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頑張れ!石岡君
石岡君、アームレスリング大会に出る 1 「石岡君、アームレスリング大会に出る」1 優木麥 石岡君、アームレスリング大会に出る 1
   

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「石岡先生の黄金の右腕をお借りしたい」
 その日、私が大田区の体育館に足を運んだきっかけは、越川正人の一本の電話だった。アバウトバウトというイベント会社の社長である彼に、黄金の…なんて大仰な形容詞をつけられると恐縮するしかない。この右腕は、少なくない作品を世に出してくれた原動力である。それは私自身がときとして痛感すればいい話で、第三者から崇めるような賛辞を聞きたいとは思わない。ただし、私に小説の執筆を依頼するのに上記のような誘い方をされて、意気に感じた部分は大いにある。
「アームレスリング大会『カイナ−1』会場」
 体育館には垂れ幕が下がり、Tシャツ姿の若者達が集まっている。今日はここで腕相撲の大会があるようだ。受付で越川に取り次いでもらうと、すぐに奥の関係者控え室に通された。
「来てくれて嬉しいですよ」
 越川は、私の右腕に摺り寄せんばかりに顔を近づけてくる。
「今日はバッタバッタとなぎ倒してくださいね」
 イベントプロデューサー独特の煽り方なのだろうか。越川の言葉は、私には素直に受け入れられない。小説を書くのに「なぎ倒す」と物騒な表現をするのはどうか。他の作者の作品よりも売ってくれという意味だろうが、小説は勝った負けたで生み出すものではない。
「ぼくとしては、微力を尽くすだけです」
 私の控えめな言い方に、越川は大げさに驚いた表情をする。
「そんな謙遜しないでください。絶対に優勝してもらわないと困ります」
「ゆ、優勝…?」
「ええ、今日のアームレスリング大会で石岡さんに…」
 私の顔から血の気が引く。そもそも右腕を借りるとは何を意味するか。私の人生経験では、その言葉の意味は小説なり、エッセイなりを書くこと、つまり右腕を使って文筆をすることと受け取る。しかし、越川の思惑はまるで別のところにあった。
「ウォーミングアップはどこでなさいますか?」
「越川さん……」
 どうやらお互いにボタンの賭け違いがあるようだ。
「なぜ、私が腕相撲の大会に出るのですか?」
「困りますね。あなたはアームレスリングの世界ランキングにもランクインされる石岡カツミ選手だからでしょう。オトボケになられても…」
 恐るべき事実が明るみに出た。越川が「黄金の右腕」を借りるべく、コンタクトを取るべき人物は別にいたのだ。私と名前の感じが似ていたため、間違い電話がかかってしまった。その「石岡カツミ」は筋骨隆々、腕回りが私のウエストぐらいあって、アームレスリングの世界で屈強の戦士として名が知れているのだろう。
「越川さん、申し上げにくいのですが、ぼくはあなたのお目当ての人物ではありません」
「へっ…」
「ただのしがない作家です」
「え、えっ…」
「まあ、お聞きください。こないだ、散歩していると、野菜を行商しているお婆さんに会ったんです。お婆さんは自分の背丈の倍ほどもある風呂敷を背負い、両手にキューリやナスを詰めた袋を下げていました。進行方向が同じだったので、ぼくはお婆さんに手荷物をお持ちしますと申し出たのです。そして、彼女から渡してもらった二つの袋は、ズッシリです。とても重かった。お婆さんがひょいひょいと持っていたので、大した重さではないと甘く見ていました。かといって、お婆さんに返すわけにもいきません。彼女が次のお得意先にたどり着くまで、ぼくは脂汗を流しながら、その袋を下げてヨタヨタと歩いたのです」
「なるほど、それはそれは…」
「越川さんの探しておられる〃石岡さん〃ならば、お婆さんごと自分の右肩に乗せて鼻歌を歌いながら歩けるに違いありません。電話の時点で、ちゃんと確認すればよかったですね。それは、ぼくとしても……」

「ウーン」
 越川は困ったように頭を抱える。私はそろそろと退散の準備を始めていた。すると越川が「仕方ないか」とつぶやいた。
「間違いだったとしても、もはや修正は不可能です。石岡先生、助けると思ってこのアームレスリング大会『カイナ−1』に出場をお願いいたします」

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「ミスマッチもはなはだしいです。無理です。勘弁して下さい」
 私は必死に抵抗した。アームレスリング大会に出場して優勝する。そんなことが、本当に可能だと思っているのだろうか。腕っ節の弱さには折り紙をつけてもいい。腕相撲なんて年単位でやった記憶がない。勝った記憶に関しては、もしかして一度もないかもと不安になるほどだ。
「とにかく、私の話を聞いてください。その上で、出るか出ないかは、石岡先生のご判断にお任せします」
 越川は揺るがない。仕方なく、私は話に耳を傾けることにした。
「このアームレスリング大会『カイナ−1』は、元々、私のイベント会社が企画したものです。当初の予定では、ビタミン剤などのサプリメントを売っている某メーカーが冠スポンサーになってくれるはずでした。そのため、優勝賞金1千万円という破格の賞金トーナメントとして各メディアに広告を打ったんです。ところが…」
 越川は悔しそうに唇を噛む。
「スポンサーが不祥事を起こしまして、このイベントからも下りると言い出したのです。無論、私は全力で止めました。説得を試みました。しかし、相手の意志は固く、この話はなかったことに、の一点張りです」
「それはお困りでしょう」
「はい。とはいえ、もはや後には退けないのです。あまりにも大々的にキャンペーンを張ってしまいましたし、ここで中止にしたらウチの会社は業界で信用を失います。そこで、一計を案じました。私達の意図を汲んでくれる選手が優勝すれば、賞金について悩む必要はなくなると」
 段々と話が核心に近づいている。私はいたずらに喉が渇き、麦茶をお代わりした。
「一人、見つけました」
「はい…」
「西城君。入ってきて」
 越川の合図でドアが開けられ、ほっそりした体つきの若者が姿を見せた。
「アームレスリング界の貴公子、西城ワタル君です」
「はじめまして」
 差し出された手を握ると、予想と違い、柔らかく吸い付くような手触りだった。いま貴公子と呼ばれたが、細面に優しい目をしていて、とてもアームレスリングの猛者には見えない。
「彼は海外の大会でも入賞経験のある選手なんですよ」
「すごいですね」
 筋肉の質そのものが違うと錯覚させるほどの外国人の選手の中で成績を残すことは並大抵でないことぐらい、私にもわかる。
「先生、ちょっと手合わせしてみますか?」
「遠慮しておきます」
 私が西城と腕相撲をしたところで、彼の実力が測れるわけもない。
「だけど、それだけの実力者の西城君がいれば十分でしょう」
 言うまでもない。私が出る幕など一ミリもないと断言できる。
「成人男子の部は十分ですね」

「成人男子?」
「トーナメントはいくつかのカテゴリーに分けられています。成人男子の部は、西城君が優勝してもらえばOKですが、問題は『文化人・タレントの部』です」
「まさか、ぼくが出るのは、その……」
「文化人・タレントの部です」
「優勝なんて無理です」
 私はさきほどまでの主張をくり返した。
「タレントの方には、腕に覚えがある方が結構いるんですよ。趣味でボディビルをやられている方とか、ナチュラルに強い方、あるいはアクション関係の役者さん達ですね」
「なおさら勝てないじゃないですか」
「勝てます!」
 越川は力強く宣言した。しかし、私には何の説得力もない。自分自身の力は誰よりも知っているからだ。たぶん、1秒で1回戦負けだろう。
「ちょっとお尋ねしたいのですが……」
 私は疑問をそのまま口にする。
「どうして、そこまでぼくが腕相撲で優勝できると確信されているのですか。今までそんな経験はまったくないのですけど」
「手書きですよ」
「えっ、手書き?」
「今の作家の多くはキーボードをカチャカチャ打って作品を書いている。でも、今から10年以上前から作家をなさっている人は、手書きで何十枚、何百枚と原稿用紙に取り組まれてきたはずです」
 言われてみれば、確かに私には手書きで原稿を仕上げていた時期があった。今でこそキーボードが当たり前なので、懐かしい思い出だ。
「鍛えられているんです。黄金の右腕ですよ」
「いや、でも……」
 腕相撲の強さにはまったく結びつかない気がする。そんな薄弱な根拠で腕自慢が集まるトーナメントに出ろとは無茶苦茶な話である。
「やはり、お断りします」
「なぜですか」
「誤解されてますよ。ぼくは……」
「本当の腕相撲のやり方を御存知ないだけです」
 越川が意味ありげに西城にうなずいた。
「全力でバックアップします。我が社アバウトバウトと、西城ワタルがね」
つづく つづく
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