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頑張れ!石岡君
石岡君、自転車の宅配ライダーになる 1 「石岡君、自転車の宅配ライダーになる」1 優木麥 石岡君、自転車の宅配ライダーになる 1

   
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「痛いです。痛い。そこはすごく痛い!」
 足ツボマッサージ師の押尾が私の足の裏を揉む度に、自分でも情けないほどの悲鳴をあげてしまう。この場合の情けなさには二つの意味がある。ツボへの刺激に耐えられない自分の弱さと、もうひとつは作家という仕事に携わりながら悲鳴のボキャブラリーが乏しいことだ。だが、あきらめてほしい。とにかく「痛い」としか表現のしようがない。無論、体にいいことをしているのだから、この痛みも甘んじて受け入れなければならぬのが道理だ。しかし、頭で理解できても身体がついてこないとは、まさにこのこと。初めて「足ツボマッサージ」なるものを体験してみて、想像以上の刺激にほとんど七転八倒寸前である。
「押してみて痛みがあるということは、それだけ内蔵が弱っている証拠です」
 押尾は笑顔でそう言うと、さらに私の足裏のマッサージを続ける。
「ああー、痛い。痛いですー」
 そもそも、なぜ私が足ツボマッサージを受ける気になったかといえば、里美の言葉からである。昨夜、久しぶりに食事をしたとき、彼女は私の顔色を見て少し眉をひそめた。
「石岡先生は、このところ家に籠りっぱなしだったでしょ? もうちょっと健康管理に気を使ったほうがいいわよ。生活習慣病は自覚症状が出なくても、体内の深く静かに潜行しているケースが多いんだから…」
 そんな忠告とも、警告とも取れる意見をされたが、私には反論の余地はない。たしかにこの一ヶ月間の私は、長編の書き足しなど仕事が集中したため、不規則な生活を続けてしまった。昼過ぎに起きて、午後の時間をブラブラと過ごし、夕方からようやく仕事に取りかかって、気が付けば白々と朝を迎える。もぞもぞと寝床に潜り込んで、目覚めるのはまた昼過ぎというくり返しだった。一人暮らしで自分のペースを誰にも乱されないため、だらしない毎日になってしまっていた。
「先生、フィットネスジムに通ってみたら?」
 里美の提案に私はブルブルと頭を左右に振る。
「どうして? 近所に新しくジムがオープンするみたいだから、一緒に行こうよ。最近はかなり深夜まで営業してるし」
 実は私は何年か前に一念発起してフィットネスジムに入会したことがある。その年は久しぶりに風邪をひいたうえに、かなり長引いたため、自分の体力の衰えを痛感したのだ。そこで、勇気を振り絞って、フィットネスジムに足を運んだのだが、あえなく挫折してしまう。
「筋肉隆々の会員さんたちがガッチガッチと運動している横で、次はぼくがその器具を使います、なんてやりにくかったんだよね。なんか、真剣にやっている会員さんたちの邪魔をしてるような気分になってさ」
「そんなこと気にするほうがおかしいわ。みんな入会した目的は違うし、レベルが同じわけないんだから、石岡先生は堂々と自分の運動をすればいいのよ」
「そうかもしれないけど……」
「あらっ、歯切れが悪いわね。なんか他にも理由があったんでしょう」
「な、何が…?」
「フィットネスジムを辞めた理由よ。ごまかされないわよ。もう観念して白状しなさい」
 里美の洞察力の鋭さもときと場合による。いや、もしかしたら私自身がウソをつくのが下手すぎるのだろうか。
「実は、ひとりの会員さんと顔見知りになったんだけどさ。彼が、その……」
 言葉を選ぶために、私は口篭もってしまう。
「どうしたの? 石岡先生にひどいことをしたわけ?」
 里美が興味津々といった表情で身を乗り出してくる。
「いやいや、その…別に何かひどいことをされたというわけではないんだ」
「なんか呼び名がないと話しにくいなあ」
「ぼくも本当の名前は知らない。みんなからは″マッチョさん″て呼ばれてた」
「それで、そのマッチョさんとどうしたの?」
 私は今でも「マッチョさん」の風貌を思い出すことがある。一本の毛もないスキンヘッドに口髭。つねにタンクトップを着て、ウエイト競技用のベルトを腰に巻いた肉体は、ギリシャの英雄ヘラクレスのような筋肉の塊だった。
「なぜマッチョさんが石岡先生の退会した原因なのよ」
「そうだね。まあ、一言でいうと彼が熱心すぎた…のかなあ」
「えっ、熱心すぎ?」
「そう。マッチョさんは、そこの会員になって長かったし、学生時代からずっと体を鍛えている人で、市民マラソンや、トライアスロンなんかにも定期的に参加しているぐらいのスポーツマンなんだ。でも、ぼくはご存知の通りの青白い文筆家で、太陽の光が似合わない男だろう。そんなぼくに対して、彼は本当に親身になって指導してくれたんだ」
「ああ、なるほどね」
 里美が得心した顔で言った。 「つまり、そのスポーツマンのマッチョさんの熱血指導に石岡先生はついていけなくなったわけでしょう。ほんの体慣らしのつもりで、気軽に楽しみたかったフィットネスライフが、そのマッチョさんと知り合いになって、いろいろ教えてもらっているうちに、まるで厳しい部活動に入ってしまったような気分になったのね」
「概ねそんな感じ…」
 まさにマッチョさんは私を「太陽と海のふさわしい男」に変えようと、こちらが申し訳なくなるほどの世話を焼いてくれた。ひとつひとつの器具の使い方を懇切丁寧に教えてくれたし、サプリメントの種類や摂取の仕方も指導してくれた。
「もうワンセット、やれる。石岡さんなら出来る。いや、石岡さんだから出来るんだ。トライ、ワンモアトライ!」
 まるでプロスポーツ選手の専属トレーナーのようにマッチョさんは私に付きっきりで指導をしてくれた。最初は本当にありがたかった私だが、一ヶ月もしないうちに重圧感に感じられてきた。彼は文字通り専属トレーナーのように私がジムに来ない日があると非難した。
「週に3日は体を動かさないと、効果が薄れると説明したでしょう。先週エクササイズした分が無駄になっちゃいますよ。怠けた分、今日は負荷を上げていきますから。覚悟してください」
 怠けた分と言われても、私も仕事をしているし、フィットネス中心の生活に変えるのは困難である。そうした私のフィットネスに対するマッチョさんの激しい打ち込みはさらに加速していく。だんだん、私の気持ちがジムから遠のいていったのは当然である。そのうち、マッチョさんは私の生活面までチェックを入れるようになった。
「昨日と一昨日の食事を書き出してみて」
「えっ、一昨日の朝は紅茶一杯かなあ」
「何ですって。ガッデーム!!」
 マッチョさんは両腕をブンブンと激しく上下させて怒りをあらわにした。
「ダメだよ、石岡さん。朝食は必ず摂って。そうしないと体内のエネルギー効率が悪くなる。集中力だって続かないよ」
「ハ、ハイ…」
「これは、私との聖なる約束ね。オッケー?」
 マッチョさんは両手で私の手を包むように握って顔を覗き込む。
「わかりました。朝食は摂りますから」
「理解しあえて私はハッピーです。さあ、今日もレッツ エクササイズ!」
 マッチョさんの指導の熱の上昇は留まるところを知らなかった。
「上げろ! 上げろったら! このヘナチョコ。その程度で世界に勝てると思うのか。ライバルはもっとやってるぞ!」
 彼が組んだプログラムの規定の回数をこなせないと、私は叱咤に近い激励をされた。当時の私がフィットネスジムに入会して得ようと思っていたものは「散歩よりは体力向上に役立つ運動」である。ところが、マッチョさんはそんなレベルで納得してくれなかった。いくら私が自分の体力的限界や、精神的脆弱さ、あるいはささやかな入会目的を説明しても、首を横に振る。
「あなたの体には可能性があります。それを自ら放棄して、矮小な目的しか果たさないのはハーレーダビットソンで向かいの家に行くようなもの。私は我慢できません」
 私の肉体の潜在能力を大排気量のバイクに例えている時点で、口幅ったいがマッチョさんは私の専属トレーナーにふさわしくないと思う。
「騙されたと思って私の指導に従ってみてください。三ヶ月間だけでいいです。三ヵ月後には鏡の前の自分が信じられなくなりますよ」
 マッチョさんはつねづねそう言っていたが、私には三ヶ月も彼のシゴキを受けることは神経がもたなかった。そのため、彼には悪いと思ったが一ヶ月もしないうちに、そのフィットネスジムから去ったのである。
つづく つづく
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