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頑張れ!石岡君
石岡君、夏休みにアルバイトをする 3 「石岡君、夏休みにアルバイトをする」3 優木麥 石岡君、夏休みにアルバイトをする 3

   
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「蛇恋坊が生きている」
 この旅館に来る道中の車内で砂男はそう言った。蛇身のこごめから蛇の精を受けた与平は、蛇恋坊と化し、四百年の時を越えて生きていると語った。だとしたら、いま目の前に現れた謎の雲水が、蛇恋坊でないとは言い切れない。得体の知れない不安感が、私の全身を震わせる。
「石岡先生、すみませんでした」
 砂男が旅館の女将や仲居を連れて戻ってきた。
「ようこそ、いらっしゃいませ石岡先生。あれ、どうなさいました?」
 顔面蒼白の私を見て、一同は怪訝そうな表情である。
「まあ、お待たせして申し訳ありません」
 女将達は上がり口に手をついて頭を下げた。
「い、いや、そういうことではなくて…ですね…」
「とにかく、お上がりくださいな」
 手を取られるようにして、私は旅館に上がる。そのまま女将が先導する形で、廊下を進んでいく。両側の壁にはいくつかの絵が飾ってあった。チラッと目をやると、四角や三角の組み合わせや、絵筆を洗う雑巾代わりに使った画用紙にしか見えない作品もある。
「息子の宏ニが絵に才能があるようでして、手前どもにはわかりかねますが、石岡先生にはご評価いただけるものもおありでしょうかしら」
「えっ、ええ……」
 否定もできず、私は曖昧に笑みを見せる。並ぶ作品の中でも、とりあえず何を描いてあるか想像がつく一枚を指差した。
「これなんか、いいですね」
「あら、やっぱりお目が高いわ。パイナップルを持つ婦人を描いたんですって。実は、モデルになったのは私なんですけどね。オホホ」
 ジュラ紀のソテツを食おうとしているトリケラトプスがモチーフかと思っていた私は口に出さなくて良かった。

                              ●

「蛇恋坊に……会ったみたいです…」
 部屋に着いて、二人だけになるとすぐ私は唇を震わせて、さっきの玄関で出会った雲水の話を砂男に語る。
「そういう現象はよくあるんです」
 砂男がポットのお湯を急須に入れながら言った。
「ついさっき耳にしたその土地の因縁話が頭に残っていて、誰を見てもその物語にからめて考えてしまう。私はホラー漫画を描く作家と取材旅行に行くと、そんな体験はしょっちゅうありますよ。でも、大概は何かの勘違いなんです。神経が過敏になっているだけなんですよ」
「いやあ、でもぼくはハッキリ見ました」
「悪いことではありません。むしろ、優れた感性をお持ちの作家さんには往々にしてあるんです。それぐらい高いテンションで作品の審査をしていただければ申し分ありません」
 砂男の論理にも一理ある。私はとりあえずその話を止めた。部屋の隅にはすでに三個のダンボールが置かれている。その中身は、言うまでもなく審査するための「新人の漫画作品」だ。確かに仕事をキッチリとこなすのが私の第一の役目である。気持ちを切り替えることにした。
「結構なボリュームですね」
 ダンボール箱ひとつに目分量で三十作以上は詰め込まれている。
「一作品が45ページで、合計二百作品以上はありますから。これ以外の作品は、他の審査員の方の部屋に用意されています。明日になれば、ダンボールをチェンジしますから。明朝までに最初の担当分の審査を終えていてください」
「わかりました。審査方法とか、基準は?」
「この所定の用紙に一言ずつコメントを書き込んでいただければ結構です。最終的にそれぞれの審査員の方に上位5作品ずつ選んでいただきます。審査基準は、先生自身のお考えになるエンターテインメントの基準でお選びください」
 そう言われても、私は改めてエンターテインメントなど考えたことがないので困ってしまう。
「私の部屋は『黒磯の間』です。何か御用があれば内線でご連絡ください。飲み物などはフロントにお申し付けください。では、私はこれで…失礼します」
 砂男は襖を閉める前に念を押す。
「くれぐれも、他の審査員の方とは接触なきようにお願いしますね」
「わかりました」
 砂男は去った。私はとりあえず漫画の審査を開始する。数作を読んで見てビックリした。新人の作品だというので、もっと粗が見えるのかと思っていたら、画力、ストーリー構成力ともにプロの水準の作品が何本もある。これが平均レベルだとしたら、私は選考の段階で悩むことになるだろう。考えてみたら、新人の作品を審査するということは、その延長線上にはその人の人生を左右する影響があるとも言える。そう思い始めたら、落ち着かない気分になった。私のような門外漢が、本当に漫画の審査をしていいのだろうか。リラックスするつもりで、テレビを点けるが画面に何も映らない。故障しているようだ。フロントに連絡しようかと思ったが、到着早々にテレビを見ようとしているのがわかるのもバツが悪い。仕方がないので、審査に取り組むことにした。開き直って私が見て面白いかどうかを最大の基準にして読み始める。カエルや虫の鳴き声がいいBGMになっていた。
「お食事の時間でーす」
 砂男が仲居とともに夕餉が載った膳を運んでくる。私の審査もちょうど一箱分が終了したところだった。
「お、順調に進んでいるようですね」
「ええ、まあ難しいです。全作品を読んでから五本の中に入れるかどうか決めようと保留にしている作品も何本かありますし」
「あまり悩まれないで、直感でお決めになってもいいかと思いますけどね。いろんな要素を加味していくと、必ずバランスを取るような選考になりがちですから」
「ああ、そういうものですか」
 私は作品をダンボールに戻して、一息入れることにした。
「それにしても、ミステリーとホラーの漫画ということでしたが、ほとんどホラー漫画ばっかりですね」
「それは最近の傾向と言えるかもしれません。ホラー映画も流行ってますしね」
 そう話しているところへ、女将が「失礼します」と現れた。
「せっかく東京から石岡先生がいらしているので、当旅館からの心ばかりの料理もサービスさせていただきました」
 仲居達が手に手に新たな膳を持って入ってくる。
「いえ、そんなお気遣いいただくと、かえって恐縮してしまいます」
 私は頭を下げる。なんと膳に載っているのは、鯛の舟盛りである。
「こんな…ご苦労なさったでしょう」
「先生のためです。これぐらいは厭いませんわ、オホホ」
 この山の中で鯛が食べられるとは思ってもいない。あまりにも過剰なサービスが、逆に私の心の重荷になった。
「石岡先生、まだ先は長いですから、温泉で一汗流してこられてはいかがですか?」

                              ●

 温泉で汗を流すのは何年ぶりだろう。浴衣に着替えた私は、いそいそと「ゆ」と書かれた暖簾をくぐる。引き戸を開けると、温泉特有の湯の匂いが、何よりの安らぎに感じる。脱衣所で帯をほどこうとして、曇りガラスの向こうで誰かが動く気配がした。すでに誰かが入浴しているようだ。私は柳原かもしれないと思った。彼とは砂男の車に同乗してきながら、ほとんど会話を交わしていない。また旅館に着いてからは、審査員は接触せずのルールによって交わりを絶たれている。私は温泉に浸かりながら彼とゆっくり会話をしてみたいと心を弾ませた。
「魂を削った作品を生んだ」
 と叫んだゴーストライター柳原眞一。私は彼にこそ「エンターテインメント観」を聞いてみたい。気持ちが高ぶった私は、まだガラス戸を開ける前に呼びかけてしまった。
「柳原さんですか?」
 中で動いていた人物の動きが止まる。しかし、返事はない。誰か別人なのだろうか。この旅館にいま宿泊しているのは「漫画大賞」の関係者のみ。まさか、旅館の従業員がこの時間に温泉に入っているとは考えられない。もちろん、私は今回の「漫画大賞」の審査員の総数を知らないので、柳原と私以外に男性審査員がいる可能背はある。
「あ、すみません。人違いでしょうか? ぼくは『月刊ブレット&テラー』の漫画大賞の審査員で石岡和己と申しますけど……」
 私が名乗っても中から返答はない。まるで別の筋のお客なのか。そこで、私も考え直した。自分が湯船に気持ちよく浸かっていたとしても、ガラス戸の外から突然話しかけられたら、警戒するかもしれない。やはり、お風呂なのだから、私も裸になって入って相手と直接顔を合わせれば済む話である。何も脱衣所で相手を確認する必要はない。そう考えた私はすぐに裸になるとタオルを腰に当てて、ガラス戸を引き開けようとした。すると、風呂場から聞こえてくる低い念仏にギョッとする。さらに声が響いた。
「こごめに逢いたい」

                              ●

「石岡先生、あまりしつこいと、性質の悪いイタズラだとして、旅館の人たちに訴えられますよ」
 ほとんど半裸になりかけながら、浴衣を羽織って駆け戻ってきた私は、すぐに内線で砂男を呼んだ。つっかえながら事情を説明する私に対して、彼の反応は冷たい。
「いや、本当なんです。だって、いま……この旅館にはぼくたちしかいないんでしょう。だったら、あのお坊さんは誰ですか? おかしいですよ」
 興奮しているため私の口調も激しくなる。
「また言われたんです」
「えっ、何をですか? 石岡先生」
「また『こごめに逢いたい』と彼は、確かに口にしました」
「うーん」
「ぼくはウソなんか言いませんよ」
「わかりました。わかりました石岡先生」
 砂男は両手を前に出して私をなだめるように言った。

「ちょっと女将さんに話して、不審な人物がいないか調べてもらいましょう。ですから、ご安心ください」
 根負けしたのか、砂男は私を落ち着かせるように言うと、部屋を出て行った。彼がいなくなって、私も気持ちが少し納まってくる。あの人物は一体、何者なのだろう。まさか本当に蛇恋坊が四百年間、生き続けているのか。そんなことを考えていると気持ちが高ぶってくるので、何とか頭から忘れようと、私は漫画作品の審査を再開した。作業に没頭することで恐怖を薄れさせるつもりだったのだ。ところが、逆効果になってしまう。なぜなら応募作品のほとんどはホラー漫画なので、夜中に和室で一人読んでいると、怖さが募るのである。ましてや、怪奇な蛇恋坊と出会ったばかりだ。私は気持ちを切り替えるために、窓辺に立つ。網戸を通して涼やかな風が吹き込んできて自然のリラクゼーションである。ふと私の視線が動くと、視界に真っ白なものが映る。よく見ると、それは白い着物を着た髪の長い女性だった。
つづく つづく
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