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頑張れ!石岡君
石岡君、夏休みにアルバイトをする 4 「石岡君、夏休みにアルバイトをする」4 優木麥 石岡君、夏休みにアルバイトをする 4

   
…
「まさか、蛇身の……こごめ…」
 私は卒倒しそうだった。蛇恋坊に続いて、こごめまでこの世に姿を現したのか。庭に立つ女性が口を開くのが、あと二秒遅かったら、本当に倒れていたかもしれない。
「こんばんは、石岡先生」
「は、はっ……えっ?」
 女性は私にニコッと微笑んでいる。
「驚かせちゃってゴメンなさい。私は、暗公ツバキ(あんこう・つばき)というペンネームで少女雑誌にホラー漫画を描いてる者です」
「漫画…家さん?」
「そうです。雰囲気が大事なんで、こんな格好をしてますけど…。石岡先生と同じく、『月刊ブレット&テラー』の漫画大賞の審査員でここに泊まっているんです」
 私はようやく安堵のため息を漏らした。
「窓から訪問してすみません。でも、ここの編集さんが他の審査員とは接触するなってうるさいでしょう。監視の目をくぐって石岡先生とお会いするにはこんな形しかなくて…」
「いや、構いませんよ。女性の審査員がいらっしゃるとは知らなかったので、ビックリしただけです」
「それで、できれば一緒にコーヒーブレイクでもどうかと思いまして…?」
 ツバキが右手で掲げる紙袋の中には、缶コーヒーやスナック菓子などが入っていた。
「いいですね。どうぞお入りください」
 私はツバキを自分の和室に上げた。畳に散乱している作品を私は片付けていく。
「うわー、結構みんないい絵を描いてますね。お眼鏡に適う作品はありましたか?」
「ええ、選ばれたのはき…」
 私は口をつぐむ。危うく気に入っている作品名を出してしまうところだった。順番に読んでいる以上、まだツバキが目を通していない作品の話をするのはアンフェアだ。
「ぼくはどれもこれもいい作品に見えちゃって、五本に絞るのに苦労しそうですよ」
 ツバキはテーブルの上に缶コーヒーやスナック菓子を並べる。
「そうだ。どうせ審査員の親睦会をやるなら、柳原さんも呼んできたいですね」
 私はせっかくの集まりなら、彼とも話したかった。
「どなたですか? 柳原さんって?」
「ゴーストライターの柳原眞一さんです。今日、停留所の待合室で一緒になって、編集者の砂男さんの車には乗っていたんですけど、例によって入り口でバラバラに分けられちゃったみたいで……」
 私の話を聞いていたツバキは急に難しそうな顔をした。
「おかしいなあ。たしか、審査員は石岡先生と私だけで、男女一人ずつだけだと聞いたんですけどね」
「えっ…?」
「その柳原さんは、自分が審査員だと言ったんですか?」
 私は昼間の彼との会話を思い出してみる。そう言えば、私が「審査員の方ですか?」と声をかけられた後、柳原は特に自分も審査員だとは口にしなかった。では、彼は一体、何者なのだろうか。
「柳原眞一……どこかで聞いたことがあるなあ」
「へえ、ゴーストライターと言っても、自分の名前も有名なんですね」
「いいえ、……というかですね」
 ツバキは携帯電話を取り出すと、どこかに連絡を取る。
「あっ、ヨウちゃん。お疲れ様。ちょっとネットで検索して欲しいんだけど、柳原眞一ってさ、そうそう。私もその事件のアレだと思って……ああ、やっぱりそうか。ありがと」
 やりとりしているツバキを見ている私の胸の中に強烈に不安感が湧いてきた。
「石岡先生、柳原眞一と名乗る人と出会ったんですね」
 ツバキの質問に答えるのが怖い。
「ええ、まあ…」
「彼は今年の冬に死亡しています」

                                  ●

 ツバキの説明はこうだった。ホラー漫画家志望の柳原眞一は、今年の2月に交通事故で命を落とした。そのとき、彼が身を挺すようにして漫画原稿を守ったので、一時期話題になったらしい。プロデビューを目指してあちこちの漫画賞への応募をくり返していた柳原は、各誌の編集者も注目し始め、商業誌に読切作品を掲載する話も持ち上がっていた頃で、夭折した才能と雑誌には取り上げられた。27歳だったという。
「写真が届きました」
 ツバキは自分の携帯電話に送ってもらった柳原眞一の写真を私に見せる。私は腰を抜かしそうになった。間違いなく、今日の昼間に出会った青年は、柳原眞一である。どういうことなのだろう。恐怖で頭が混乱している。
「石岡さんはさっき作品の名前を言いかけましたよね」
「えっ、はい。そうです」
「もしかしたら『選ばれたのは君だ』と言いたかったんじゃないですか?」
 ツバキの指摘に私は仰天する。その通りだったからだ。不審を抱えながら私はその作品の原稿をツバキに見せる。
「やっぱり…」
 ツバキは得心がいった表情だった。
「これが故柳原眞一の遺稿なんです」
「えっ…」
 私は絶句する。確かに昼間であった柳原は「魂を削り込んだ作品を生んだ」と叫んでいた。
「これを見てください」
 ツバキが指し示すペンネームには「豪巣斗雷太」とある。
「ゴ…ゴーストライター…」
 本名は柳原眞一となっていた。つまり、ゴーストライターと名乗っていたのは職業ではなく、ペンネームのことだったのだ。
「ひっ…ひっ……」
 もう私はどこかに逃げ出したかった。こんな怪奇現象に遭遇すれば誰でもそうだろう。だが、何とか気力を振り絞り、立ち上がった。編集者の砂男に確認しなければならないことがある。なぜなら、昼間、彼は柳原を私と一緒に車に乗せているのだ。

                                  ●

「もーし、石岡先生」
 ビクビクと廊下を進んでいた私を柱の陰から呼び止める声がした。また心臓が止まりそうになるが、相手はすぐに姿を現す。この旅館の女将だった。
「内々にお話できればとお待ちしておりました」
「は、はい」
「実は、先ほどから先生を悩ませている〃蛇恋坊〃の件です」
 柳原の一件があったので、私の頭からはすっかりそのことは消えていた。
「ご不快にお思いになるかもしれませんが、あの雲水の正体は、当旅館の次男の宏ニだと推察いたします」
「あ、あの絵をお描きになったご子息ですね」
「不肖の倅です。こんな山の中で旅館をやるのは嫌だと申しまして、三年程前に家を出ました。自分は芸術に生きると豪語した割には、いまだパッとせず、どこで何をしているのかもわかりません。ただ先日、珍しく電話があった際に、私も嬉しさからついこの旅館で漫画大賞の審査会が行われることを漏らしたのです。それを知った宏ニは『その賞はオレがもらった』と馬鹿なことをほざいていましたが、今思えば本日、石岡先生が逢われた奇妙な出来事はみな符合する気がいたします」
 私は片方の怪奇現象が理屈で解決して、一安心した。
「なるほど。では、宏ニさんが密かに帰ってきて蛇恋坊の真似を……」
「生霊です」
「えっ?」
「執念あさましく燃やす息子の宏ニは、やむにやまれぬおのが魂を口から吐いて、故郷のこの旅館にさまよわせているのではないでしょうか」
 女将の顔は真剣だった。冗談を言っているのかと思い、笑おうとした私の顔も強張る。
「そ、そうですかね」
「石岡先生、後生です。どうか宏ニの作品を選んでやってください。もし願いがかなえられなければ、逆恨みした宏ニの生霊が先生を取り殺すやもしれませぬ」
「は、はは、はい…」
 両肩を掴んで迫ってくる女将の狂気に私は後ずさりする。
「宏ニの作品名は『こごめに逢いたい』だそうです」

                                  ●

 いくつかの謎が解けた代わりに、恐怖は膨れ上がっていた。まず私が〃蛇恋坊〃と見誤った宏ニがいつも「こごめに逢いたい」と口にしていた理由は判明した。単に自分の応募作品のタイトルを教えていただけである。次に、ようやく見つけた砂男の証言によると、「私は柳原なんて人を見たことはありません。停留所にいた審査員は石岡先生だけです」とのこと。思い出してみれば、確かに砂男は、柳原の存在を認めているような言動は一切とってこなかった。車内でも会話していたのは私と彼だけである。だが、それらの事実が明らかになればなるほど、常識ではとらえられない恐怖の存在がこの付近にいる証明になっていた。
「もう帰りたくなってきたなあ」
 私の精神は限界に近い。なにしろ、幽霊と生霊の両方から「大賞受賞」を迫られているのだ。古今東西、このような立場になった審査員がいるだろうか。部屋の中には私一人だった。ツバキは自室に帰り、砂男も仕事があると部屋に引っ込んでいる。無理やりにでも、砂男の部屋に一緒にいたい気分だが、冷静に考えると恥ずかしい。仕方がないので一晩中起きて審査を続けたいが、いくらなんでもホラー漫画を大量に読む気分ではなかった。何となく、座布団を抱いてボーッとしていると、いつのまにかウトウトとしてしまう。
 どれくらいの時間が経ったのだろう。スゥーっと襖が開く音に私は敏感に反応して目を覚ました。心臓をバクバクさせながら、その方向を見るとダウンジャケット姿の柳原眞一が立っている。2月に事故に遭ったので、厚着だったのかと私は自分の意識を反らそうと努力した。
「私の作品は読んでくれましたか?」
 青白い顔の柳原は部屋に入ってくると、私の側に立つ。
「命を削った作品です。評価してくれますよね」
 柳原がズイッと私に顔を近づけてくる。私は総毛立ちそうな気分を味わっている。
「待て、待てよ」
 反対側から声がした。窓が開いて入ってきたのは、雲水姿の宏ニである。本当に生霊なのだろうか。いや、もう私はまともな思考ができる状態ではない。
「オレの作品のほうが上さ。そうでしょう、石岡先生」
 宏ニも網代笠を被ったまま私に迫る。二人に挟まれて、私は失神寸前だ。幽霊と生霊は「私だ」「オレだ」と争っている。どちらかを立てれば、どちらかが沈む。白黒をつけることは不可能だ。私は歯をガタガタと鳴らしていた。
「えーい、このままでは夜明けまで埒があかん。こうなればいっそ石岡先生をこちらの世界にお連れしようか」
「それも一興だ。生霊のオレにもあそこまでなら行ける」
 恐ろしい話がまとまりそうである。その瞬間、恐怖が極限に高まった私の頭に雷光のように名案が閃いた。この窮地を脱することができる方法である。私はすぐに目当ての作品を手にすると、即座に叫ぶ。
「選ばれたのは君だ!」
 私の指先は、雲水姿の宏ニを指していた。しかし、手にしている作品は柳原眞一の「選ばれたのは君だ」だった。目を閉じて私は震えていた。その私のまぶたに暖かい光が差し込んでくる。
「ありがとう、石岡先生」
 その言葉は、一人か、二人のものか判別はできなかった。

                                 ●

「石岡先生、石岡先生」
 呼びかけられた私は、ようやく目を開ける。すっかり朝になっていた。どうやらテーブルに突っ伏して寝ていたらしい。私を起こしにきたのは、編集者の砂男だった。
「そんなに根を詰めて作業をなさらないでください。お体に障りますからね」
 私は慌てて自分の右手を見る。何もない。周囲を探すが、夜中に手にした「選ばれたのは君だ」の原稿はなかった。
「あの…原稿が…見当たらない…」
「げっ…」
 砂男と二人で原稿と、作品リストを照らし合わせる。「選ばれたのは君だ」の原稿は消えていた。記念に彼らが持っていったのだろうか。
「あれ、『こごめに逢いたい』がないんですけど…」
 私の言葉に砂男がリストに目をやりながら首を振る。
「その作品はエントリーされていませんね」
「えっ、そんな…」
 言いかけて私はやめた。もう向こうの世界の「彼ら」にとっては終わったのだろう。そう思うことにした。さあ、生きている者の勤めを果たそう。
「暗公ツバキさんの選考は進んでいるんですか?」
         
                                ●

 凍目塚は、私がイメージしていたよりは小さかったが、手入れの行き届いた木のお堂に囲まれていた。「こごめ」と彫られた石が鎮座している。その前で手を合わせている一組の男女がいた。
「殊勝な心がけですね」
 私が声をかけると、二人は反射的に立ち上がる。
「言い伝えを私的に流用した以上、一言謝罪しておかないと、祟りがあるかも…」
 カップルは無言で私を睨みつけている。
「あなたたちの本名はわかりません。だから、便宜上、私に名乗った通りの柳原眞一さんと、暗公ツバキさんとお呼びしますね」
 眞一、ツバキともにTシャツにジーパン姿だった。ダウンジャケットや白い着物、あるいは雲水の扮装では、いかに長野の山の中でも暑かっただろう。
「だいぶ怖がらされてしまいました。お恥ずかしいですけど…。目的は、その眞一さんの手にある『原稿』を取り戻すためですか?」
 二人は答えない。
「新人の作家で、そういう、まあ、言ってみれば不義理をする人はたまにいるそうです。同時にいくつもの賞に応募して、引っかかった編集部、あるいは一番大きな出版社からデビューする人。でも、漫画の場合は実際に描く訳ですから、同じ作品ではないんでしょうが、ネタかストーリー展開が同じなのでしょうか。とにかく、眞一さん、あなたは自分の作品がどこか大出版社からデビューが決まり、賞に応募してしまった作品を回収しなければならなくなった」
「違うわ」
 ツバキが口を開いた。
「デビューが決まったのは、私よ」
「なるほど。カップルで『同じ内容の作品』を別々の出版社の漫画賞に応募していた。突然、ツバキさんが大きな出版社からデビューが決まり、世間にその作品が広まってしまう。そうなると、まったく同じ内容で『月刊ブレット&テラー』に応募していた眞一さんの作品の存在がマズいわけですね。どちらがどちらの盗作だとか、別々の賞に応募していたとか、面白くない噂が流れてしまう。でも、すでに審査が始まってしまった。そこで、強引な形で原稿を回収しにきたわけです。審査員である私と、停留所の待ち合わせ場所で因縁を演出して出会った。では、編集の砂男さんはなぜあなたの存在を知らないと言ったのか。簡単です。私の尋ね方がマズかったんです。彼は『柳原眞一』という人物は知らないことと、審査員で乗せてきたのは私だけだと答えました。つまり、あなたのことは存在的に死角になってしまう質問だったんです。風前灯火旅館でバイトをしているあなたのことはね」
 私の言葉に「眞一」と呼ばれていた男が笑った。私は推理を続ける。
「砂男さんは、停留所で石岡和己と、旅館のバイトのあなたを乗せた。さらに、玄関で雲水の姿で私を驚かせ、温泉でも私に〃蛇恋坊〃の存在を印象づけた。そのうえ満を持してのツバキさんの登場だ。白い着物を着た女性が庭から入ってくるなんて、昨夜は受け入れてしまったけど、ずいぶんと現実離れした話ですからね」
「暗公ツバキって名前はちょっと気に入ってたの。もちろん、デビューのペンネームは違うけど。でも、よくわかったわね。昨日は目の焦点が定まらないほど怖がっていた癖に…」
「こごめに逢いたいという作品がなかったですからね。そして、あの風前の灯火旅館の次男の宏ニさんは……亡くなっていました」
 私の言葉に二人の顔がわずかに歪んだ。
「しかし、三年前に事故で亡くなったのを女将さんは認められず、いつまでも生きているものとして振舞っているるそうです。仲居さん達はそんな女将さんを気遣って、彼女の調子に合わせているんですね。となると、辻褄が合わないところが出てきます。昨夜、私を襲った雲水姿の『宏ニ』さんは『生霊のこのオレでも…』と口にした。あとから考えて、不思議でした。本物の宏ニさんなら、幽霊として出てくるんでしょう。自分で『生霊』だなんて言いません。つまり、女将さんの『頭の中の話』を信じている人物が、宏ニさんを演じているんだとわかったんです。しかも、その人物は最近雇われたから、宏ニさんが亡くなっている真実を知らない可能性が高いと」
 私の説明に、ついに「眞一」が口を開いた。
「見事だよ。ご明察の通り、昨夜、雲水姿で宏ニの生霊を演じたのは、彼女さ」
「告白ありがとう。審査員は私一人だったそうですね。今朝、暗公ツバキさんの話をしたら、とうとう砂男さんが話してくれました。たった一人の審査員しかいないのでは、引き受けてもらえないと思い、一生懸命、複数の審査員がいるように振舞っていたそうです。まあ、あなたたちも審査員が私一人とは思わなかったでしょうけど…」
「それで、あたしたちをどうしようって言うのよ。デビューを差し止め?」
「口止め料でも取る気かよ。大センセイ」
 二人の雑言を私は聞き流した。
「別にありません。ぼくは、ただ…事実をハッキリさせたかっただけです。幽霊や生霊はいなかったことをね。そうしないと、怖くて眠れませんから」
 私の言葉に偽りはなかった。二人は複雑な表情をしていたが、やがて一礼すると足早に立ち去っていく。私は旅館に帰ろうと「凍目塚」を振り返ると、いつのまにか一人の雲水が両手を合わせていた。私がその後ろを通るとき、彼は「ありがとう」と言った。驚いた私が振り返ると、不思議なことに雲水は影も形もいなくなっている。
「こちらこそ」
 私は誰にともなくそう言った。空は今日も澄んでいる。
つづく おしまい
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