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頑張れ!石岡君
石岡君、ビジネススクールで学ぶ 2 「石岡君、ビジネススクールで学ぶ」2 優木麥 石岡君、ビジネススクールで学ぶ 2

   
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「ビジネススクールって…何ですか?」
 私は、まずそう尋ねた。美香の意図や私に対する過剰な期待への疑問は多々ある。しかし、とりあえずひとつひとつ片付けていくしかない。
「ひとことで言うと、ビジネスマンに必要なマネジメントの知識、方法論を身につけさせてくれる社会人向けの学校ですね」
 話が自分の望む流れになっているからか、美香は笑顔を絶やさない。しかし、私にとってビジネスだとか、マネジメントなどいう言葉は、宇宙に行くための航空技術ぐらい縁遠いものだ。第一、会社組織を立ち上げるなんて、大それたことは私の人生にありえないはずである。
「MBAという言葉は聞いたことあるんじゃないかしら」
 美香の期待を度々、裏切ることは恐縮なので私は必死に考えた。
「たしか、マイケル・ジョーダンが活躍しているとこですよね」
「それはNBAです。National Basketball Associationで、全米バスケットボール協会のことを指しますね。私が言っているのはMBA。日本語に直せば〃経営学修士〃ですね。日本のビジネスマンの憧れの一つです」
「は、はい…」
「平均して2年間、実践的な経営教育をしてきた者に与えられる称号がMBAです。ビジネススクールに通うというと、大体このMBAを目指す人が多いですね」
「そうですか」
 生返事にならないように気をつけながらも、私としては、美香の説明は、茶道や華道の流派の違いを聞いているのに等しい。いずれにせよエムビーエーでも、エヌビーエーでも自分にとって遠い世界であることに変わりはない。しかし、美香は私が美香の提案を受け入れることを前提として、話を進めている。何とか突破口を見出さなければならない。そのためには、彼女にある程度の失望をしてもらおう。私という人間が、スクールと名のつく場所にいかにミスマッチなのかを教えるのだ。
「すみません。美香さん」
 私はできるだけ相手を刺激しない口調で言った。
「ぼくは、子供の頃から学校の勉強がからっきしダメでして……」
「はい」
 美香の笑顔はまだ消えていない。
「たぶん、そのような高度な勉強が要求される学校では、とてもついていけないと思うんですが……」
「社長いずくんぞ種あらんや!」
 美香は高らかに宣言した。私は首をすくめる。
「もちろん、これは中国の戦国時代に兵を挙げた陳勝の『王侯いずくんぞ種あらんや』をもじらせていただいたんですけどね。陳勝は王や貴族といっても、自分達とどこが違うんだと主張したわけです。生まれたときから種が違うわけじゃないと。それは、現代における社長に関しても同様でしょう。生まれたときから社長の人なんていません。人は社長になるんです」
「まあ、その主張はわかりますけども……」
 話の方向が、再び私にとって危うい場所を指している。
「わかりますよね。石岡先生はわかってくださると信じていました」
 美香はハンカチを取り出すと、メガネを取って自分の目頭に当てる。
「いえ、私がわかったと申し上げたのは……」
「ボス猿だったんです!」
「えっ?」
「従来の企業のトップに座る人物の話です。高度経済成長の時代は、組織の中で政治的に腕力の強い〃ボス猿〃タイプの人物が、社長に押し上げられてきました。あるいは、派閥間の調整力にもっとも長けた人物ですね。でも、いまや21世紀ですよ。そんな旧態依然とした組織でいいんですか? 親分子分を引きずったリーダーで日本がよくなると思いますか?」
 口角泡を飛ばさんばかりに発言する美香に対して、私は反射的に身を引いていく。彼女の主張はよく理解できる。その内容にも共感できる部分はある。だが、問題の解決法として、私がビジネススクールで学んで社長をめざす事が必要だということは理解も共感もまったく不能だ。そんな処方箋を書いたら、調合の結果として出来あがるのは劇薬に違いない。
「だからこそ、今の日本経済に石岡和己が必要なんです」
 美香はドンと机を叩いた。
「根回し上手や、独善的なワンマンではない、新しい日本の企業のリーダー。それは誠実と清廉、謙虚で勤勉という日本人の美徳を兼ね備えた、石岡先生以外にありえるはずないじゃないですか」
 間違いなく美香は私のことを誰かと間違えている気がする。確かに私は日本人だが、それ以外に彼女が口にした部分はまるで当てはまらない。
「人格高潔な石岡先生が社長にならずに、誰が日本を引っ張るんです。さあ、行きましょう、新たなステージへ!」
 美香は立ち上がって右斜め上空を指差している。私はかける言葉がない。
「そのために、石岡先生にはビジネススクールに通って、経営に必要な知識と方法論をみにつけてもらいたいんです。素材は完璧なんですから、あとは学ぶだけですよ、200万円で」
「えっ…?」
 美香は今まで吼えるように叫んでいた口調と違い、なぜか最後の金額を口にするときはささやくような言葉になっている。
「とにかく、生命維持装置をつけているような現在の日本経済を……」
「ちょっ、ちょっとすみません」
「道なき道を切り開くのは、賄賂と談合ではなく、誠実と情熱と……」
「すみません、美香さん。確認させてください」
 私は美香の演説を強引に遮った。
「さっき口にされた200万円て何ですか?」
「ビジネススクールの年間の授業料ですが、何か」
 何事もなく言う美香に対して私は驚愕する。
「授業料って? そのビジネススクールに入ると200万円もかかるんですか? しかも1年間で」
「そうなんですよ。格安でしょう」
「どういう計算でですか?」
「石岡先生、MBAを取得するビジネススクールというのは、年間300万円の授業料が平均なんですよ。その3分の2なんですから、格安ですよ」
「お断りします」
 私は即答した。200万円の支出など、これ以上の議論は無用である。
「200万円支払うなど考えられません。例え、大統領になれる学校でも行くなんて無理です」
 優柔不断な私にしては、ずいぶん毅然とした態度だが、200万円なのだから仕方がない。しかし、慌てるかに見えた美香は、予想に反して静かだった。
「わかりました。では、無料であれば問題ないわけですね」
「えっ、まあ……」
 私はついに落とし穴に落ちてしまうのだろうか。
「一週間のお試し期間は無料です。まずはそれに参加してみてください」
 美香の誘いを断ることは、またしてもできなかった。
       
                               ●

 殻柄大学のビジネススクールに通う第一日目。神奈川県の藤沢市にある建物は、大学の校舎と同じ敷地に立っていた。朝の九時からが始業のため、私は本当に久しぶりに通勤通学ラッシュの電車に乗った。ただ、実際にビジネススクールに来てみて、早くもひとつ私の勘違いが露になる。社会人のための学校だというから、当然、服装はみんなスーツなのだと思っていた。そのため、わざわざあまり着ないスーツを引っ張り出してきて着てきたのだが、教室に入ってみると、スーツ姿の生徒などいない。私一人である。後から知ったのだが、ビジネススクールは平日の夜に開講しているところは別として、通常、生徒はみな私服で来るらしい。ビジネスマンでもない私が唯一、スーツとは皮肉だなと考えてしまう。室内には、三十人ほどの生徒がいた。男性が八割、女性はチラホラだ。ただし、全体の六割ほどは外国人なので、私は早くも怯んでしまう。九時になろうという時刻に、先生が室内に入ってきた。しかし、私は思わず声をあげそうになる。なぜなら、間違いなく、入室者は、菅野美香だったからだ。ただし、頭には金髪のカツラをつけている。
「美香さん、じゃないですか」
 私の呼びかけに、美香は人差し指を立てて横に振った。
「ノンノン、私は殻柄大学ビジネススクール経営大学院の教授で……」
 美香は左手を腰に当てて、右手の指揮棒で自分を指差した。
「トレーシーです」
 彼女は私に向かってウインクする。この教室で、本当にビジネスに必要な経営教育など受けられるのだろうか。非常に不安である。
つづく つづく
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