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頑張れ!石岡君
石岡君、野球監督になる 1 「石岡君、野球監督になる」1 優木麥 石岡君、野球監督になる 1

   
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 青葉ハタラキバチとは何か。そんな質問を受ければ、多くの人は蜂の名だと思うはずだ。あるいは新機能を備えた便利グッズの鉢を思い浮かべる人もいるだろうか。一部の人は、ある種の太鼓を叩く撥を連想するかもしれない。想像力の豊かな人は、不況時に働くサラリーマンを指す新しいビジネス用語だと説明するだろう。もしかしたら、イタリアのファーストキスを意味する「プリミ・バチ」が関係しているのではと勘ぐる人もゼロとは断言できない。しかし、今挙げたすべての答えは外れである。「青葉ハタラキバチ」とは草野球チームの名前なのだ。構成メンバーの職業は、サラリーマンや学生、フリーターなど雑多で、三年前にスナック経営者の笹木と店の常連客で結成され、以後メンバーチェンジをくり返して現在に至る。地元の草野球チームで構成される「マカオリーグ」では、つねに中堅クラスの戦績。ただし、その年の秋は他チームの不振も手伝って、勢いがつき、優勝に手が届くところまできていた。
 なぜ、草野球チームの話をしたかといえば、私がその「青葉ハタラキバチ」の監督を勤めなければならなくなったからだ。まずは、経緯から説明しよう。
 私は河原で空を見上げるのが好きだ。草を枕に寝転がり、青空を眺めていると、流れる雲がさまざな形をとって私に語りかけてくる気さえする。そんな気分に浸りたくて、わざわざ多摩川の土手まで出かけていくことがしばしばあった。「青葉ハタラキバチ」の監督である笹木と出会ったときも、私は何の気なしに土手から空を見上げていた。
「野球がお好きなようですね」
 パンチパーマに浅黒く日焼けした顔の男が、寝転ぶ私の脇に立っていた。声をかけられるまで笹木が側に来ているのに気がつかなかったため、驚いて上半身を起こす。彼が野球のユニフォーム姿なので、とっさに抱いた警戒心を解く。
「このところ毎週観戦に来ていただいているので、一言お礼をと思いましてね」
「ハッ…?」
 何のことかわからない。
「あの……あなたは…?」
「申し遅れました。私は用兵家です」
「用兵家って? 韓信や諸葛孔明のような…」
「そうですね。私は歴史モノが好きなので、自分のことをそう呼んでおります」
 私の怪訝そうな表情を打ち消すように、笹木は笑顔で右手を差し出してきた。
「まあ俗に言えば『青葉ハタラキバチ』の監督の笹木です。野球の監督と、用兵家とは共通点が多いんですよ。限られた戦力の配分の仕方とかね。今シーズンの快進撃を支えているのは、監督の名采配だなんて言うファンの方が多くて。その賛辞はありがたく頂戴します。試合をメーキングするのは一苦労でして…」
「ええ…」
 笹木の手を握るが、私には状況が断片的にしか把握できていない。思い返せば、私がこのお気に入りの場所で寝転がっているとき、確かに眼下のグラウンドでは草野球の試合が行なわれていた。しかし、私がこの土手に足を運ぶ目的は野球の観戦ではなく、青空を眺めるためである。それ以外の風景は意識していない。とはいえ、笹木からすれば毎週、自分達の試合の度に姿を現す私に対して、自分達の熱烈なファンであると錯覚するのもやむなしであろう。
「さあ、ベンチにご招待しますよ。もっとも近いポジションで私の名采配ぶりをご覧になってください」
「いえ、その…ここで、結構です」
 私は笹木が勘違いしていることを指摘するべきかどうか迷う。
「そんなことおっしゃらずに、さあ」
「いいえ、本当にぼくはここで…」
「ま、まさか、あなたは…」
 笹木の目が細められる。
「ここから、ウチのチームのサイン盗みをしているんじゃないでしょうね」
「ち、違いますよ」
 気晴らしの散歩に妙な因縁をつけられてはたまらない。
「ちなみに、横浜ベイスターズはお好きですか?」
「え、ええ。まあ……」
 突然、質問の方向が変わったが、私に異存はない。笹木の顔が柔和な笑顔に変わった。
「そうですか。ベイのファンに悪い人などいるはずがないな」
 笹木は一人で興奮して話し始める。
「私など38年ぶりの優勝のときには、自分の店を一晩飲み食いタダにして祝いましたしね。実は、恥ずかしながら店ではマスターではなく、大魔神と呼ばれているんですよ。だって、名前がササキで同じでしょう。それに……」
 とめどもなく話しつづける笹木に対して、内心うんざりするものがあった。一人になり、無為な時間を過ごすことが嫌いでない私としては、もっと空を見ていたいのだ。
「ま、ホームズは正直、期待外れもいいとこでしたね」
 笹木の話を聞き流していた私の意識が"ホームズ″という名前に反応する。世界の名探偵シャーロック・ホームズは私にとって聖なる存在だ。大した論拠もなくホームズを馬鹿にされたり、茶化されることは許せない。以前、御手洗に対しても反駁したことがあるぐらいだ。
「結局ニューヨーク行ったけど、使いもんにならんでしょう」
 笹木の認識には根本的に誤りがある。ホームズはアメリカになど行かない。晩年のホームズは、イギリスのサセックス州で養蜂家として過ごすのだ。
「何だか私ばかり話してしまいましたな。ところで、あなたは…」
 間違いを訂正することは相手の機嫌を損ねるかもしれないが、ホームズに関する誤りを看過することは、私にはできない。
「養蜂家です」
「えっ、あなたがですか?」
「ホームズです」
「ああ、マホームズ。パット・マホームズですね。横浜ベイスターズに97年に途中入団した右投手ですよね。11試合に登板して3勝4敗0S。翌98年には先発ローテーションを期待してたんですけど、1勝もできずに期待はずれでしたなあ。その後、ニューヨーク・メッツ行ったそうですわ」
 どうやら私は聞き間違いをしていたらしい。笹木がさっき「マホームズ」と言ったのを「ま、ホームズ」と勘違いした。
「あ、マズイ。そろそろベンチに戻らないと。これ、私のやってるスナックの名刺です」
 笹木に名刺を渡されたため、反射的に私も自分の名刺を出す。
「あなたも用兵家とおっしゃった」
「いや、私は養蜂家と……」
 しかも、ホームズのことを指したのである。しかし、笹木の耳には入っていない。グラウンドに駆けていきながら振り向いて叫んだ。
「いつか、あなたの用兵ぶりを頼らせていただきますぞー!」

                          ●

「是非とも石岡先生に『青葉ハタラキバチ』の監督をお願いしたいのです」
 チームの中で唯一の学生である今永が私に頭を下げた。笹木が口にしていた"用兵家″の腕を頼る時期は案外早く来た。彼と別れて二週間後に私に電話があり、彼の経営するスナックに呼び出される。再開した笹木は右足にギブスをはめていた。酔っ払って階段から落ちてしまったという。明日に控えたマカオリーグの優勝戦で指揮を執ることが難しいため、なんと私に監督を引き受けて欲しいというのだ。野球は、私の中では知っている部類に入るスポーツだ。でも、それは野球以外のスポーツに関する知識が著しく乏しいからに過ぎない。たぶん野球に関する知識にしても、日本の平均的成人男子のそれよりも低いだろう。
「無理です。ぼくは野球をよく知りませんし、第一あのときの@p兵家″というのも…」
「ええ、存じています。作家の石岡和己先生ですよね」
「だったら……」
「ご心配なく。この秘蔵っ子の今永君がサポートいたします」
 笹木が今永の肩を叩く。
「ぶっちゃけた話を言えば、最近は実際に試合中のほとんどの指示を出しているのは、この今永君なんです」
 青白い顔に縁なし眼鏡を掛けた今永は胸を張った。
「今シーズンの好調の原因も、彼の頭脳に負うところが大きいんです」
「でしたら、今永君にそのまま…」
「新参者の彼に全権を任せることをチームメイトは良しとしないでしょう」
 改まった表情で笹木は頭を下げた。
「ですから、言葉は悪いですが、石岡先生にはお飾りの監督を勤めていただけないかと。実際の指示は今永君が出します。こんなお願いができるのは、チームに無関係で、なおかつ野球についてあまり知らない方だけです。自分のこだわりがある方に頼めば、今永君がやりにくくなるだけですから」
「でも、ぼくが……」
「チームメンバーはいずれも個性ぞろいで、アクが強く、まとめるためには支柱が必要なんです。今まで勝ってきたのは、監督である私の采配が的確だったためと思ってくれています。非常事態とはいえ、新参者の今永君に従えなんて言いにくい。将来的にはともかく、この優勝戦の直前では動揺が大きすぎる。だから、明日の試合だけは、名監督である¢蝟p_ササキ″という魔法を解きたくないんです」
 笹木は私に再び頭を下げる。
「お願いします石岡先生。ケガに倒れた私が全権委任する監督代理として、明日の試合のベンチに座ってください。やっとこのチームに訪れた優勝のチャンスを逃させないでください」
 ここまで言われて断るほど私は鬼ではない。
「わかりました。頭を上げてください。私が『青葉ハタラキバチ』の監督を勤めます。……本当に座っているだけでいいんですよね?」
つづく つづく
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