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頑張れ!石岡君
石岡君、夏休みにアルバイトをする 1 「石岡君、夏休みにアルバイトをする」1 優木麥 石岡君、夏休みにアルバイトをする 1

   
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「空が澄んでますね」
 人見知りの激しい私が、快活な言葉を初対面の相手にかけた。そんな珍しい心境になった理由は二つある。まずは、周囲の環境の心地よさだ。私が今いるのは長野県N市の「凍目(こごめ)」。避暑地のイメージが強い長野県だが、真夏には最高気温が35度以上になる地域も多い。この凍目は、軽井沢や野辺山、上高地などと同じように標高が高いため、涼しいのだろう。ひんやりとした風が私の肌を撫でる度に、来て良かったという感慨が湧いてくる。また眼下に広がる緑の木々と、雄大な山々は私のような文明に囲まれる日常を送る者にも壮快な感情を抱かせてくれる。横浜からJRの特急を利用して4時間。さらに私鉄バスに乗り換えて2時間かけてこの「凍目(こごめ)」にやってきた。
 気分が軽い理由の二つめは、私がいま夏休みだからである。作家という職業に定期的な休暇があるかどうかは、各人によってさまざまと言うしかない。毎年、何週間もの休暇を設定していて、海外旅行や避暑地に行く作家を私も知っている。私自身の場合で言えば、毎年、夏休みめいた日々が何日かあるという程度だった。実際、普段の日常が次から次への締め切りに追われているわけではないので、意外と休暇への渇望は湧かないのだ。長い休暇があろうと特にやることも、行くところもない。ところが、今年は私と付き合いのある担当編集者達の夏休みがほとんど重なるという偶然が起きた。それに加えて現在、締め切りが迫っている長編もない。そのため、自然発生的に夏休みと呼べる時期が生じたのである。
 私に「アルバイトの話」が持ちかけられたのは、夏休みに何をしようかとカレンダーを眺めていたときだった。電話の向こうの相手は「月刊ブレット&テラー」の編集者だと名乗った。
「ミステリー物や、ホラー作品のジャンルの漫画誌です」
「はあ…?」
「実は、この夏に弊誌で新人の漫画大賞を開催するのですが、是非、石岡先生にその審査員をお願いしたいと思いまして……」
「漫画ですか? ぼくはその方面は疎いものでして……」
「いえいえ、その点も今回お願いするポイントなんです。昨今の漫画賞は漫画を読みすぎている方々が玄人の目利きをなさっている。ともすれば売れ筋とか、トレンドや流行などを意識してしまうきらいがあります。そこで、私どもの雑誌では、日頃あまり漫画に接していない方に作品をご覧になってもらい、純粋にストーリーや構成力などを評価していただきたいと考えたんです」
「そうですか…」
「信州の旅館を借り切りまして、審査員の方々には最高の環境で審査を行なっていただく予定です」
「ホントに漫画の批評はできませんが、読んだ感想を言うくらいなら……」
「結構です。むしろ、そういう姿勢で臨んでいただくのが、こちらの希望です」
「わかりました」
 正直に言えば、人の作品の批評や審査をすることは気が進まないのだが、夏休みに何の予定もない時期だったので、アルバイト感覚で引き受けてしまった。そして、この凍目の停留所まで辿り着いたのだ。私がバスから降りると、停留所のベンチに先客がいた。白いダウンジャケットにジーパンの若者だ。いくら涼しい信州の山中とはいえ、ちょっと大げさではあるまいか。いや、もしかしたら準備不足は私のほうで、夜になったら寒さが厳しくなるのかもしれない。
「こんにちは」
 いろいろ思惑を抱えていると、若者のほうが声をかけてきた。
「こんにちは。空が澄んでますね」
 冒頭の言葉を口にしたのはこのときだ。私は新鮮な空気を胸一杯に吸い込む。これだけでも、6時間以上の移動の疲れが吹っ飛びそうだ。
「漫画大賞の審査員の方ですか?」
 思いもかけない質問だったが、考えてみれば旅館が貸切だと言うことは、この停留所にいる時点で彼も「月刊ブレット&テラー」の関係者の可能性が高い。
「ええ。石岡和己と言います」
「初めまして。私は、柳原眞一と申します。ゴーストライターです」
 私たちは名乗りあうと頭を下げた。
「こんなこと言っていいかわからないんですが、ぼくは漫画に関して門外漢なのでよろしくお願いします」
「石岡さんは、ご自身で何か創作をされているのですか?」
 そう尋ねる柳原の表情にはどこか陰がある。私は精一杯の笑顔で答えた。
「著作はいくつかあります。ただ小説の方なので、漫画は……」
「私には自信作と呼べる作品があるんです」
 柳原がベンチに座ったまま叫んだ。
「文字通り心血を注いだ、いや魂を削り込んだ逸品を生み出しました」
 語るうちに柳原の目が尋常ではない光を帯びてくる。右手の指を眺めながら自分で興奮を抑られない様子だ。まるで寒気でもするように肩と両手を震わせ始めた。
「私には傑作がある。業界を震撼させる作品があるんです」
 虚空の一点を見つめ、思いつめた表情には殺気さえ宿っている。言い知れぬ恐怖が私を貫いた。この停留所にいるのは私と彼だけだ。慌てて彼に調子を合わせようと口を開いた。
「そ、そうですか。タイトルを教えてもらえ……」
「エブリバディー、ウェルカム!」
 後ろから陽気な声が聞こえたので、私は振り返る。この山の中にそぐわない燕尾服にシルクハット、ステッキを振り回す男が立っていた。チョビ髭をうごめかしながら私に近づいてきた。
「石岡先生ですか?」
「ええ……」
「お会いできてハッピネス。マイネームイズ砂男。パーソナリティもスナオかどうかは、相手次第で確率変動中。とにかく、今日は遠いところをご足労いただきSO、ソーリー」
「は、はい……」
 私は珍妙な挨拶に少し毒気を抜かれている。少なくても私が今まで付き合ってきた編集者にはいないタイプだ。
「あ…あのぅ…編集の方ですよね?」
 私は基本的なことから確認せずにはいられない。
「イエス アイ アム。私は『月刊ブレット&テラー』の編集者の砂男です。友人はみんな〃サンドマン〃と呼びます。サンドウィッチマンではありませんよ」
「わかります」
「さあ、いざ宿にご案内します。ルートは二つ。ひとつは乗馬で行くルートで、もうひとつはマイカーのルートです。石岡先生はどちらをチョイスしますか?」
 砂男がステッキをマイクのように私に突きつける。二者択一なら考えるまでもない。馬に乗る方法を選んだら、宿に着くまでに日が暮れてしまうだろう。
「じゃあ、マイカーのルートでお願いします」
「えっ…?」
 砂男は私の返答にギョッとした顔をする。
「乗馬……なさらないんですか?」
 エキセントリックなキャラクターの顔ではなく、接待で粗相をしてしまった営業マンの表情になっている。私は悪いことをしたようで落ち着かないが、本心を言うしかない。
「ええ、やっぱり、クルマのほうが…助かります」
 砂男の顔がみるみる青ざめていく。
「信州、夏、山…それでもウマに、お乗りになりませんか?」
「はい。すみません」
「少々お待ちください」
 砂男は停留所の待合室の裏に廻っていく。落ち着かない私の耳に二人の人間が話す声が聞こえてきた。
「無理して花子を厩舎から連れてきたべよ。どうすんだい」
「仕方がないんです。先生が乗らないっておっしゃるんですから」
 カンの鈍い私でも、砂男が一人で二役を演じていると察知できるレベルの三文芝居だった。
「レンタル料金はもらうからな。ここまで引っ張って来てるんやし」
「わかってます。東京に請求書を送ってください」
 私が唖然としたのは、二人分のやりとりを披露する合間に「ブルルゥ」とか「ヒヒーン」といった馬の鳴き声まで差し挟んでいたことだ。待合室の裏から砂男が現れた。
「お待たせしました。さあ、お車はあちらに用意してあります」

                              ●

「あの、砂男さん……」
 私は彼が運転する四駆の助手席にいた。後部席には柳原が座っている。
「何ですか?」
 砂男が運転しながら答える。悩んだ挙句、私は彼に言っておくほうがいいだろうと決めた。出会いから続けられた砂男の一連のパフォーマンスについてだ。たぶん、私たちを楽しませようとの狙いからだろうが、率直に言って面白くない。逆に通常のやりとりが疎外されて振り回される分、疲れる弊害のほうが大きい。
「ぼくも遊びに来たわけではありませんので、気を使っていただかなくて結構ですよ。審査という仕事も初めてで、集中したい気持ちもありますし…」
「そうですか…」
 砂男は寂しそうだった。私は急いでフォローする。
「もちろん楽しかったですけどね」
「そうですか!」
 今度の砂男の返事は一オクターブ上がった。
「石岡先生、凍目(こごめ)の地名の由来をお話しましょう。四百年前の身も凍る、そして悲しい物語を…」
つづく つづく
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