼きうどんを食べたいなんて。じゃあ、材料から全部買ってこなければ……」
「いやいや、それだけではありません。去年と同じようにガマン大会も開催しなければならないと思います。参加したいとおっしゃったんだから」
 私は絶句する。
「そうなると、渋茶の用意も必要です。去年は、渋茶と鍋焼きうどんで……」
「もう勘弁してください」
 たまらずに私は叫んでいた。
「一杯のコーヒーを出すだけというお話が、いつのまにか膨らみすぎです。とてもぼくのキャパシティを越えていますから…」
「もちろん、私がやりますよ」
 そう言いつつも沢井は急によろめいてテーブルの縁につかまる。
「本当にありがとうございました。人生の最後にあなたのような優しい方に出会えて嬉しかったです」
 しんみりとそう言って手を握る沢井に私は戸惑う。
「そんな…人生の最後なんて…」
「外より高い温度の室内に入るんですよ。今日ガマン大会をやれば、確実に私の心臓は…」
「わかりました。やります。ガマン大会をぼくがやりますから」
 私は沢井を元通りソファに寝かせる。高温の室内で渋茶を啜り、鍋焼きうどんを食べるガマン大会。ようやく私は店名の「眩暈(めまい)」の意味がわかった気がした。

つづく つづく
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