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頑張れ!石岡君
石岡君、おしゃれなバーで待ち合わせをする 3 「石岡君、おしゃれなバーで待ち合わせをする」3 優木麥 石岡君、おしゃれなバーで待ち合わせをする 3

   
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 100本のスコッチのボトルを空にする。しかも3カ月間という期限まで設けられている。素人目に見てもかなり酷な条件だといえよう。シングルモルトのような度数の強い酒を、ましてや割らずに飲む客が多い以上、ボトルが空になる頻度は少ない。それでも、井原の営業努力が実を結び、現在では残り2本と迫った。
「今夜がタイムリミットって、あと……」
 私は腕時計を見る。現在時刻は9時10分過ぎ。夜中の12時がデッドラインなら、すでに3時間を切っている。これから2本のニューボトルをお客が空にするのは非現実的な考えだ。
「なるようにしかなりませんよ」
 井原はせつなそうな笑みを見せた。私の心は激しく揺れ動く。
「ぼくがボトルを入れます」
「いえいえ、そんなつもりでお話したのではありません」
 慌てて井原が手を振った。しかし、私ももう後には退けない。
「せっかく98本まで頑張ったんじゃないですか。制限時間までベストを尽くしましょう」
 普段の私らしくない前向きな発言である。こんな言葉を臆面もなく口に出せるのは、たぶん先ほどから飲んでいるシングルモルトの影響が大だろう。
「し、しかし石岡先生。お心遣いは大変に嬉しいのですが、たとえ入れていただいたとしても、夜中までに空にすることは無理です」
「確かにぼく一人では、とても覚束ないでしょう」
 私は井原を見た。
「ですから、井原さんに手伝ってもらうしかありません」
「手伝うとおっしゃいますと……。私もボトルのお酒をいただくという意味ですか?」
「そうです。お客からお酒を振舞われることは、バーでは普通の状況です。何のルール違反でもありません。やりましょう井原さん」
 少々、私のテンションは上がりすぎているようだ。
「ありがとうございます。では……飲みましょうか。石岡先生」

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 今の私は、確実に"第3段階"だった。何の意味かわからない方々に説明しよう。自分自身の酔いのレベルを4段階で考えている。第1段階はシラフ。第2段階は、自分でちょっと酔っていると感じられるほろ酔いレベル。通常はこの段階で飲むのをやめるのが好ましい。いい気分でその夜を締められるだろう。しかし、現在の私は第3段階に突入している。自分は酔っていない、まだ大丈夫と考えているからだ。ほろ酔いレベルを通過した後に、酔っていると自覚できなくなると相当、酩酊しているといえるだろう。そして、今の状態のまま、さらに飲酒を続けて第4段階へとレベルが上がると……。実は私にもわかりかねる。今までの人生でそんな恐ろしい状態になった経験がないからだ。
「井原さんは、ほんとに強いですね」
 心底感嘆していた。トワイスアップ(1対1で割った水割り)をひと口含む度に、チェイサーをゴクゴク流し込む私とは比べ物にならない量を井原は飲んでいる。しかし、まるで言動に変化が見られないのだ。
「仕事ですからね」
 さらりとそう言う井原が羨ましい。酔っている自覚のない私だが、すでに2度チェイサーのグラスを倒している。
「石岡先生、ご無理なさらずに」
「いえ、できることはやらせてください」
 そう言って私はまたグラスに口をつける。ペースから言えば、井原の3分の1以下だが、これでも自分としてはハイペースでグラスを空けているのである。
「私も仕事で気を張っているからあまり酔わないんですけど、翌日が休みで気が抜けてるときは前後不覚になるまで飲みますよ」
「お店の中で?」
「ええ。ただ最近、この辺りで引ったくりが横行しているそうで、物騒なので避けてますけど」
 いまだにお客は私一人だ。駅の近くなどの立地の問題もあるのだろうか。
「バーというのは、基本的に宵の口はパラパラです。お客さんが入り始めるのは夜中からですね。劇場も多いので、劇団の方などよく飲みに来ていただいています」
「値段の高いお酒もあるのですか」
 単発の質問をぶつける。普段なら、あまり興味本位なことは訊かないが、多少は自制心が薄れているのだろう。
「ありますよ。やっぱり、毎年出回るのは限られた数ですから。とくに記念ボトルや限定品であれば、かなり値は張りますね。正確に言えば、年を経るごとにプレミアム性が増していくわけです」
「どれぐらいするんですか」
「1杯数万円になりますね」
「ひ、ひえー!!」
 三々九度のお神酒と同様、私が生涯口にすることのないアルコールだろう。少し饒舌になっているようだ。
「ちょっとお手洗いをお借りします」
 私はスツールを立つと、トイレに入った。洗面所でバシャバシャと顔を洗う。鏡で自分の顔を見ると、ゾッとした。目がトロンとして充血し、砂漠を彷徨う旅人のようだ。すでに自分のアルコール許容量は越えている。このまま肝臓に超過勤務をさせ続ければ、破滅的な事態が待っているだろう。できるだけのことはやったのだ。ここで打ち止めにしておくべきかもしれない。
「あの……井原さん」
 トイレから帰ってきた私はスツールに腰かけながらカウンターの井原に話しかけた。井原は後ろ向きで何かの作業をしている。
「ぼくはもう限界かもしれません。情けない話です」
 井原は無言で振り返りもしない。
「すみませんが、水を飲みたいんですけど……」
「私にも飲みたい物があります」
「えっ……?」
 井原の声がおかしかった。そう思った瞬間に、彼は振り返る。
「それは、あなたの温かい血だ!!」
 井原の顔は青白く、口元は赤く塗られ、その中には2本の牙が見えていた。
「ひ、ひああああー!!」
 驚いた私はスツールからずり落ちてしまう。井原は吸血鬼だったのか。恐怖で思考が停止しそうである。
「フッフフフフ……」
 混乱する頭に不気味な笑い声が響いてきた。こわごわと振り向くと、私の横に誰かが立っている。顔を見ると、包帯で覆われていた。
「う、うわーうわー」
 悲鳴をあげた私は頭を両手で抱えてしまう。どれぐらい時間が立ったのか。誰かが優しく、私の肩を叩く。
「石岡先生、もう大丈夫ですよ」
 井原の声だった。私はゆっくりと顔を上げると、彼が立っていた。その顔は吸血鬼でも、透明人間でもなく、先ほどまでと変わりがない。
「ゴメンなさい。悪質ないたずらでしたね」
 井原が私に手を出して立たせた。まだ私には事態が把握できない。酔いが一変に吹っ飛んだ気分だ。
「そんなにビックリされるとは思わなかったので……」
 カウンターの中にはまだ吸血鬼がいた。よく見れば、彼は井原とは別人である。スツールには包帯で顔を隠した透明人間が座っていた。
「どういうことですか」
「彼らは劇団員で、いま近所の劇場で公演をしてる最中なんです。テンションが上がっていつも一杯引っかけに来てくれるんですよ」
 井原が説明する。私の心臓の鼓動もようやく収まってきた。
「だから、この吸血鬼や透明人間の扮装もその役柄のことなんです」
「なるほど……」
「ちょうど、石岡さんが中座されているときに店に入ってきたので、イタズラ心を起こしてしまいまして、ゴメンなさい」
「いえいえ、怖がりなんですよ、ぼくは」
「石岡先生も今度、公演を見に来てくださいよ。タイトルはドラキュラ対透明人間対…」
 吸血鬼がそこまで話したときだ。突然、店のドアが荒々しく開けられた。
「新撰組だ。お宿改めに来た。神妙にせい」
 入ってきたのは"誠"と染められた羽織り姿の新撰組隊士である。私はあまりに非現実的な絵にポカンと口を開けてしまう。
「おー、菊地さん。お疲れ」
 透明人間が右手で挨拶した。菊地と呼ばれた新撰組隊士は笑顔になって、スツールに腰かける。
「いやー、あとはカーテンコールだけだね」
 井原が私を菊地に紹介した。彼も吸血鬼や透明人間と同様の劇団で舞台に上がっているという。
「ドラキュラ対透明人間対新撰組、という舞台なんですよ」
「豪華な取り合わせですね」
 顔は笑っているが、私としても驚かされ続きでは、肝臓の前に心臓がもたない。もう誰が現れても絶対に動揺しないと決めた。すると、再びドアが乱暴に開けられた。そこに立っているのは、トレンチコート姿の年配の男だ。
「警察です。この店に引ったくり犯が逃げ込んだので、捜査にご協力ください」
 迫真の演技に見えた。私は笑いながら、刑事役の男に近づく。
「お疲れ様です。劇団のお仲間がお待ちでしたよ」
 男は私を睨んでいる。いつまで役を演じているのだろう。私は助けを求めて、店内を振り返った。井原を始めとする4人の男たちは深刻な表情で無言である。
「えっ、まさか……」
 この刑事はホンモノなのだろうか。だとすれば、この中に"引ったくり犯人"がいることになる。
つづく つづく
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