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頑張れ!石岡君
石岡君、自転車の宅配ライダーになる 4 「石岡君、自転車の宅配ライダーになる」4 優木麥 石岡君、自転車の宅配ライダーになる 4

   
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「最初の指示を伝える。感度は良好か?」
 無線機を通してマッチョさんの声が聞こえてきた。私は自転車を漕ぎながら、周囲に目配りを忘れない。都会で自転車に乗るのは、田舎で乗るときの何倍も神経をすり減らされる。なにしろ、往来に溢れる自動車の台数、通行人の数、そして不確定要素が多すぎるのだ。ちなみに今乗っている自転車は、レース仕様。自転車便のライダーは山道用やレース用をそれぞれのこだわりで選んで乗っているらしい。
「不摂生をしてましたから……結構キツいです」
 本当を言えば、走りながらこうして会話するのもやっとである。私は自分の体力を過信していた。想像以上に体力も神経も使う仕事だった。だが、一旦引き受けた以上、最後までやり通さねばならない。途中で投げ出せば、数年前にマッチョさんが抱いたであろう失望を再びくり返すだけだ。私は一漕ぎ、一漕ぎで足の先から全身の精気が抜けていくような気分を味わいながら、なおも前進していた。
「届け先は、確認してるね」
 自転車便のメリットはスピードと手軽さにある。先方は時間指定をしてきているため、私も焦る。あと十分ほどでお客の指定してきた時間に達してしまうのだ。
「ええ、ただもうすぐ着くはずなんですが……」
 私は言葉を濁す。住所で指定されている通りに進んできたはずなのに、前方にはそれらしき建物が見当たらない。運ぶ荷物は契約書で、届け先の相手は外資系の証券会社。しかし、周囲は住宅ばかりだし、目の前には百段ちかい石段があるばかり。
「たしかに住所は合ってると思うんですけど……」
 マッチョさんからの次の指示が飛んできた。
「じゃあ、石段を上ってください」
「えっ……」
 私は自転車を止めると、目前の石段を見上げる。
「上るって……」
「文字通りの意味です。自転車を担いで、その石段を上ってください」
 私は唖然とする。せざるを得ない。今の私の体力では、単に石段を上るだけでも気持ちが萎える作業である。しかも、そのうえ自転車を担いで上るとは信じられない。
「時間厳守でお願いしますよ」
 マッチョさんに急かされて、仕方なく私は自転車を肩に担ぐと石段を上り始めた。気が遠くなりそうだ。一種の苦行である。一段上るごとに、私は力尽きそうな気分に襲われてしまう。このまま座り込んで空を見上げていたらどんなに楽しいだろうか。目の前がボーッとしてきた。いつ倒れてもおかしくないかもしれない。
「ハリーアップ。石岡先生、ペースがダウンしているよ」
 マッチョさんの叱咤が飛び、私はかろうじて意識を取り戻した。百段近い石段を、自転車を担いだまま何とか上り終えたとき、すでに私の体力は限界に差しかかっていた。
「遅れてはいかんぞ」
「ハイ……」
 指定された住所は、なんと公園だった。ポロシャツにジーパン姿でリラックスした外人二人が芝生に敷いたシートの上で談笑している。まさか、彼らがお客というわけか。
「おー、ごくろーさんね」
 近づく私の姿を見て、彼らは笑顔を向けてくれた。私が息も絶え絶えな様子を見て、相手は立ち上がる。
「石岡先生、すぐに息を整える。お客さんの前でハアハアするのは、見苦しいですよ」
 マッチョさんの指示が飛ぶ。
「わ…わかりました」
 そうは言っても、すぐに身体が反応すれば苦労はしない。
「オフィスじゃないから、ビックリしましたか?」
 お客が優しく話しかけてくれる。
「こんなに見晴らしのいい場所で商談をしたほうが、いい内容にできるからね」
「は、はあ……」
 疲労困憊の私には気の利いた返事などできるわけもない。
「ありがとうございました。これがお荷物です」
 私は背のリュックに入れていた円筒形のホルダーを相手に渡した。その中に今回の荷物である契約書が入っているのだ。
「ごくろーさま」
 労いの声をかけてもらい、私は一礼して来たときと同じく石段を降り始めた。もちろん自転車を肩に担いでいる。
「無事に渡せました」
 私はマッチョさんに報告する。ひとつの仕事の責務を果たしたという達成感は、多少の疲労を和らげてくれている。
「受領証にサインはもらったよね?」
 マッチョさんの言葉に私の顔が青くなった。
「いえ、そういえば……すみません。忘れてました」
「ダメだ。受領のサインがなければ、あとでトラブルになったときに困るんだから。すぐに戻って、サインをもらってきて」
「えっ、ええ……」
 私は今ようやく下り終えた石段を見上げると、ため息を吐くしかなかった。

                            ●

 百段の石段を自転車を担いで上り下りするのを一日二往復もした私は、かろうじて立っている状態に等しかった。とても、巷の自転車便のライダーたちのように颯爽と風を切るなんて雰囲気にはほど遠い。
「もうすぐピックアップカーと合流できるはずだから」
 ダウン寸前の私の事情など忖度することなく、マッチョさんの指示は容赦がない。ちなみにピックアップカーとはお客さんからの荷物をまとめて運ぶ車のことである。運ぶといっても、自転車便のライダーに少しでも早く届けてもらうために、荷物を中継するのが役目だ。
「石岡先生、こっちです」
 フラフラになりながら指定された合流地点にたどり着いた私を待っていたのは、なんと「押尾フットケア」の押尾だった。ワゴン車の運転席から私に手を振っている。
「押尾先生がここまで乗ってきたんですか」
「そうそう。兄さんにはかなわないですからね」
「いや、そうでしょうけど……」
「ハイ、これが次の荷物」
 私に手渡されたのはピクニックに出かけるときのようなバスケットケースだ。
「中身はオニギリ」
「へえ……」
「届け先は、ここに書いてある住所の商事会社ね。お弁当を届けてほしいとか」
「そうですか。わかりましたが……」
 なんとなく私は腑に落ちない。
「あの……このワゴンでそのまま届けるというわけにはいかないんでしょうか?」
 おずおずと質問する私の耳にマッチョさんの怒号が響く。
「何を言ってるんですか。自分の身体で届けるというのが、自転車便ライダーの誇りなんですぞ」
 そう言われては一言もない。

                             ●

 指定された商事会社に到着したのは、指定時間ギリギリだった。私は前回の反省を踏まえて、まず息を整えてから自動ドアをくぐる。室内は異様な雰囲気だった。十人以上の男女の社員たちが部屋の奥に固まって座っている。そしてそこから少し離れた机の上に、一人の男が立っていた。
「あ、あの……マッスル便ですけど…」
 男は鋭い眼光をこちらに向けてきた。目が血走り、ネクタイは乱れ、髪もボサボサである。彼が目で合図して、固まっていた社員集団の中から年長者がこちらに歩いてきた。
「どうも、ごくろうさま」
 年長者は私の荷物を受け取りながら、非難めいた目で私を見る。
「どうして、押尾社長ではないのかね」
 小声でかろうじて聴き取れる声で私に言った。
「いや、急病でして……」
「彼の腕力が必要だったのに…」
 年長者はバスケットケースを受け取ると、社員達のところに戻った。
「用が済んだらとっとと帰れ」
 机に立つ男がドスの利いた声で言う。私は頭を下げて退散しようとした。そのとき、私は大事なことを思い出す。またもや受領証にサインをもらい忘れたのだ。マッチョさんに怒られてしまう。
「すみません」
「なんだ!」
 男が噛み付きそうな顔でこちらを見る。
「いえ、受領証にサインをいただきたいんですが…」
「なんだと!」
 男が机から飛び降りて、こちらにズカズカと迫ってきた。
「仕事ですから。ちゃんとお届けしたというサインがないと困るんです」
 私も負けていられない。
「どこだ。どこにサインすればいいんだ」
 男は言い争うよりも、早く用事を片付けようと思ったのか。イライラしながらも受領証にサインしてくれた。
「とっとと消えろ」
「ありがとうございました。またマッスル便のご利用をお待ちしております」
 一礼した私はオフィスを出る。自転車に跨って走り出すと、路地から出てきた男たちに止められる。
「すみません。いま、あのオフィスから出てきたよね」
「は、はい…」
 男たちの剣幕に私はうなずくのが精一杯だ。
「中はどんな様子だった? 人質は無事?」
「えっ、人質?」
 私は瞬時には事情が飲み込めない。
「占拠されてるんだけど、犯人の手がかりが掴めない」
 この男たちは刑事らしい。商事会社から密かに通報を受けたが、うかつに動けないでいるのだ。
「完全に死角に入ってるからな。犯人の情報が少なすぎる」
「あの、犯人の名前がわかるかもしれません」
 私の言葉に刑事たちは目を輝かす。
「本当ですか?」
「この受領証にサインをもらってきましたから…」
 私が見せた受領証を刑事たちはひったくるように手にすると駆け出していく。無線機にマッチョさんからの連絡が入る。
「どうですか? 例の商社のほうは無事に終わりましたか?」
「ええ、まあ無事といえるかは微妙なところですけど……」
 私の頭上には太陽が照りつけている。あの太陽が似合う肉体になるには、まだ当分かかりそうだった。

おしまい おしまい
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